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[ニュース分析]許宗萬議長・家宅捜索は朝鮮総連没落の劇的な象徴

登録:2015-05-23 08:57 修正:2015-05-24 05:43
2001年5月25日に開幕した総連第19回全体会議で、金日成主席と金正日国防委員長の肖像画を背景に、当時の会長団が座っている。中央が徐萬述第1副議長、その右が許宗萬責任副議長=資料写真//ハンギョレ新聞社

在外同胞は政府の説明通り「国家資産」なのか? 在日韓国人の歴史は祖国の分断の歴史に通じます。数奇で悲しい歴史がそこにあります。民族教育を主導し、一時は在日コリアン社会を主導した総連が、かなり前から危機に陥っています。政治と経済がともに退行する北朝鮮を擁護し、若い世代に敬遠され続けています。最近の国際面の記事は総連の没落を端的に示しています。記事の脈絡を探ってみました。

 在日韓国人社会は韓国現代史の鏡でもある。分断された祖国は彼らに選択を強要してきた。南北関係の変化が在日韓国人の選択に影響を及ぼしてきた。

 日本の京都府警などで構成された合同捜査本部は今月12日、輸入が禁止された北朝鮮産マツタケの密輸事件と関与した疑い(外国貿易法違反など)で、在日朝鮮人総連合会(総連)系の食品会社「朝鮮特産物販売」代表理事のキム氏(70)や社員のホ氏(50)など3人を逮捕し調査中だ。社員のホ氏は許宗萬(ホ・ジョンマン)総連議長(80)の次男だ。これに先立ち日本の警察は、密輸事件と関連し3月に許議長と南昇祐(ナム・スンウ)副議長の自宅を家宅捜索した。日本の捜査機関が今年で結成60年になる総連の議長の自宅を家宅捜索したのは、今回が初めてだ。家宅捜索は数年続いた総連の没落過程を象徴している。

■ 資金も本部建物も失い、同胞からの信用も失う

許宗萬責任副議長=資料写真//ハンギョレ新聞社

 危機が繰り返されること自体が危機の兆候だ。8年前にすでに深刻な危機説が提起されていた。「同士を失った総連…息を潜める在日朝鮮人―高まる“弾圧”の不安感」「『帰化が増える』と心配」「『北にお金を出すのは無理』と批判起きる」。2007年6月20日付ハンギョレの記事のタイトルだ。

 「最も心配なのは在日コリアンに対する偏見や蔑視が助長されないかだ。いつだって庶民が最も苦労する。今は不安感いっぱいで息を殺している」。総連の象徴だった中央本部の建物と土地に対する東京地方裁判所の仮執行宣言判決が下された(2007年6月)19日、川崎市交流館のベ・ジュンド館長は、在日同胞が感じる衝撃と不安をこう説明した。カン・チョル大阪経済法科大学客員教授は東京新聞とのインタビューで「今回の判決は単純な金銭問題に限定されず、在日朝鮮人に致命的影響を及ぼす」と述べ、「総連が主な施設から立ち退けば、民族教育と自主性の拠点を失い同胞の間で帰化する動きも強まる」と憂慮した。カン教授は「拉致事件は許されることではないが、これを口実にした在日同胞弾圧の動きも見える」と指摘した。”

 この記事は2007年の総連中央本部売却事件を扱っている。1955年に結成した総連は、一時、数十万人の会員を誇った。北朝鮮が金正日(キム・ジョンイル)、金正恩(キム・ジョンウン)体制と続くなかで、反省もなく北を追従し、同胞から無視され始めた。その間、韓国は経済発展と民主化を同時に達成した。若い世代の在日コリアンは父の世代とは違う。北朝鮮のパスポートより世界各国に行ける韓国のパスポートを選び出した。総連本部の建物売却は、総連の歴史の裏面となる。

 総連の歴史で全盛期は、逆説的に同胞の混乱時期だった。在日コリアンは第2次大戦後、日本社会での就職、事業など様々な社会生活で差別を受けた。銀行の貸し出しも容易ではなかった。1950年代の差別の実状が在日韓国人小説家の梁石日(ヤン・ソギル)の『血と骨』に描写される。俳優キタノ・タケシが主役を演じ映画化された小説だ。「(当時の日本の)銀行は在日朝鮮人がローンを組むのを認めようとしなかった」(血と骨より)。“ローン”とは銀行が会社の売り掛け債権を買う代わり債務を受けることを意味する。日本の銀行が在日韓国人事業家の売り掛け債権を買ってくれないので、やむをえず高い利子で貸す在日同胞の高利貸し業者からお金を借りる場面が小説で描かれる。就職の時に差別を受けた在日韓国人は、事業資金の貸し出しも容易ではなかった。

 そこで同胞のための組合ができた。同胞が出資して作った。同胞どうしで貸して、借金を返すことにした。朝銀東京信用組合と同和信用組合が1952年に設立された。以来、日本各地で朝銀という名がついた信用組合ができた。たとえば朝銀大阪信用組合といったように。彼らが集まり「在日本朝鮮信用組合協会」が作られ、差別を受けた在日(韓国と北朝鮮に属す在日コリアンを指す)の生命線になった。就職や事業で差別を受けパチンコ事業を多くの在日コリアンが朝銀信用組合と取り引きをした。法律的には北朝鮮の朝鮮銀行とも総連とも関係なかったが、人的に密接な関連があった。

