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北朝鮮、金元大統領の訃報に沈黙...故金日成主席弔問のわだかまり?

登録:2015-11-23 23:15 修正:2015-11-24 09:19
金大中・盧武鉉元大統領の時とは異なり 
当時、金泳三政権が金日成主席への弔問中止
金正日・北朝鮮国防委員長の「特使弔意訪問団」として南側に来たキム・ギナム労働党中央委員会書記(白髪の人物)とキム・ヤンゴン労働党統一戦線部長(一番左)らが2009年8月21日、国会の金大中元大統領の公式葬儀室を弔問した後、遺族の前に向かっている=資料写真//ハンギョレ新聞社 

 労働新聞など北朝鮮メディアは、金泳三(キム・ヨンサム)元大統領の逝去から2日目の23日まで、関連内容を報じていない。

 2009年に金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が逝去した時とは様子が異なる。北朝鮮メディアは、金大中元大統領逝去の翌日の2009年8月19日、一斉に逝去のニュースを報じだ。当時の金正日(キム・ジョンイル)総書記は「残念にも金元大統領は逝去されたが、民族の和解と統一の念願を実現するための道に残した功績は、民族と共に語り継がれることになるだろう」という弔電を送った。その後、キム・ギナム、金養建(キム・ヤンゴン)労働党書記など弔問団6人がソウルを訪れた。盧武鉉元大統領の逝去当時も、翌日の2009年5月24日付の労働新聞などが逝去のニュースを報じており、25日には金総書記名義の弔電が遺族に伝えられた。

 このように北朝鮮が相反する反応を示しているのは、金泳三元大統領へのわだかまりのためと思われる。金元大統領は1993年2月の就任式で「いかなる同盟国も民族より優位に立つものはない」とし、非転向長期囚のリ・インモ氏を北朝鮮に送還するほど、南北関係の改善への意志が強かった。しかし、北朝鮮の核拡散禁止条約(NPT)脱退宣言により北朝鮮の核問題が浮上すると、「核兵器を持っている相手とは決して握手できない」として、北朝鮮に対する強硬基調に転じた。

 1994年7月、金日成(キム・イルソン)主席が死亡した時には“弔問”をめぐり南北関係は最悪の事態を迎えた。当時、金元大統領は、北朝鮮の核危機により戦争の瀬戸際まで突き進む危機を迎えたが、ジミー・カーター元米国大統領の仲裁で南北首脳会談に電撃的に合意し、南北関係の突破口を開いたように見えた。しかし、金主席が突然亡くなったことで、首脳会談は中止された上、金日成主席の弔問問題が浮上すると、金泳三政権はこれをいわゆる「主体思想派あぶり出し」の契機とするなど、大々的な公安政局を作りだして、南北関係は回復できない状況に追い込まれた。

 金泳三政権は当時、ビル・クリントン米国大統領が金主席の死亡に哀悼の意を示したことについても不快感を隠さなかった。当時、北朝鮮はこれに対して「常識以下の不遜と無礼」「大犯罪」などの表現で猛烈に非難した。北朝鮮の朝鮮中央通信は文民政府末期の1998年1月、「金泳三政権は最も凶悪な統一の敵」と非難し、南北関係は「史上最悪」と評価した。

キム・ジンチョル記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015-11-23 19:28

https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/718690.html 訳H.J

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