本文に移動

[寄稿]日本知識人の覚醒を促す 和田春樹先生への手紙(3)

登録:2016-03-12 08:05 修正:2016-03-13 09:55
橋本龍太郎首相の訪韓を控えた1996年6月21日、ソウルの公園で太平洋戦争犠牲者遺族会会員30人余りが韓日協定の破棄と慰安婦問題に対する日本の公式謝罪を求めている=資料写真//ハンギョレ新聞社

朴裕河現象

 朴裕河教授の前著『和解のために』(日本版2006年刊)について私はすでに「和解という名の暴力」という文章で批判しています(拙著『植民地主義の暴力』高文研所収)ので、ここで詳しく繰り返すことはしません。ただ私を驚かせ、失望させたことは、同書の「日本語版あとがき」に、同書刊行に尽力してくれた人として和田先生の名を見たことでした。そのほかに、上野千鶴子、成田龍一、高崎宗司といった名が挙げられています。先生、これはほんとうでしょうか?

 この本の記述は問題だらけですが、ここでは二か所だけ挙げてみましょう。

《戦後日本の歩みを考慮するなら、小泉首相が過去の植民地化と戦争について「懺悔」し「謝罪」する気持ちをもっていること自体は、信頼してもよいだろう。そのうえで「あのような戦争を二度と起こしてはならない」と言明しているのだから、戦争を「美化」していることにもならないはずである》

 和田先生も、朴教授のこの認識を共有されるのですか?

 <一九〇五年の条約(「乙巳条約」)が「不法」だとする主張(李泰鎮ほか)には、自国が過去に行ってしまったことに対する「責任」意識が欠如しているように、韓日協定の不誠実さを取り上げて再度協定の締結や賠償を要求することは、一方的であり、みずからに対して無責任なことになるだろう。日本の知識人がみずからに対して問うてきた程度の自己批判と責任意識をいまだかって韓国はもったことがなかった。>

 この認識にも同意されますか?

 私の信じるところでは、これらは和田先生の見解には合致しないはずです。なにしろ先生はかつて、韓日条約交渉の際の韓国人の反対運動に共鳴していた方なのですから。当時先生が共鳴した韓国の知識人たちは「自己批判と責任意識」をもったことのない人々ですか?自分の学問的見解に反する書物の刊行に尽力するということは、学者としての良心に背くのではありませんか。それとも、良心に反してでも推薦したい特別な理由でもあったのでしょうか?

『帝国の慰安婦』//ハンギョレ新聞社

 <日本の知識人がみずからに対して問うてきた程度の自己批判と責任意識をいまだかって韓国はもったことがなかった>(この記述は同書日本版のみにある。)

これは嫌韓論そのものともいえる、驚くべき記述です。この記述に出遭ったとき、先生はそれを否定しようとは思われなかったのでしょうか。それとも(想像したくないことですが)、「そうだ、そのとおり」と満足されたのですか?

 この記述は事実として誤っています。1970年代から日韓連帯運動を担い、韓国知識人とも親しく交流してこられた和田先生なら、そんなことはよくご存知のはずだと私は思っておりました。まして、アジア女性基金事業の中で韓国の知識人を相手に困難な対話を続けてきた先生が、一方でこのような認識に同意していたのならば、それは対話の拒絶、相手に対する愚弄を意味しないでしょうか?

 なによりも、私の心の中にある和田先生は、このような俗耳に甘い記述は一目しただけで厳しく拒絶するはずの方でした。それとも、あの「初心」をもはや棄ててしまわれたのですか?

 朴教授の新著『帝国の慰安婦』が日本と韓国で騒動を巻き起こしています。この本についても、私はここで詳しく論じる気持ちになれません。多くの論者が指摘しているとおり、この本も論証が不正確かつ恣意的であり、論理の運びに一貫性がなく、批判したところで生産的な議論になるとは期待できないからです。

 一例のみ挙げます。慰安婦と日本兵士が「同志的関係」にあったと朴教授は主張しますが、「同志的」という言葉をこのように使うことは明らかに間違っています。「同志」という言葉は自発的に志を共にするものの関係を指します。植民地支配そのものが朝鮮民族の「自発的こころざし」に反する支配でした。侵略戦争への動員もしかりです。その支配者側の男性である日本軍兵士と、被支配者側の中でも、貧しく、教育がなく、家父長制の差別を受けている女性という意味でもっとも下層に位置した慰安婦とが自発的に志を共にする対等な関係にあったというのは、よほど言葉の使い方を知らないか、植民地支配という現実への根本的無理解からくる暴言としか言えません。書くならせめて、当事者の中には「同志的関係」と思っていたケースもあったとでも書くべきですが、それも論証があってのうえでのことです。それに、かりにそんな例外的ケースがあったとしても全体的な差別構造を否定する論拠にはなりえません。徹頭徹尾自発性を踏みにじられる経験をした元慰安婦のみなさんが、このような記述に憤り、自己の人格権を侵害されたと感じたのは当然のことでしょう。

