登録 : 2015.05.21 23:38 修正 : 2015.05.22 06:39

22日、釜山で10周忌 追慕文化祭

1945年被爆者の子供に遺伝病
韓国全土を巡り被害者2~3世実態を知らせ
韓国・日本の政府は治療・補償に知らぬフリ
患友会「韓国政府による特別法制定」要求

キム・ヒョンニュル氏 //ハンギョレ新聞社
 

 1945年8月、日本の広島と長崎に原子爆弾が落ちた。 韓国人約7万人を含む約68万人が死亡・負傷した。 韓国人は仕事を得るために日本に渡った人や、日本の軍需物資生産現場に連れていかれた人々だった。 第2次世界大戦が終わり、そのうち約2万3000人が故国に戻ったが、後遺症に苦しむ人が多かった。 解放以後に生まれた子供たちの中にも遺伝病のために虚弱であったり病に苦しむ人がいた。

 原爆被害者2世は、韓日両政府の経済的支援を受けることはできなかった。 日本は1965年に韓日国交正常化をした際に締結した請求権協定で国家的補償は終わったと主張した。 韓国政府は個人的な持病と見なし、治療や補償は行わなかった。 原子爆弾被害者2~3世は一人苦しみを抱えることになった。

 1970年、釜山で生まれたキム・ヒョンニュル氏は2002年3月22日、韓国青年連合会大邱(テグ)支部事務室で記者会見を行い、自身が原爆後遺症に苦しむ被爆2世であることを明らかにした。その後、市民団体は原爆被害者2~3世の問題に積極的な関心を傾け、原発反対運動を展開し始めた。 先天性免疫グロブリン欠乏症を患った彼は、全国を巡って原爆被害者2~3世の実態を知らせる活動に専念したが、2005年5月29日、35歳の誕生日を2カ月後に控えて命を終えた。

 彼が亡くなり10周年を控えた22日午後7時、「キム・ヒョンニュルを考える人々」と釜山参与自治市民連帯など市民団体は釜山市海雲台区佑洞の釜山視聴者メディアセンターで追慕文化祭を開く。 キム氏の追慕映像『息子の名前で』と青柳純一・コリア文庫代表のキム・ヒョンニュル遺稿集『私は反核人権に命をかけた』出版記念ブックコンサートがパク・グァンジュ釜山大教授とチョン・ジンソン釜山教育大教授の司会で進行される。 2部ではチョン・ヒジュン東亜大教授が先月米国ニューヨークで開かれた「核拡散禁止条約(NPT)大会」に参加したキム氏の父親キム・ポンデ氏、ハン・ホング聖公会大教授と対談を行う。 23日午前11時にはキム・ヒョンニュル追悼事業会が釜山民主公園公演ホールでキム・ヒョンニュル10周忌追悼式を開く。

 一方、キム氏が生前に作った団体である「韓国原子爆弾2世患友会」は「光復(解放)70年になる今年こそは『韓国人原爆被害者およびその子孫のための特別法』が制定され、苦しみながら生きてきた歴史の被害者が真の解放を迎えることを願う。 韓国の国会と政府は今からでも国家の責任を痛感し、特別法の制定の先頭に立ち、日本政府の謝罪と被害補償を引き出す努力を尽くすことを強く要求する」と明らかにした。

キム・グァンス記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-05-21 20:52
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/692384.html 訳J.S(1384字)

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