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[コラム]北朝鮮崩壊論と北朝鮮パラドックス

登録:2015-10-12 09:35 修正:2015-10-18 05:39

 43時間のマラソン交渉の末に「8・25」南北合意を得た2日後、軍から「斬首作戦」「作戦計画5015」など北朝鮮急変事態に関連する計画内容がリークされた。これは南北関係における我が方(韓国)の真正性を疑わせる大型事故だった。しかし政府が特別な措置を取ることはなかった。現政権と軍が、北朝鮮急変事態ー北朝鮮崩壊を基本と考えている現れであるためなのか。

 北朝鮮崩壊論は1994年夏から朝鮮半島で飛び交い始めた。南北首脳会談(7月25~27日)を半月後に控えた7月8日、金日成(キム・イルソン)主席が突然死去すると、専門家らが北朝鮮崩壊論を口にしだした。崩壊予想時期も3カ月以内、3年以内、さらには30日以内と様々だった。こうした中、吸収統一を前提とした統一費用の算定競争まで起きた。

 北朝鮮経済は80年代にゼロ成長となり、90年代からはマイナス成長を続けた。経済的側面からだけ見れば北朝鮮崩壊論が出てくる事情はあった。金日成主席死後、北朝鮮全体が恐慌状態に陥ると見ることもできた。そこへ食糧難まで重なった。このため当時の金泳三(キム・ヨンサム)大統領は北朝鮮を「故障した飛行機」に例え、崩壊を既定事実化した。政権上層部も大統領に習った。結果的に金泳三政権は南北関係の改善に関心を示さなかった。

 しかし金日成主席死後も北朝鮮は崩壊しなかった。世襲後継者の金正日(キム・ジョンイル)は3年喪を務め、その間に北朝鮮崩壊論をあざ笑うかのように「先軍政治」で北朝鮮の体制結束を固めていった。その後の98年4月、憲法を修正して金日成主席より権限がはるかに強化された国防委員長に就任した。

 金大中(キム・デジュン)政権は南北和解協力を推進したため、対北朝鮮政策において北朝鮮崩壊論は入り込む余地がなかった。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権でも同じだった。しかし李明博(イ・ミョンバク)大統領は自ら北朝鮮崩壊論を先導した。「統一は泥棒のようにやってくる」「統一は差し迫っている」とまで言った。政府は統一費用を概算して発表した後、統一基金を集めるとして「統一壷」まで作った。南北関係が行き詰った状況でのこうした動きは、北朝鮮崩壊を前提にしたものという他はない。

 朴槿恵(パク・クネ)政権になり北朝鮮崩壊論はさらに弾みをつけている。昨年1月6日の記者会見で朴大統領は「統一は大当たり」と力を込めて訴えた。その後、統一準備委員会を構成した。「北朝鮮エリート処理法案」を研究するという話まで飛び交った。7月10日の統一準備委員会会議で朴大統領は、「来年にも統一は訪れるかもしれないので準備をもっと上手にやってもらいたい」と指示した。北朝鮮急変事態ー北朝鮮崩壊が差し迫ったと信じていなければできない言動だ。

 ここまで崩壊が既定事実化されているというのに、北朝鮮はなぜまだ崩壊しないのか。今も脱北者が出ている経済状況、叔母の夫まで銃殺する無慈悲な政治状況を考えれば、北朝鮮崩壊の要因はある。しかし一つの体制は崩壊要因と共に維持要因も持っている。まるで人の体に発病要因と共に免疫力など予防要因もあるように。外部から崩壊要因として重視される鉄拳政治ー恐怖政治、それが逆説的に北朝鮮体制維持要因として作用する。人口の10%だけが体制から恩恵を受ければ、残りの90%を抑えつける体制を維持できるという政治理論もある。北朝鮮は人口2500万のうち300万の労働党員と115万の軍隊を通し類例がない統制社会を維持している。このような状況で誰が反体制を夢見て勢力を組織することができるというのか。こうした現象を「北朝鮮パラドックス」と言うことができよう。

チョン・セヒョン金大中平和センター副理事長・元統一部長//ハンギョレ新聞社

 北朝鮮崩壊論は20年以上も朝鮮半島を亡霊のように徘徊している。南側に進歩的政権が誕生すれば姿を隠し、保守政権が生まれると真昼でも活発に動き回る。それでも北朝鮮崩壊論は現実に具現されないままだ。であるならどうすべきなのか。北朝鮮崩壊を信じ「統一準備」にだけ力を注げば南北関係は悪化し、北の小さな変化も誘導できない。しかしひとまず北朝鮮体制の維持を前提に南北関係を改善していけば、軍事緊張も減らせ、北朝鮮の変化も誘導することができるはずだ。

チョン・セヒョン平和協力院理事長・元統一部長官(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-10-11 18:44

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/712285.html 訳Y.B