 慰安婦制度に末端で加担した「業者」にはもちろん応分の加害性と責任があり、その真相究明と責任追及をしなければならないことも自明です。しかし、この点も、私自身を含めて多くの論者がすでに指摘して来たことであり、朴教授が今回初めて指摘したことではありません。

 朴裕河教授は前著においても「植民地近代化論」への親和感を隠そうとしていませんが、今回はそのことをさらに明確にしました。もちろん、軍事政権時代にもそうであったように植民地時代にも、それなりに「いい目」を見た特権層は存在したし、そういう人々の視点から見ればあの時代もそれほど悪くはなかったのでしょう。だが、そういう人々には、「慰安婦」被害者であれ、強制連行・強制労働被害者であれ、政治弾圧被害者であれ、筆舌に尽くせぬ苦痛と屈辱を経験した被害者たちを代弁することはできません。

 『帝国の慰安婦』には(しばしば互いに矛盾する)いろいろなことが書かれていますが、執拗に繰り返される核心的主張は、慰安婦連行の責任主体は「業者」であり「軍」ではない、「軍」の法的な責任は問えない、というものです。これは、日本と世界の多くの研究者によってすでに論破されて久しい主張なので、私がここで屋上屋を架すことはやめておきましょう。

 この主張は、実際のところ、長年にわたる日本政府の主張と見事に一致しています。慰安婦問題が大きく社会化するきっかけは、1990年の国会で日本政府委員が、慰安婦は「民間業者が連れ歩いていた」と答弁し、被害者の憤激を買ったことでした。それ以後の多くの研究が日本政府のこの見解を論破しています。日本政府は「強制連行」という用語の概念を「官憲による直接的な連行」に狭めて解釈し、それを立証する文書資料がないという否定論の陣地に立てこもりながら、国家の責任をあいまいにしようとする主張を繰り返してきました。前述したように、安倍首相が「人身売買の犠牲者」という言葉を使うのも、「業者」に責任転嫁して国家責任を薄めようとする底意を表しています。

 嘆かわしいことは、このような朴教授の著書が日本ではいくつかの賞を受賞し、人気を得ている現象です。「なぜ、こういうことが起こるのだろうか?」その理由について、私はかつて「和解という名の暴力」で、私なりの推論を述べました。「朴裕河の言説が日本のリベラル派の秘められた欲求にぴたりと合致するからであろう。/彼らは右派の露骨な国家主義には反対であり、自らを非合理的で狂信的な右派からは区別される理性的な民主主義者であると自任している。しかし、それと同時に、近代史の全過程を通じて北海道、沖縄、台湾、朝鮮、そして満州国と植民地支配を拡大することによって獲得された日本国民の国民的特権を脅かされることに不安を感じているのである。(中略)右派と一線を画す日本リベラル派の多数は理性的な民主主義者を自任する名誉感情と旧宗主国国民としての国民的特権のどちらも手放したくないのだ。」

 朴教授の不可解なまでの情熱の源泉は、挺隊協など韓国民主勢力とそれに連帯しようとする日本市民への敵愾心にあることが、今回の本では明白に表明されています。2012年挺隊協シンポジウム資料集に北朝鮮からの「お祝いの言葉」が載っていることをとらえて、朴教授はこう述べます。「冷戦崩壊と、90年代後半から韓国で左派政権が10年間続いたことによって、慰安婦問題をめぐる韓国と北朝鮮の交流は深まっていった。それは、朝鮮人慰安婦問題が最初は<植民地支配>による朝鮮民族問題と認識した必然の結果でもあった。しかし、その後運動は、世界との連携の過程で問題を<普遍的な女性人権問題>として位置づけ、植民地支配問題としての捉え方を強調しないようになっていった。」「韓国の挺隊協や日本の一部の人たちが北朝鮮と連携して、日本の「軍国主義」だけを批判してきたのは、運動が<冷戦の思考>に囚われていたためである。」(引用は同書日本版による)

