登録 : 2015.07.19 23:37 修正 : 2015.07.20 07:27

1991年に韓国に来た後24年間磨石家具公団などで未登録移住労働者として生きてきたロジャーが故郷のフィリピンに戻る前日の18日、京畿道南揚州市の外国人勤労者福祉センターで贈呈された十字架を持っている。 円内は1995年当時の彼の写真だ=南揚州・キム・ポンギュ記者//ハンギョレ新聞社
 

1991年、観光ビザで入国したロジャー
ジャンバー工場・磨石家具工業団地などで働き
酒や賭博に溺れた労働者を正しく導き
彼らの間では“市長”と呼ばれた
ついに取り締まりにかかり昨日フィリピン帰国
「世の中に“不法人物”はいない」哀訴

 19日午後8時55分、仁川(インチョン)国際空港。 マニラ行きエアアジアZ2085便のドアが閉まり機体が117番ゲートから離れると、フィリピン人労働者ロジャー氏(51)はようやく安堵した。 離陸と共に20代から寝ても覚めても彼をおびえさせ続けた出入国管理事務所による取り締まりの恐怖も滑走路と共に遠ざかった。このようにして24年間“不法人物”と呼ばれた一人の未登録移住労働者が韓国を去った。

 ロジャーは23歳だった1991年12月、フィリピンにはない季節“冬”の寒風に生まれて初めて吹かれ、韓国の地で第一歩を踏んだ。 観光ビザで入国した彼は知人の紹介でソウル面牧(ミョンモク)洞にある革ジャンパーの工場で仕事を始めた。 裁断された皮革に接着剤を塗り、しわがよらないよう槌でたたいて拡げるのが彼の仕事だった。 1993年5月、磨石(マソク)家具工業団地に職場を移したのは、口癖のように「この野郎、あの野郎」と浴びせ続ける面牧洞の社長の悪口のためだった。 京畿道磨石の小さな工場で家具を作る仕事を身につけた。

 「そこも全く同じだった。朝9時からが仕事なのに、8時40分に出勤しても社長が「オイ、この野郎、どうして早く出て来ないんだ」と罵った。 私が『社長、どうしてですか。私が何を間違えたのですか?』というと言わなくなった。 ところが、今度は大きく変わった」。17日、磨石家具工業団地にある家から故郷に持っていく荷物をまとめたロジャーがフルーツジュースを飲みながら言った。 磨石には移住労働の苦悩を分かち合うフィリピン同胞も多く、工場の雰囲気に本当に耐え難い時には移れる工場が並んでいるおかげで、家具工業団地の労働者の中で最も長い22年2カ月も頑張れたと言ってロジャーは笑った。

 飛び散るおがくずとホコリ、接着剤と家具用塗料のきつい臭い、毎日続くつらい夜勤にもかかわらずロジャーを毎日工場に通わせたのは、家族を扶養しなければならないという責任感だった。 通常の東南アジア移住労働者と同じだ。 この頃、韓国人観光客がたびたび訪れるフィリピンのミンドロ島には彼の母親と弟、そして息子二人が暮らしている。大学で警察学を専攻している長男と二番目の息子は、磨石家具工業団地で出会ったフィリピン女性との間に生まれ、ロジャーのまだ若い時に故郷へ送られた。ロジャーの労働が彼ら一家の暮らしの“経済的基盤”だ。

 ロジャーが1995年に家具工業団地でフィリピン人労働者の代表になった時も、磨石家具工業団地では一日も喧嘩が絶えなかった。 異郷で暮らす苦労のために酒を飲んだフィリピン、バングラデシュ、ネパール、ベトナムの人々が互いに争うことが日常茶飯事だった。 賭博も移住労働者社会を蝕む“社会悪”だった。 ロジャーはフィリピン代表になると、他国の共同体代表と共同会議を開き、問題解決に乗り出した。 賭博と酒を自制させ、一部のやっかい者には共同体次元で対応した。 工業団地はそんなふうにして平温を得るようになった。 フィリピン人労働者たちが彼を“メイヤー(市長)”と呼び始めた。

 磨石家具工業団地で南揚州(ナムヤンジュ)外国人勤労者福祉センター館長を務めているイ・ジョンホ神父は、「ロジャーはフィリピン労働者が事故で困難に陥れば、自分の月給をはたいたり共同体募金をして助けた。工業団地のフィリピン人共同体のために神様が遣わした天使だ」と話した。ロジャーは1996年頃、工業団地の入口で起きた交通事故で炎上する車に一人で飛び込み韓国人を助けたこともあり、今年3月には工業団地で起きた火災の鎮圧に出動し崩れた塀の下敷きになった消防署員を救助しもした。 それでも、ロジャーは韓国政府にとって“不法滞留者”だった。 家具工業団地で18年間にわたり未登録移住労働をしているフィリピン人女性マリアン(40、仮名)は「メイヤーは本当に優しくて多くの人を助けてくれた。 長くここで暮らしたが、いなくなると聞いてさびしくなる」と話した。 フィリピン人労働者100人余りは18日午後、福祉センターに集まりロジャーのための盛大な歓送パーティーを開いた。

 そんな彼を最も困らせたのは何といっても出入国管理事務所の“不法滞留者”取り締まりだ。 滞留ビザがないという理由で、工業団地の路地や磨石市内などで取り締まりにかかり、この地からいなくなった移住労働者は珍しくない。 24年頑張った彼も、4月20日に工場に押しかけて来た取り締まり班員の手から逃れることはできなかった。

 「ふらっと工場に入ってきて『オイ、ビザあるか?』と訊く。『ありません』と言うと、その場で捕まえて行った。 取り締まりが来るのが本当に恐かった」。その日、ロジャーの働く工場で5人の未登録移住労働者が逮捕された。 いつものようにフィリピン人労働者1人は取り締まりを避けて逃亡し、脚に大ケガをした。 楊州外国人保護所に3日間監禁されたロジャーのために、イ・ジョンホ神父が供託金300万ウォンを払い3カ月間の一時保護解除を勝ち取った。

 「他の国では(不法滞留が)数年に及べばビザを与える。 ところが韓国は、10年、20年になってもビザを与えない。 この世の中に不法(滞留)人物などいない」。米国やオーストラリアをはじめ人材輸入国であるヨーロッパなどでは、たびたび未登録外国人に永住権をあたえる大赦免を実施している。 バラク・オバマ米国大統領も昨年末に韓国人数万人を含め不法滞留外国人約400万人が滞留ビザ発行恩恵を受けられる赦免方針を発表した。 だが、移住労働者180万人時代を迎えた韓国では他人事のようだ。犯罪という塀を作って、24年間誠実に仕事をして共同体に寄与したロジャーような人でも、いつでも引っかかれば追い出される。

 イ・ジェジョン京畿道教育監(教育委員会委員長に相当)が12日、工業団地内の聖堂でロジャーに会い、「申し訳ない」と話したのはこのためだ。聖公会大総長出身で、磨石家具工業団地にある聖公会聖堂でミサをたびたび執典し、ロジャーをよく知っている教育監は19日、ハンギョレとの通話で「ロジャーのように優しくて献身的で、共同体の結束のために求心点の役割をしてきた人を抱きとめられずに追い出して、申し訳なく、このような韓国社会が現実が残念だ」と話し、「韓国ももう、犯罪を犯さずに韓国で5年以上働いた未登録移住労働者には永住権を与える時になった」と話した。

南揚州/チョン・チョンフィ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-07-19 19:36
http://www.hani.co.kr/arti/society/labor/700876.html 訳J.S(2917字)

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