 そうするうちに1997年、朝銀大阪信用組合が経営破綻した。その後、朝銀東京信用組合、朝銀山口信用組合など、日本全国に広がっていた朝銀信用組合が相次いで破綻した。日本のマスコミは破綻の原因を三つ挙げた。「預金の北への送金」、「預金の総連の政治資金への流用」、そして「バブル崩壊」。全国各地にある支店が破産し、結局2002年、在日本朝鮮信用組合協会は解散した。韓国の「救済金融」の時のように、日本政府も破産した金融機関を整理する作業に乗り出した。破産整理作業で公的資金1兆4千億円が朝銀信用組合に投入された。日本国民の税金が使われたのだ。

民族教育を主導して60年間求心点
2007年から危機が本格化した後
総連は窮地に追い詰められた
許宗萬議長と南昇祐副議長の家宅捜索
許議長の息子まで捜査線上に
財務担当し権勢を振るったが
パチンコ直営店で同胞と競争し
不透明な会計で腐敗の罠に
再び名前が浮上した許宗萬
総連の没落を煽った張本人

 この過程で、総連の腐敗と過ちが改めて明らかになった。公的資金を投入・管理する日本整理回収機構(RCC)が、「朝銀信用組合が貸し出したうち627億円は事実上総連が借りた」として訴訟を起こした。勝訴した後、2012年7月に総連本部の土地・建物を競売にかけた。何回か入札が流れた末に、昨年、一企業に落札された。総連側は落札金額が建物価値に比べて少ないと、落札の無効を求める訴訟を起こしたが、最高裁判所で昨年11月に最終的に敗訴した。そして今年、総連史上初めて日本の捜査機関が総連議長の自宅を家宅捜索する事態が起きたのだ。マスコミは拉致事件などと関連して悪化した北朝鮮と日本の関係が判決に影響を与えたと解釈した。だが総連が無力になったのは明らかなようだ。資金も失い、不動産も失った。同胞の信用を失ったのが最も大きい。

 1980年代中盤から今までの総連の没落過程に、許宗萬・現議長がいる。彼は2001年から総連議長をしている。1935年生まれの許議長は、慶尚南道・固城(コソン)で生まれた。植民地時代に日本に渡ったが正確な渡日時期は分からない。1955年に総連が結成された時、神奈川県委員長を任されて以来、総連で仕事をしてきた。総連中央本部国際局部長を経て、1986年に中央委員会財政担当副議長になった。同年から朝銀信用組合に勤め始め、まもなく人事権を掌握したとされる。日本のマスコミ報道を総合すると、募金能力が優れ金正日国防委員長の信頼を得た。朝銀信用組合破産の背景に総連があるとする疑惑が説得力を持つ理由がここにある。

■ 総連中央本部の建物も彼の作品

千代田区富士見町にある朝鮮中央会館。総連系在日コリアンの象徴である建物が強制売却の危機にあるのは、過去数年間で日本の反北朝鮮感情が強まり窮地に追い込まれている総連の現実を端的に示す=資料写真//ハンギョレ新聞社

 韓光熙(ハン・グァンヒ)元総連中央本部財務局副局長は回顧録『わが朝鮮総連の罪と罰』(2002年・文藝春秋刊)で、許議長を「自分一人で組織(総連)を動かしているように話した」と書いた。回顧録によると、売却された東京の総連中央本部建物の建設を陣頭指揮したのも許議長だった。韓元副局長は「(中央本部)新会館建設事業を陣頭指揮した人は、当時(1985年)事務総局副総務局長だった許宗萬だった。今の責任副議長だ。86年に新会館が完成した時、財政担当副議長に就任した」と記録した。さらに彼はこう書き残している。「許宗萬は総連の外交部門を担う国際局出身で、日本の政治家とも精力的に交際した。最初は社会党の田辺誠、その後は自民党の金丸信、さらに自民党の野中広務、山崎拓、加藤紘一と特に親しかった」。韓元副局長は「総連の腐敗は私たちが財務局にいる時から始まったと言ってもいいだろう」と書いた。許議長が財務を担当し、総連は最初にパチンコを直営し始めた。同胞らとの競争を始めたのだ。韓元副局長は不正な接待、不透明な会計管理などをすべて回顧録で明らかにした。彼は1999年に総連を完全に離れた。毎日新聞などは許議長を徹底的に捜査したら、日本政界の黒い金の流れが露わになるとみる。

 「東京新聞は『総連には会計監査もなく金銭管理がでたらめ』で『支持者離脱が加速化したが、一部の幹部は本国の要求に応じようと無理を繰り返した』と分析した。朝日新聞は『今まで総連の財政問題を担ってきた許宗萬副議長側が、仲介役を担った不動産業者に4億円を渡すなど深く関与している」とし「今後、許氏に対する批判が在日同胞社会で強まる可能性がある」と報じた。破産した朝銀信用金庫元理事の間では『許氏が朝銀問題の最高責任者』との主張も出てきていると同紙は伝えた」。2007年6月20日付ハンギョレ記事の後半部分でこう指摘されている。

 8年後、韓国と日本のマスコミは再び、この馴染みの名前を報道している。一時は在日の求心だった総連の危機を、この男の名前が象徴している。在日コリアンが多く暮らす大阪に住み事業をするイ氏(39)は「民団だろうが総連だろうが、私たちの社会で許議長の捜査など話題にものぼらない」と語った。

コ・ナム記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-05-22 19:34

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/692517.html 訳Y.B

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