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[寄稿]2008年 政治的主体を自覚、2016年 国家を変えるために立ち上がった

登録:2016-12-26 01:27 修正:2016-12-26 08:56
2008、2016、ろうそく集会の現場を調査したシン・ジンウク教授 
 
狂牛病ろうそく集会、牛肉だけの問題ではない 
約束違反した「富裕層」のための政権に対する怒り 
2016年、朴槿恵退陣集会では 
憲法を蹂躙した巨大な談合構造に憤り 
「あまりにも多くの人が知っていながら 
放置してきたのが一番の衝撃」

 2008年に続き、2016年にも光化門(クァンファムン)ろうそく集会の現場で市民たちに会ってインタビューを進めているシン・ジンウク中央大学社会学科教授が、二つの集会の参加者たちの考えを比較、整理した文を送ってきた。シン教授は2008年のろうそく集会当時、大学院生らと共に62人の参加者に現場で深層面接し、2016年のろうそく集会ではこれまで56人に面接した。2008年の面接に参加した人は10代から50代まで多様な年齢層で、職業も学生、会社員、教師、公務員、日雇い労働者や露店商、出張マッサージ師に至るまで様々だった。2016年の面接調査は10代から30代までを対象としており、大半が高校生や大学生、会社員だ。これからの集会で40~50代の年齢層の面接を補完する計画だ。

シン・ジンウク中央大学教授が今月17日午後、ソウル光化門広場で若者にインタビューをしている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 革命。いつからか、人々は革命と呼び始めた。市民革命、名誉革命、民主革命、ろうそく革命。これは革命なのか? はて何だろう。革命とは古い秩序が崩壊して新たな秩序が誕生する巨大な構造変動である。このような意味で、2016年の市民抗争に革命の称号をつけるのはまだ早い。しかし、多くの人がこれをあえて革命と呼ぶのには理由がある。

 そうだ。これはまだ革命ではないが、革命的な変化が起こっている。人々は、憤りと希望を共にしている数百万の市民がいることに気づき、平凡な人たちの結集された行動がどれほど巨大な波になれるかを見ており、あまりにも堅固に見えた腐敗した権力を市民の力で揺るがす経験をした。

 このような経験は歴史になかなか登場しない。韓国現代史では1960年の4・19革命と1987年6月の民主化運動がまさにその瞬間だった。その結果、独裁は姿を消したものの、2000年代後半から民主主義が後退しながら、市民たちは再び大抗争に乗り出した。2008年と2016年のろうそく集会がまさにそうだ。ここで市民は何を考え、望んだのだろうか。何が受け継がれ、何が変わったのだろうか?

 2008年のろうそく集会は1987年6月抗争以降、最も多くの人が参加して、最も長く続き、韓国社会の問題と代案について最もし烈に学習して討論した大事件だった。しかし、2008年のろうそく集会はその後忘却され、歪曲され、蔑視されてきた。その革命性と主体性が取り除かれたまま、狂牛病の恐怖に捕らわれた狂気の瞬間として記録されただけだ。

 それは真実ではない。当時、ろうそく集会に出た人々の動機は単に“牛肉”ではなかった。国民の多数が選出した権力ではあっても、その権力の間違った政策は国民の力で変えようということだった。

 「(大統領)候補時代には庶民のための大統領のようなコンセプトで。だけど、保守政権が発足した途端、財閥グループのための政策を展開しているから、騙したのではありませんか。問題はそこから始まったのです」(18・男・高2)

「李明博(イ・ミョンバク)政権の財閥のための政策と牛肉の輸入、韓-米FTA、大運河、このすべてが繋がっていたと思います。このような政策を国民の力で変えるきっかけだと思います」(40代・男・鉄道公社の職員)

「強者たちの政府、強者だけに味方する政権です。金持ちだけにやさしい。国民が主人だから、私たちの権利を取り戻さなければなりません。国民の権益を伸ばして政府を牽制できる、そのような力を」(20代・女・盲目の出張マッサージ師)

 2016年のろうそく集会で(2008年と)異なっていたのは、政府の政策、偏向性、それ以前に、あまりにも「とんでもなくて、開いた口がふさがらない」ような事実から受けた衝撃だ。チェ・スンシルという私人の無限権力やプラセンタ注射・白玉注射・バイアグラの話、朴槿恵(パク・クネ)大統領の奇妙な行跡と過去などだ。

「チェ・スンシルの操り人形だったということでしょう。とんでもないことです。気が抜けてしまったし」(17・女・高1)

「整形注射、バイアグラなどは本当に衝撃でした」(20代・女・会社員)

「セウォル号事故があったのに、髪の毛をアップにしたりして7時間も過ぎてから現れては、突拍子もないことを言っていたなんて。話になりません」(18・男・高2)

