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徐京植教授書簡の背景 アジア女性基金と同じ脈絡の不可逆的な最終合意

登録:2016-03-12 09:31 修正:2016-03-12 10:34
徐京植・東京経済大学教授 //ハンギョレ新聞社

 「それは例えるなら、反省などできない常習犯罪者をめぐり、その家族が被害者に『彼に根本的な反省をしろと言ったところで無理』だと言い『だから諦め、そのことを受け入れて生きては』と説得しているのと同じだ」

 徐京植(ソギョンシク)東京経済大教授が日本の進歩的知識人の和田春樹東京大学名誉教授に送る、この公開書簡に出てくる話だ。日本政府が企画・推進した「アジア女性基金(女性のためのアジア平和国民基金)」の事業で先頭に立った和田教授を批判するため言及したこの比喩は、昨年12月28日に韓日首脳間で交わされた、いわゆる「不可逆的な最終合意」にもそのまま適用できそうだ。

 それどころか今、それは、日本の危険な反動的右傾化と進歩勢力の没落、破綻した韓日連隊と歪んだ韓日関係、韓米日三角同盟の動きがどこから始まったのか、その心理的・思想的基底まで明らかにする見事な寓意でもある。さらに、支離滅裂な韓国進歩勢力に対する警告であり、厳しい揶揄とも考えられる。

 和田教授は当時、日本軍「慰安婦」制度について、日本軍の要請で組織的に作られ管理された事実を指摘し、「重大な罪」であることを認めておきながら、それが日本国家が犯した戦争犯罪であることが「法的」に認められるのは難しいとする矛盾した結論を下す。それがアジア女性基金事業擁護論の根拠となったが、その根拠は意外にも「日本とドイツは違う」というものだった。戦後ドイツはナチスと断絶した国家であるため、過去の歴史を反省し、被害者らに賠償することができたが、戦前の軍国主義体制の延長線上にある戦後日本という国家には、それとは異なる限界があり、したがってその現実を認め、日本には国家レベルでの戦争犯罪の認定と賠償を要求せず、ただ我慢して日本政府の言うなりになる、これが和田教授と日本の進歩勢力の現実主義の本質だと徐教授は指摘する。

 さらに悪いのは、まさにその敗北主義的で自己中心的な現実主義を批判する韓国の挺対協と民主化運動勢力の女性基金の受け入れ拒否の論理を、逆に批判する日本進歩勢力の一部のひっくり返った(倒錯的)道徳主義と徐教授は指摘する。

 その背景には、日本の進歩勢力の“原則”を放棄した現実主義が、実は投降に近い妥協ないし大勢順応主義であり、冷戦崩壊後に本性を現わした投降主義は、結局、社会党と進歩勢力の没落につながったという徐教授の現実認識が広がっている。以降、日本のリベラル勢力は政治的拠点を失い、そのために右派の逆走に反対する国民の半分を代表する政治勢力が消えた。韓国の事情はこれとどれほど違うだろうか。

 なぜこのようなことが起きるのだろうか?徐教授は「帝国の慰安婦」などで日本で歓迎される朴裕河(パクユハ)世宗(セジョン)大教授の例を挙げ、この「朴裕河現象」に一役買っている日本の進歩勢力(リベラル)の歪んだ心理に、その原因の一端を探る。

 「(朴裕河現象が起こるのは)朴裕河の言説が日本のリベラル派の隠れた欲求と正確に合致しているからだろう。彼らは右派の露骨な国家主義には反対しながら、自分たちを非合理的で狂信的な右派とは区別される理性的な民主主義者と自任している。しかし、それと同時に(中略)植民地支配を拡大することで獲得した日本の国民の国民的な特権が脅かされることに不安を感じているのだ。(中略)右派と一線を画す日本のリベラル派の多数は、理性的な民主主義者を自任する名誉感情と、旧宗主国の国民としての国民的な特権を失いたくないのだ」

 日本の慰安婦問題の解決方法が「初期設定から間違っていた」と見る徐教授の指摘は、このような認識に基づく。

 そのため戦後日本の繁栄を支えた「平和憲法」体制を享受しながら、それが日本帝国主義のため命を失った数千万人のアジアの民衆の犠牲の上に立っているということを、日本の進歩勢力、さらに日本国民の大多数は知らなかったか、知りながらも無視したと徐教授は指摘する。これは米国が主導した東アジアの戦後体制そのものに対する根本的な問題提起につながる可能性がある。

 そのような脈絡で、徐教授が自らの「思想的師匠」だった和田教授に送るこの書簡は、日本の進歩勢力の批判であると同時に、歴史認識の矛盾の上に構築された東アジアの戦後体制と歪んだ韓日関係に対する根本的な批判と問題提起としても読める。

ハン・スンドン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-03-11 22:30

https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/734584.html 訳Y.B

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