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[寄稿]韓国に残る日本軍遺跡と登録文化財

登録:2015-06-02 09:31 修正:2015-06-02 11:29
 明治産業革命遺産を世界文化遺産として登録する問題を巡り、韓中日3国の間で激しい外交折衝が続いている

 日本は西洋を除き初めて近代産業社会を遂げた自らの歴史を証明する貴重な資産として、23施設を遺産に申請した。これに対し韓国は、そのうち7施設に約5万7000人の韓国人が強制的に動員された事実を知り、日本の動きを牽制してきた。

 5月23日に開かれた東京会談でも互いの意見の差を縮めることができなかった。日本は23施設が「韓国併合以前に産業化に成功した点を示すことで、他の時代に作られもの」であることを主張した。時期が異なるという日本の反論に対し韓国は、強制動員に関連した歴史的事実を必ず反映しなければならないという立場を明らかにした。

 韓国が日本の登録の動きに対応する幅は狭くない。7産業施設の登載自体を反対できるし、でなければ28日に開かれるユネスコ世界遺産委員会の決定文に強制動員を明示させたり、関連施設に記念碑を設置するなどの妥協もできる。歴史の真実を守りながらも、日本人の文化遺産であることを尊重するという点では、後者の方案がより適切な対応といえる。

 一方で文化遺産登録に関連し考えてみるべきことがある。韓国が問題視している産業施設は「負の遺産」に該当する。韓国にも日本の侵略戦争や植民地支配に関連した否定的な遺産が非常に多い。私たちはよく、否定的遺産に関連した記念物として韓国銀行本館のような都心に残っている建築物を想起する。これよりはるかに多い遺産が、日本軍関連施設と施設地である事実を知る人はあまり多くない。日本軍関連遺産を確認できる代表例がソウル・龍山(ヨンサン)の米軍基地だ。龍山米軍基地にある日本軍施設は、軍事的次元を越え、朝鮮半島での植民と冷戦、戦争と分断を圧縮的に物語る。

 これと似たメッセージを投げかける日本軍関連遺跡は全国に散在する。光州、大邱、大田、釜山、蔚山といった広域市ばかりか済州島や南西海岸沿いに数多くの施設が残っている。だが、ほとんど放置されたり管理名目で一般人の接近自体を阻んでいる場合が多い。

 その上、韓国軍や米軍が使用しているので保存状態が良好な施設もある。洞窟をブドウ貯蔵庫として活用したり、加徳島のように施設地を観光資源化して安定的に管理している場合もある。だが、それらの場所は文化財という観点で接近してこなかった。地域住民の生活の痕跡が埋まる歴史と文化遺産という側面も見過ごされている。体系的で詳細な調査を基に歴史化しないまま、経済的にだけ接近してきた。

 実用的な接近は日本軍軍事遺跡と地方史教育の連係を難しくさせる。歴史性が除去されることにより反省的な省察も難しくする。また、こうした接近を通じることなく、反日議論だけにとらわれぬ、平和と共存を考える芽を芽生えさせることはできない。

 滅失と損傷の恐れがある日本軍施設のうち、地方の歴史と文化的背景になるものは登録文化財でとして管理すべきだ。日本軍施設は、朝鮮半島と東アジアを侵略して支配した日本の姿を確認できる具体的素材であるためだ。これは否定的な性格の遺産であっても世界遺産として登録できるというユネスコの趣旨とも一致する。こうした接近をすることにより、日本には資格要件を備えるよう求め、自分たちの「負の遺産」を登録文化財とするのに躊躇するという矛盾した態度を克服することができる。 また、民族史と地域史を地方の文化財を通じて具体的に考えることができる。

シン・ジュベク延世大学HK研究教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-06-01 18:52

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/693725.html 訳Y.B

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