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民主化の巨山、金泳三元大統領逝去

登録:2015-11-23 01:12 修正:2015-11-24 15:53
国葬で26日に告別式
金泳三元大統領の次男キム・ヒョンチョル漢陽大特任教授が22日午前、ソウル・鍾路区のソウル大病院葬儀場に用意された葬儀室で弔問客をむかえている=写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 朴正煕(パク・チョンヒ)維新独裁と全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事政権と真っ向から戦って「文民大統領」の時代を開き、退任後に特有の切れのある声で、ためらうことなく朴槿恵(パク・クネ)大統領を批判していた彼だったが、時の流れには勝てなかった。今月19日、高熱でソウル鍾路(チョンノ)区蓮建(ヨンゴン)洞にあるソウル大学病院に入院した金泳三(キム・ヨンサム)元大統領が、集中治療室で治療を受けていたが、敗血症と急性腎不全で22日0時22分に逝去した。金大中元大統領と共におよそ半世紀「両金時代」を率いて韓国現代史の一つの軸となった大韓民国第14代大統領(1993〜1998)は、次男ヒョンチョル氏に見守られ、88年間の栄辱の人生を終えた。

 政府は同日、政府ソウル庁舎で、黄教安(ファン・ギョアン)首相主宰で臨時閣議を開き、金元大統領の葬儀を初の国葬で行うことを議決した。葬儀委員長は黄教安首相が務める。告別式は26日午後2時、汝矣島(ヨイド)国会議事堂で開かれる。マレーシアを訪問中の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、金元大統領の逝去に「深い哀悼の意を表し、故人の冥福を祈る。政府は関連法と遺族の意思を尊重し、礼を尽くして葬儀を準備する」と述べたと大統領府は明らかにした。金元大統領の墓地は、ソウル銅雀(トンジャク)区の国立顕忠院将軍第3墓地の右側の尾根に用意される予定だ。

 桎梏の韓国現代史の中心に立っていた金元大統領は、それだけ栄辱と明暗が入り混じる足跡を残した。「巨山」という号にふさわしく、彼は韓国の民主化の大きな山だった。1954年、自由党候補として最年少(27歳)国会議員として政界に入門した後、1960年には朴正熙の5・16軍事クーデター以降、民主化闘争の主軸に乗り出した。1970年には「40代旗手論」を掲げて新民党の大統領候補に挑戦するなど、朴正煕政権に立ち向かい、党総裁と国会議員職から除名された。朴正煕元大統領が金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長の銃に暗殺される10・26事態の導火線となった釜馬抗争の発端も「金泳三議員除名」事件だった。金元大統領は全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部政権でも1983年に民主化5項目の収容と野党の中心人物の釈放などを要求して軟禁された。当時の23日間のハンスト闘争は民主化闘争の起爆剤となり、1987年の大統領直接選挙制度直選への改憲を成し遂げる基盤となった。

 1993年に軍部支配を終わらせて「文民大統領」となってからは、自分の財産の公開を皮切りに、高位公職者の財産公開制度を導入するなど、果敢な改革を成し遂げた。黒い資金を遮断するための金融実名制、軍の私組織である「ハナ会」の解体、高位公職者に対する大々的な不正腐敗清算も進めた。裏金蓄財と軍事クーデターの責任を問い、全斗煥・盧泰愚(ノ・テウ)元大統領を拘束するなど、“歴史を正す”作業も押し進めた。

 22日、金元大統領の葬儀に訪れた弔問客たちも、与野党の立場を離れ、口を揃えて金元大統領を「民主化の大きな星」と称賛しながら、彼の業績を振り返った。

 1984年の民主化推進協議会に参加したことを契機に、金元大統領と交流を始めた「上道(サンド)洞派」の金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表は、「彼は最初の文民政府を開いた大統領であり、大統領の在任中、誰も真似できない偉大な改革の成果を作った不世出の英雄」と回顧した。文在寅(ムン・ジェイン)新政治民主連合代表は「『鶏の首を折っても夜明けは来る』と語った金元大統領の民主主義に対する精神と哲学を、私たちが改めて称えて継承するとき」と述べた。

 しかし、金元大統領の“功”と同様、落とされた“罪”の影も大きい。金元大統領は、統一民主党代表時代の1990年、盧泰愚大統領の要請を受け入れ、3党合党(民主正義党、統一民主党、新民主共和党)に参加した。自分の闘争対象だった独裁勢力と手を組むと共に、金大中元大統領と湖南(全羅南道と全羅北道を合わせた地域)を孤立させる、韓国政治の退行を主導したのだ。当時作られた嶺南(慶尚南道と慶尚北道を合わせた地域)・保守覇権主義の構図はいまだに破られていない。

 大統領在任後半には、次男ヒョンチョル氏の国政介入と韓宝疑獄の関与、ホン・インギル大統領府総務首席など側近たちの権力型不正が明らかになり、経済政策でも無理な民営化とグローバル化などで、1997年に国際通貨基金(IMF)の救済金融事態を招いて、最悪の成績を残した。

金泳三元大統領が1993年の大統領就任式後カーパレードをしながら市民に向かって手を振っている。金元大統領は、血液感染の疑いのある症状でソウル大学病院の集中治療室で治療を受けていたが、22日明け方0時22分に死亡した=連合ニュース

ファン・ジュンボム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015-11-22 19:27

https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/718540.html 訳H.J

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