 まず、慰安婦問題は植民地支配下で起きた戦争犯罪なので、<植民地支配>に起因する民族問題であることに間違いありません。しかし、そのことと<普遍的な女性人権問題>とは、互いに排除し合う対立的な範疇ではありません。慰安婦問題はこの二つの範疇が重なり合う領域の出来事といえます。いいかえれば、これは「民族解放」と「女性解放」という二重の課題です。<女性人権問題>と<民族問題>という二つの範疇は、その一方を否定するためにもう一方を用いてはならないのです。私自身を含む多くの論者が、すでに90年代半ばから、そのことを指摘してきました(拙稿「<日本人としての責任>をめぐって」前掲『半難民の位置から』)。「挺隊協や日本の一部の人たち」にその認識がないと朴教授がいうのは、こうした過去20年間の議論の蓄積を無視した根拠のない主張です。

 「植民地支配」という南北共通の民族的経験、そして「普遍的な女性人権問題」という共通項、これらを基盤として、慰安婦問題という領域において南北に分断されていた者たちが出会う局面が生み出されたのです。90年代はじめ、日本と韓国の運動団体の努力の結果、北の慰安婦被害者が招かれて来日し、日本の東京で南の被害者と抱き合った場面を、感激をもって想起します。冷戦時代の凍りついた壁に小さな穴が開いて光が差し込んだ瞬間でした。それがのちの2000年国際女性戦犯法廷へと発展しました。被害者と運動団体が成し遂げた素晴らしい達成です。韓国の「左派政権」の10年間に南北の交流が進み、和解的雰囲気が生まれたことは、まさに脱冷戦的な出来事でした。そのことを「北朝鮮」と結びつけて非難することこそ、まさしく<冷戦の思考>に囚われたイデオロギー的攻撃というべきでしょう。

朴教授の著作そのものよりも深刻な問題は、それが日本でもてはやされている現象です。

 この現象は3つのレベルでの反動が重なり合う場で起きたと私はみています。すなわち、韓国でいうと、民主化闘争の達成による金大中・盧武鉉政権時代への反動、とくにその過去事清算、親日派清算の動きに対する保守派と植民地近代化論の側からの反動です。前記した朴教授の言説は、この反動の典型的表現といえるでしょう。

 日本では、90年代以降の長く続く右傾化。これは戦後民主主義(安倍首相のいう「戦後レジーム」)への大反動であり、これに、嫌韓論・反中論の蔓延といった排外主義の風潮が拍車をかけています。その中で動揺する人々、国家責任を徹底して突き詰めることは回避したいが、同時に自己を道徳的な高みに置いておきたい、そんな矛盾した望みをもつ「国民主義」の人々に、朴教授の言説が歓迎されています。

世界的な規模でいえば、反植民地主義の高揚に対する反動です。2001年、南アフリカのダーバンで国連主催「人種主義、人種差別、排外主義、および関連する不寛容に反対する国際会議」が開かれました。この会議は、欧米諸国が行ってきた奴隷貿易、奴隷制、植民地支配に「人道に対する罪」という概念を適用する可能性を初めて公的に論じる場所でした。アパルトヘイト体制からの解放を勝ち取った南アフリカでこの会議が開かれたことそのものが希望を象徴する出来事でした。

 しかし、会議は「法的責任」を否定する先進諸国(旧植民地宗主国)の頑強な抵抗に遭って難航し、アメリカとイスラエルは退席しました。奴隷制度と奴隷貿易に対する補償要求がカリブ海諸国とアフリカ諸国から提起されると、旧植民地宗主国側はこれに激しく反発し、かろうじて「道義的責任」は認めたものの、「法的責任」は断固として認めませんでした。その結果、ダーバン会議宣言には奴隷制度と奴隷貿易が「人道に対する罪」であることは明記されたが、これに対する「補償の義務」は盛り込まれませんでした。このように全世界的な反植民地主義の闘いは、90年代に大きく前進しましたが、旧植民地宗主国側からの反動によって停滞を強いられています。

このような三つのレベルにわたる反動の集約的表現として朴教授現象が現れました。

 朴教授の著作は、一人の風変わりな人物による非論理的な主張であり、端的に言うと国家責任否定論の一形態にすぎません。しかし、笑って見過ごすにはあまりにも深刻な傷を被害者と運動体に与え、反動の波に乗る日本の歴史修正主義者と韓国の保守派を励ます機能を果たしています。

 朴教授を称賛する日本と韓国の知識人たちに私は問うてみたい、この否定論を、あなたは支持するのですか、と。この反動の時代に、知識人たちに求められていることは、しっかりと覚醒して、誰と連帯し誰と闘うべきかを自らにきびしく問うてみることであるはずです。

