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[ニュース分析] 朴槿恵大統領の「背信トラウマ」が「復讐コンプレックス」に

登録:2015-06-27 10:13 修正:2015-06-27 18:01
朴槿恵大統領が25日午前、大統領府で開かれた閣僚会議で冒頭発言をしている =大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社

父の側近の“背信”に深い心の傷
背信に対する執着が復讐の誓いに
“親朴”だった金セヌリ党代表とユ院内代表に感じた背信
金代表には「公認脱落」で復讐
今度は大邱の有権者に「ユ落とし」を訴え
大統領のトラウマとコンプレックスは国家的悲劇

 トラウマはコンプレックスを生む。トラウマという名の「過去のなにかの心理的衝撃」が積み重なってコンプレックスの塊りに凝固する。スイスの精神医学者カール・グスタフ・ユングは「感情的に強調された心理が通常の意識活動を邪魔する現象」をコンプレックスと定義した。何かに心を過度に奪われ他のことをほとんど考えることはできない状態だ。

 朴槿恵(パク・クネ)大統領の心理の底辺で「背信トラウマ」が渦巻いているいるとの分析は広く知られてきた。朴大統領は25日、国会法改正案に対する拒否権を発動し「背信の政治に対する国民審判」を取り上げて論じた。MERSを広めた責任者に対する国民審判ならばともかく、総選挙まで10カ月も残っているのに背信の政治を審判しろという大統領の要求は、あまりにも突飛だ。大統領が何かに大きく心を奪われた末、他のことをまともに考えることができない状態になっているようで心配でならない。大統領の「背信トラウマ」がもはや通常の意識活動を邪魔するコンプレックスの段階に達したと見ても飛躍ではなさそうだ。

■ 背信トラウマが意識活動を邪魔するコンプレックスに

 トラウマ(trauma)を普通「精神的外傷」と翻訳するが、心理学では「永久的精神障害を残す衝撃」と呼ぶ。トラウマがある事実は恨んだり非難すべきものではない。誰にだってトラウマはある。フランスの天才詩人ランボーもかつて「傷のない魂がどこにあろうか」と詠じたではないか。トラウマは必ずしも悪いものではない。トラウマはより成熟した人間を作ることもある。大きなトラウマを体験して心理的に成熟する場合を心理学者は「外傷後成熟(Post-Traumatic Growth)」と呼ぶ。

朴槿恵大統領の著書//ハンギョレ新聞社

 朴大統領のトラウマは背信だ。日記や自叙伝で背信に関する辛い経験をしばしば吐露している。

<今日、昔の写真を整理していて人生の儚さを再び感じた。その一人ひとり、当時私が知っていた彼らと、今私が知っている彼らに終始一貫した場合はむしろ珍しかった。誰もが変わり、そしてまた変わり、その時その人がこんなふうに裏切り、こんなふうに変わっていったことをどう考えればいいのか。今の私の周辺も数年後どう変わっているのか分からないことだ。>

 1991年2月10日に書いた日記に出てくる一節だ。2007年に出版された自叙伝『絶望は私を鍛え希望は私を動かす』ではこんな話が登場する。

<人が人を裏切ることぐらい悲しく良くないこともないだろう。維新時は『維新だけが生きる道』と叫んでいた人々が、父の死後『あの頃は力の前で反対などできたか』と話すのを見て、人生の虚しさに襲われた。>

 理解できる側面がある。朴大統領は若い頃、母親に代わってファーストレディーの役割をしながら権力の頂点にあったが、後日、「独裁者の娘」と言われて隠遁生活を余儀なくされた。権力の中心部にいた時に信じた人々が、権力から押し出されるとあっという間に背を向けた時に経験した辛い「背信の思い出」が深い傷に残ったのだろう。だが、どんなことでも行き過ぎは病気になる。トラウマに過度に反応すればコンプレックスになる。「コンプレックスというのは特定の状況に対し過度に防御する行為だ。過去の衝撃的経験に関連した信号をすべて危険として受け入れて防御的行動をする。ここにコンプレックスの危険がある」。ソウル大心理学科のクァク・クムジュ教授はコンプレックスを扱った著書『心に刺された一本の釘』でこう分析した。背信に対する執着は復讐の確約につながる。背信に歯ぎしりするほど復讐に対する確約はより一層深く浸み込む。朴大統領が「背信トラウマ」に過度に反応するほど「複数コンプレックス」にとらわれる可能性が高くなる。

チョン・ユンフェ氏が今年1月19日、ソウル中央地裁で開かれた加藤達也・前産経新聞ソウル支局長の朴大統領関連疑惑報道事件の公判に証人として出頭している=キム・ソングァン記者

