インターン調理師だった大学生
「北朝鮮の従業員21〜22人
一部はまだ寧波にいる
中国人社長、警察に呼び出されている」
「北朝鮮従業員たちはよくしてくれた。中国人社長が買ってあげた韓国の化粧品を使わずに私たちにくれたこともあった。厨房で一緒だったお姉さんとはいろいろ話もした」
11日午後、中国浙江省寧波の北朝鮮レストラン「柳京」の前で出会った地元の中国人大学生C氏は、1カ月ほど一緒に働いていた北朝鮮の従業員について、良い印象を持っていた。料理を専攻する彼はこのレストランで「インターン調理師」として働いていた。C氏は「北朝鮮の従業員は21〜22人いた」とし、「支配人1人が団長の役割をし、監視役の男性がもう1人いた。残りはすべて20代の女性だった」と話した。女性は、厨房にいた2人を除きすべてのホールで働いたり、昼と夕方に30分ずつ行う公演に出演していた。そして「以前は(中国)東北で働いていたが、みんなで(こちらに)来たと聞いた」と付け加えた。
C氏は従業員の「脱出」の状況を知っていた。「従業員3人が先に消えたが、後で戻ってきた。むしろ彼女らを探しにいった支配人と他の人たちがいなくなった」として、帰ってきた3人を含む一部の従業員は、まだ寧波に残っていると聞いたと話した。C氏は、当時の情況について「清明節(4日)の連休後に出勤したが、支配人が突然騒ぎだし『パスポートはある?』と周りに確認するのを聞いた。結局、彼は帰ってこなかった」とし「従業員は中国語試験1等の商品として、社長からもらった金のネックレスを含め、貴重品はすべて持って行った」と伝えた。柳京の向かい側のカフェの関係者は、「5日に突然営業を停止したが、その日の夕方には明かりがついていた」とし、「ところが、その翌日からは夕方にも明かりがついていなかった」と話した。
柳京は寧波地域に初めてできた北朝鮮レストランで、北朝鮮出身の従業員を前面に出しただけで、北朝鮮料理よりも中華料理を中心とする高級レストランだった。C氏は厨房に入る約15人のうち、北朝鮮出身者は冷麺担当とチヂミ担当の2人だけだったと伝えた。寧波の韓国レストラン側は「柳京は、韓国同胞や観光客よりは、中国人をお客にしていた」と話した。柳京で食事をしたことがある20代の中国人男性は「寧波の中国料理が中心だったが、簡単なセットメニューが200〜400元(3万5千〜7万ウォン)で、中国のレストランにしては高すぎると感じた」と話した。
C氏は従業員の脱出の背景を「経済的原因だったと思う」とし、「食堂の運営状況がよくなかったため、普段3、4卓しか客がいなかった」と話した。しかし、近所のカフェのオーナーは、「柳京は、一般的な開業イベントや広告のようなものを一度もしなかったのに、それでも客がかなりいる方だった」とした。 C氏も年末と新年、春節(旧正月)などの時期にはレストランの約40卓のうち、30卓以上が埋まっていたと話した。中国工商局の資料によると柳京は昨年8月に登録したが、周辺の話では、昨年末から今年初めになってようやく実質的な開業をしたという。このレストランの営業不振が、北朝鮮の4回目の核実験(1月6日)とロケット発射(2月7日)や、北朝鮮レストランの利用を控えるように勧告した韓国政府の独自制裁(2月10日)と関連があるかどうかは、明らかではない。
北朝鮮出身の従業員が経営不振による圧迫を直接受けた可能性もそれほど高くないものと見られる。中国人事業主に雇用され、給料をもらう構造だったからだ。C氏は、「従業員は中国人社長から4千元(約70万円)ずつ給料をもらい、そのうち3千元は北朝鮮当局に送って千元は本人が持って行った」と話した。C氏に「北朝鮮の人たちの間で争いはなかったか」と尋ねると、「別に争うことはなかった。ただし、従業員が消えた日、支配人と中国人社長の間に些細な口論があっただけ」とし、「社長は今回のことで、警察など様々な当局に呼び出されていると聞いた」と伝えた。
従業員は、監視を受けて生活していたものと見られる。C氏は「従業員は、4〜5人が一緒に行動する場合のみ、外出が許可されたが、それもよくあることではなかった」と話した。近所のカフェのオーナーは「伝統衣装(韓服)を着て外に出て客引きをする2人を除けば、朝出勤して夕方帰宅するまで、レストランの外に出ることもなかった」と伝えた。また、C氏は「従業員は、支配人などにいろいろな事でよく怒られていた」とし、厳格な規律の下で生活していた可能性を示唆した。
韓国語原文入力:2016-04-11 19:53