 しかし、市民らは単に朴槿恵、チェ・スンシルが原因で街頭に出たわけではなかった。本当に衝撃的だったのは、その莫大な不法や不正、権力の乱用や憲法蹂躙を可能にした巨大な談合構造だった。

「1人が誤ったことをするのはあり得ることだけど、あまりにも多くの人がそれを知りながら放置してきたのが、一番の衝撃です」(19・女・高3)

「何か積もりに積もって腐りきった政界になったのではないでしょうか。今政治に携わっている人たちも政界が汚れていることを知っているはずなのに、そこから恩恵を受けているから、沈黙してきたのではないか」(20・女・大1)

「緻密に、すべてつながっているということには驚かされますね」(18・女・高2)

「政経癒着の根が深いじゃないですか。そして行政、司法、立法がそれぞれ独立しておらず、互いに繋がっているというのが衝撃的です」(18・女・高2)

 問題は単に一人の大統領と彼女の政権ではなかった。不法国家、犯罪国家、略奪国家だった。韓国で国家とは何かと尋ねた時、10代、20代の参加者たちの答えは実に驚くべきものだった。

「国民を代表するとは思えず、いわゆる上流階級同士で遊んでいる集団のような?」(22・男・大3)

「国民の意思に耳を傾けて、保護しなければならない存在なのに、私たちを攻撃して、保護はおろか自分たちの利益を追求しているから、存在自体を認めたくないです」(18・女・高2)

「国家とは、元々国民を保護しなければならないのに、セウォル号のように犠牲にさせるだけで、財閥にだけ税金を減免して目をつぶり、税金を取って国民のために配分すべきなのに、一丸となって自分たちだけが生き残り、国民は投げ捨てる、そんなところではありませんか」(18・男・高2)

「国家が国民を攻撃し、犠牲にして、投げ捨てる…これを国といえるのか」イラスト=ハ・ジャク//ハンギョレ新聞社

 今10代、20代の若者たちはこの国の国家を、国民を「攻撃して」、「犠牲にして」、「投げ捨てる」存在として認識しているのだ。

 李明博、朴槿恵政権の10年間で、私たちはこのように“本当に悪い国家”を持つようになった。しかし、それにもかかわらず、いや、だからこそ、市民たちは、自ら国の主となり、国家を変えなければならないと考えるようになったようだ。

 2008年のろうそく集会では多くの市民が初めて集会という場に出てきて、自分自身が国の主、政治の主体であることを経験した。露天商だから、何もわからないと言いながら、最初はインタビューを断っていたある40代女性の話だ。

「私たちは露天商です。でもいざ(集会に)出てみて、参加しなければならないと思うようになりました。政府の政治についてはまだわからないけど、もし政治を誤ったりすれば、その時は私たちのような市民がまたろうそくを掲げて出てくるでしょう」

 80年代、学生時代から政治集会に多く参加してきたという40代の男性はこう語った。

「前には主催側から招請状をもらって出てきた気分だったが、今はあまりにも多くの階層が老若男女を問わず参加しているのが最も大きな意義だと思います。この巨大な都市の中でこのような連帯意識を作り出したというのが驚きですし。一見無秩序にみえる状況でも自ら守り抜く秩序、そんな姿もそうですね」

 2008年と比較すると、2016年の参加者たちは、国家と政治にさらに深い不信感をのぞかせたが、同時に以前よりもさらに強い自信と政治的自意識、楽観と希望を持っていた。

「今回集会に出て見ると、韓国は前よりもよくなりそうです。みんな敗北感に浸っていると思っていました。到底変えられないと。ところが、意外と市民がこのままではいけないと言うのを見て、我が国に対する愛情が残っているなと思いました。そこに希望を見た思いです」(20代・女・会社員)

「李承晩(イ・スンマン)、全斗煥(チョン・ドゥファン)の時も、国民が街頭に出て民主主義のために努力して結局民主主義が到来したではありませんが。韓国国民が努力すれば変わると信じてます」(18・女・高2)

「私たちが引き続き参加して、大人たちを覚醒させ、しっかりしろと言わなければならないと思います。国民が主ですが、一人では何もできません。このように集まっていけば変わるでしょう」(18・男・高2)

 国民が主なのに、国家は国民を投げ捨てた。だから、国民が立ち上がって国家を変えることにした。これがろうそくのメッセージだ。1987年以後、制度としての民主主義はこのように重い病を患ったが、民主主義の主である市民たちの生命力はますます強くなっている。

 1960年と1987年の間には27年の年月があり、1987年と2016年の間には29年が横たわっている。1980年の5月抗争以降、7年の歳月の末に1987年が到来しており、2008年のろうそく集会以来、8年が経って2016年が訪れた。これは革命だろうか? まだそうではない。もしこれが革命になるのなら、革命はもう始まった。

シン・ジンウク中央大学社会学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/776074.html 韓国語原文入力:2016-12-26 08:37
訳H.J(3975字)

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