■ 裏切りに対する嫌悪…能力より忠誠度で起用

 一国の大統領が過去のトラウマに過度に敏感な反応を示せば様々な副作用をもたらえすことになる。裏切りに対する極端な嫌悪は、何より適材適所の人事を困難にする。能力がいくら優れている人でも忠誠度が立証されなければ重責を任せない。能力より忠誠度を最優先し人材を起用して評価するためだ。昨年末に起きたチョン・ユンフェ氏ら「大統領府秘書陣3人組」の国政介入疑惑も、朴大統領の「背信トラウマ」から始まったとする分析が多い。人を簡単に信じることができないから朴大統領と長く仕事をしてきた少数の側近が国政に過度な影響力を行使することになったのだ。“不通”にしても同じだ。ひょっとして裏切ったりしないだろうかと心配するので簡単に心を開くことができない。これではまともに疎通できるはずがない。

 「背信トラウマ」は義理に対する過度な執着につながる。「義理がなければ人でもない」(2011年にソ・チョンウォン元代表と青山会に送った送年メッセージ) 。「有難いと思う人は私に一杯の水を与えてくれた人ではなく、心が時流により一進一退せず真実の態度で一貫した人たち、本当に輝く彼らだった」(自叙伝)。 2009年8月にはハンナラ党のシム・ジェヨプ元議員の江陵(カンヌン)選挙事務所開所式に参加し「人の道理のうちには義理を守るということがあります。義理がない人は人と呼べないでしょう」と語った。名分と価値は捨て、ひたすら義理だけ叫ぶ政治なら組織暴力集団とどこが違うのか。

セヌリ党ユ・スンミン院内代表が25日午後、国会での議員総会を終え進退を問う記者の質問に「(辞任要求は)もっと上手くやれというムチとして受け入れる」と答え無言で立ち去っている=イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

■ 名分と価値の代わりに義理だけ叫べば組織暴力集団

 信頼して頼った人から裏切られた思う時、傷はより一層深くなる。受けた傷ほどに懲らしめ報復しなければならないという考えがちだ。朴大統領の「背信トラウマ」も側近の裏切りにより一層強く反応した。金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表が代表例だ。金代表は一時「援助親朴槿恵」と知られた人物だ。朴大統領が2005年にハンナラ党代表をする時は事務総長を担い、2007年の大統領選候補選挙戦の時も選挙を陣頭指揮した。だが、金代表が2010年に世宗(セジョン)市修正案を支持し別の道を歩みだした途端、朴大統領は「親朴には座長がない」と決別を宣言した。そして2012年4月の第19代総選挙で金代表を公認から脱落させた。金代表が裏切ったと思った朴大統領は徹底して復讐した。金代表が最近、朴大統領と衝突する度に卑屈なほどぺこぺこする態度を取るのも、この時の苦い経験から始まったと分析されることが多い。

 朴大統領は今回、セヌリ党のユ・スンミン院内代表の額に「裏切り者」という鮮明なレッテルを刻み込んだ。 「与党の院内指令塔」と名指した上でユ院内代表が除去する標的であることを隠そうとしなかった。朴大統領は国会法改正案に対する拒否権発動を明らかにし、「背信の政治は必ず選挙で国民の審判を受けねばならないだろう」と断じた。前後の文脈を考えればユ・スンミン議員の大邱(テグ)東区乙地方区有権者に来年の総選挙で落選させてほしいと遠慮なく要求したのだ。「選挙の女王」と呼ばれる朴統領が政治的根拠地である大邱の有権者に「ユ・スンミンを落とせ」と万民の前で公表したのでユ・スンミン院内代表も足元がふらつき茫然としたことだろう。ユ院内代表が26日、「朴大統領に繰り返し申し訳ないと申し上げ、大統領も私どもに心を開いて下さるのを期待する」とひれ伏して頭を下げたのも理解できる。政治とはこれほど下品なのかと苦笑いが出てくる話だ。ユ院内代表も朴大統領と「代表と秘書室長」と呼吸を合わせた主要な側近だったが、院内代表選挙戦で親朴系議員が支援したイ・ジュヨン議員を破り政治的に完全に決別した。

 なんという偶然なのか。国政のパートナーである与党の代表と院内代表が、一時は側近だったが背を向けた人たちなのだから、朴大統領としても我慢ならないことだろう。だが彼女は一国の大統領だ。背信トラウマを追い払うことができなければ絶対に国政を正しく導くことなどできないだろう。トラウマとコンプレックスは時に人を破壊と破滅に導く。大統領がトラウマとコンプレックスに閉じ込められているのは、国家的に非常に危険な兆候だ。

イム・ソクキュ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-06-26 23:32

https://www.hani.co.kr/arti/politics/bluehouse/697762.html 訳Y.B

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