「邪悪なる路」

 和田先生、以上できる限り正直に、思うところを述べました。私の心の中には、あの暗黒時代に私たち朝鮮民衆の側に立ち、身をもって困難な連帯の可能性を示して下さった先生の記憶が生きています。私自身の肉親も含めて、苦難を嘗めた者たちからみれば、先生は恩人ともいえる存在です。それだけに、このような批判めいたことを書くと「恩知らず」と思われるのではないかと躊躇しましたが、そういう躊躇こそ失礼であろうと思い直しました。歴史学者としての先生は真理にのみ忠実であろうとされるはずです。市民運動家としての先生は、なによりも連帯の意義を自覚しておられるはずです。そうであれば、真理と連帯に照らして、私からのこの手紙も誠実に受け止めて下さると信じたいからです。

 私は先生の論文「非暴力革命と抑圧民族」(『韓国民衆をみつめること』)によって目を開かれた者の一人です。日本で生まれ育った私は、無自覚のうちに、自民族の独立運動についての抑圧民族の側の無理解と偏見を内面化していましたが、先生のおかげでその過ちに気づくことができました。三一独立宣言は「勇明、果敢をもって旧き誤りを廓正し、真正なる理解と同情を基本とする友好的新局面を打開することが、彼我の間に禍を遠ざけ、祝福をもたらす捷径であることを明知すべき」と説き、朝鮮の独立をはかろうとするのは朝鮮人のためだけではなく、「日本に対しては、邪悪なる路より出でて、東洋の支持者たるの重責をまっとうさせる」ためである、と述べています。このことを私に教えてくれたのは、ほかならぬ和田先生の論文でした。

 先生、朝鮮民族の苦闘はまだ続いています。今後も長く続くことを覚悟しなければならないでしょう。ところで日本はもはや「邪悪なる路」を脱け出たでしょうか? 

先生が「わずかに開いた裂け目に身体を入れる思い」で、慰安婦問題解決のため尽力された、その個人的誠意は疑いを入れないものです。残念なことは、それが空転し、結果的に「連帯」を損ねたことなのです。先生のような方には、被害者救済のために個人としての熱意を注ぐ一方、国家に対してはもっとも原則的な批判の旗を掲げ続けていただきたい。その「原則」、いいかえれば「理想」を共有してこそ、「連帯」が可能となるからです。これは「万年野党」的な無責任を意味するものではありません。それこそが、「彼我の間に禍を遠ざけ、祝福をもたらす捷径」であるからです。

 あの険難な70年代、暗黒の中に「連帯」の可能性がありました。それこそが、先生ご自身が述べられた「日本人が、この侵略と収奪の歴史を否定して、朝鮮半島の人々との新しい関係を創造していく」可能性であったと思います。銀座通りの人ごみに消えてゆく先生の背中に、私はその可能性を見ました。現在、その可能性はますます遠ざかって見えますが、どうか、あの「初心」に立ち返っていただきたいのです。

最後に、具体的なお願いを申します。

 一、先生は「アジア女性基金」が失敗に終わったことを認めておられます。それならば、失敗の原因をたんに運動論の次元にとどまらず、思想の次元で深く掘り下げて考察していただきたいのです。そのことは、かつて竹内好『現代中国論』に触発された先生が、竹内の思想を受け継ぎ、発展させ、そこに潜在していた限界性をも超えて、日本人とアジア民衆の連帯へと進む思想的作業を意味するでしょう。

 二、昨年12月28日の「合意」は、先生が事前に示しておられた「被害者が受け入れ、韓国国民が納得できる」という基準に逆行するものであることが明らかです。そうである以上、和田先生として、この「合意」は直ちに撤回されるべきである旨の意思を表明し、合意撤回のために闘っている韓日の市民の側に立つと明らかにして下さい。

 三、朴裕河教授が自著で繰り返している見解は、和田先生から見ても同意しがたいものであるはずです。そうであるなら、それを明確に批判しないことは学問的誠実に反するでしょう。また、もし先生として朴教授の見解に同意されるのであれば、現在までのご自身の見解との齟齬について説明されるべきであると思います。朴教授の著作と言動について先生ご自身の見解を明示されることを求めたいと思います。

 末筆ながら、先生のご健康をお祈り申します。

 2016年3月1日 「三一独立運動」記念日に

※本稿の全文は日本で近刊予定の論集、前田朗編『「慰安婦」問題の現在』(三一書房)に収録される。

徐京植(ソギョンシク)東京経済大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-09-10 18:58

https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/734569.html

関連記事