登録 : 2015.11.23 09:35 修正 : 2015.11.23 13:35

22日、ソウル鍾路区のソウル大病院に用意された金泳三元大統領の葬儀室に金元大統領の遺影が掛けられた=写真共同取材団//ハンギョレ新聞社
 金泳三(キム・ヨンサム)元大統領は時代の風雲児だった。YSという別称がより身近だった彼は、韓国政治史で永遠に消えることのない太く鮮明な足跡を残した政治の巨木だったといえる。民主化のために粘り強く戦った不屈の闘士であり、軍人出身大統領の時代を終わらせる「文民政府」の幕を開いた主人公でもある。大統領に当選した後は果敢な変化と改革措置で国を一段進展させる出発点も用意した。彼はまたドラマチックな政治的変身の主人公でもあった。政治人生の第1幕が民主化闘士だったなら、第2幕では保守政治勢力の求心点となり劇的に方向転換をした。この変身は今も韓国政治に長く暗い陰を落としたままだ。故金大中(キム・デジュン)元大統領と共に栄誉と恥辱の韓国政治史を牽引した彼の死は、「両金時代」と言われた一時代が完全に歴史の中に消えたことを意味する。

 故人が残した語録は数えきれぬほど多いが、その中でも長く記憶される名言は、おそらく「鶏の首を折っても夜明けは来る」であろう。冷酷だった軍事独裁の維新時代の末、故人が国会議員を除名された後に語ったこの言葉は、後に現実となる。彼に対する国会議員除名は釜山(プサン)・馬山(マサン)抗争を触発させる導火線になり、それが結局、朴正煕(パク・チョンヒ)政権の終焉につながった。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時代に命をかけた23日間の超人的な断食闘争も、岩のように頑丈に見えた独裁政権に亀裂をもたらす起爆剤となった。今この時、金元大統領の逝去が何より悔やまれるのは、故人のこうした努力が無駄になり、韓国の民主主義が限りなく後退しているからに他ならない。「夜明け」がきたと思ったのは束の間の錯覚に過ぎず、今でも「鶏の首を折る」行為が続いている。この地の民主主義を生み出した主役の死の前で、このことを再び尋ねざるをえない。

1987年10月、高麗大で開かれた「挙国中立内閣争奪実践大会」で野党圏候補単一化を控え終始硬い表情の金泳三氏と金大中氏//ハンギョレ新聞社

■ 歴史の一翼を担った改革

 大統領在任時期、彼が電光石火で成し遂げた公職者財産公開、「ハナ会」の粛清、金融実名制の実施など相次いだ改革措置は、歴史の一翼を担ったと評価できる立派な業績である。一連の措置により韓国社会は初めて軍部再登場の悪夢から抜け出せたし、黒い金の遮断と経済の透明性、公職社会の倫理的責務などの単語に視線を転じることができた。故人の改革措置は、その方向の正しさだけでなく、改革のタイミング、事前準備のち密さ、推し進める底力など方法論の面からも、後に続く政権が見習うほどの手本となった。それに比べれ現政府が推進する改革措置を思うと失望を禁じ得ない。それは改革という言葉が似合わないほど時代逆行的で、方法論も故人の足元にも及ばない。

 だが、故人の政治経歴には光だけでなく、深く暗い陰も落とされている。何より彼は、故金大中元大統領と共に韓国の政治を地域主義の泥沼に導いた張本人だ。1987年の大統領選挙における両者の候補単一化の失敗は、民主勢力の分裂はもちろん地域葛藤を固定させる決定的な分岐点となった。それに加えて故人は「3党合党」を通じ、地域主義を逆戻りできない韓国政治の定数にさせてしまった。その弊害は今も受け継がれている。釜山・馬山抗争で一時「民主化の聖地」と称えられた地域は保守政治勢力の票田に変貌している。故人が作りあげた韓国政治風土における“傾いた運動場”はことあるごとに韓国政治を困難に陥らせる役割を果たしてきた。そのことと比較すれば、彼が大統領在任時に国家を外国為替危機に陥らせた誤りなどは強く非難することでもない。

1990年1月、盧泰愚大統領(中央)、金泳三民主党総裁(左)、金鍾泌共和党総裁(右)が大統領府で緊急3者会合を持ち、3党を主軸にした新党創党の合意を発表している//ハンギョレ新聞社

■ 3党合党で政治経歴に汚点

 彼が残した負の遺産は、彼の“政治的弟子”たちの政治に克明に現れる。彼らが民主化の闘士だった故人と共に独裁政権に対抗して戦った人々なのか疑わしくなってしまうほどだ。最も代表的な人物が金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表だ。金代表は故人が逝去すると直ちに葬儀室を訪ね「金泳三大統領は私たちの社会の民主化を実質的に成し遂げられた政治指導者」と哀悼し、自らを「金泳三大統領の政治的息子」と語った。しかし朴槿恵(パク・クネ)政権の反民主的形態にブレーキをかけるどころか様々な理念論争まで持ち出し、率先して民主主義を後退させている金代表を見ていると、YSの政治的息子とかくも容易に口にするのが理解できなくなる。

 故金泳三元大統領は波瀾万丈だった政治経歴の幕を閉じ、永遠に歴史の彼方に去った。そして彼が残した遺産はこの地の政治家が担うべきものとして残された。金元大統領の葬儀室には数多くの政治家らが駆せ参じ、故人の逝去を哀悼して生前の高い志を称えている。しかし、それが口だけの哀悼、恰好だけの追慕であってはならない。輝く遺産はさらに継承発展させて光を加え、負の遺産は正すのは、この時代の政治家すべての責務である。故人の冥福を心から祈る。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-11-22 18:34

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/718513.html?_fr=mt0訳Y.B

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