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[寄稿]広場のろうそく、暮らしの現場で燃え上がってこそ

登録:2016-12-25 21:27 修正:2016-12-26 07:07
今月24日夜、ソウル光化門で開かれたクリスマスろうそく集会を終えた市民が、朴槿惠退陣を叫んで憲法裁判所へ向かっている。ソウルの政府中央庁舎にはろうそく集会主催側がビームライトを利用して書いた「朴槿惠拘束早期弾劾」という文字が鮮明に浮き上がっている=イ・ジョンヨン先任記者=ハンギョレ新聞社

「ヨーロッパと米国は今後韓国から民主主義を習わなければならない」

 ドイツの著名な週刊誌<Die Zeit>は最近、韓国のろうそく集会に関してこのように書いた。西欧から民主主義を輸入した韓国が、“原産地”より模範的に民主主義を実践しているということだ。民主主義はアジアには合わないという“アジア的価値”論争は終わったとも書いた。「平和で秩序整然としながらも強力な」韓国の「成熟した民主主義」が「勇気と情熱で民主主義を守る方法」を世界に教えたと絶賛した。ドイツの権威ある日刊紙<フランクフルト アルゲマイネ ツァイトゥング>も「韓国の偉大なろうそく祝祭」を詳細に打電した。<ニューヨークタイムズ>など英米のマスコミの論調も同様だった。

 世界がこのように“1000万ろうそく”を驚異の目で眺めているけれど、実際はこの「ろうそく革命」に最も驚いたのは他ならぬ私たち自身だ。私たちの中にこうした途方もない善意と勇気、友愛と連帯の精神が隠れていたということに、互いに驚嘆し、息が詰まるような競争と極端な不平等、弱肉強食と勝者独占が支配するこのジャングルのような社会で、こうした高貴な品性を持った人々がこんなにも多く存在するという事実に、互いに畏敬の念を感じている。私たちは毎日、私たち自身を新たに発見している。この2カ月間に広場が私たちに与えた最高のプレゼントは、私たちの努力でこの“野生の王国”のような世の中を“人が生きる世の中”に変えることができるという自信だ。

 この自信が現実になるためには条件がある。それは世界を驚かせた「広場民主主義」の底力を暮らしの現場に移して「現場民主主義」に昇華させなければならないということだ。広場のろうそくは今後は日常の暮らしの現場でも燃え上がらなければならない。

 1000万ろうそくの奇跡は、韓国民主主義の途方もない潜在力を見せたが、同時に「広場民主主義」がまだ「現場民主主義」には到達できていない現実を改めて認識させる。私たちは「広場」で偉大な民主主義革命を成し遂げたが、実際に暮らしが営まれる「現場」では極めて非民主的な日常を生きている。家庭で、学校で、職場で、私たちは果たしてどれくらい「民主主義者」として生きていて、どれくらい民主的な制度と文化が実行されているのか。広場で堂々と大統領を批判するように、暮らしの現場で校長、総長、社長を公開的に批判できるのか。広場民主主義と現場民主主義は相変らず非対称的に乖離している。

 光化門(クァンファムン)の熱気にもかかわらず、ヘル朝鮮の現実は変わっていない。この地獄から抜け出すために、広場民主主義が現場民主主義に拡張され深化されなければならない。暮らしの現場で民主主義を要求し、実践し、実現しなければならない。自分の心の中で、家庭で、学校で、職場でろうそくが燃え上がらなければならない。ろうそくが自分を変化させ、日常を変化させ、現場を変化させ、社会を変化させ、ついには国家を変化させなければならない。「自分の中のチェ・スンシル」を燃やして、「自分の中の朴槿恵(パク・クネ)」を追い出さなければならない。

キム・ヌリ中央大教授(独文学)=資料写真//ハンギョレ新聞社

 私たちは広場で「民主主義者のいない民主主義は存在できない」ことを学んだ。民主主義は民主主義者たちの連合体だ。だからこそ、民主主義は単に政治制度の問題ではなく人生の態度の問題だ。他人に配慮して尊重して、弱者と共感して連帯して、不正に怒り不当な権力に抵抗する態度-このような性格を内面化した民主主義者を育てられない限りは、制度としての民主主義はできたとしても、いつ権威主義と独裁の野蛮に堕落してもおかしくない。これが広場のろうそくが、自身の心の中で、私たちの暮らしの中で再び燃え上がらなければならない理由だ。

キム・ヌリ中央大教授(独文学)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/776036.html 韓国語原文入力:2016-12-25 20:21
訳J.S(1701字)

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