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[特派員コラム] 原爆は神の懲罰ではない/チョン・ナムグ

登録:2013-05-31 15:43 修正:2013-06-01 07:31
チョン・ナムグ東京特派員

 1945年、日本広島への人類初の原子爆弾投下指示を現場で行ったクロード・イーザリー少佐は、一時、アメリカの英雄だった。その後もアメリカの原爆実験に何度も参加した彼は、放射能被爆で子供を産むことができない身となった。1949年からは火炎の中で子供たちが悲鳴をあげる悪夢に苦しめられた。彼は自己虐待に陥り、奇行で長年を過ごし、60才で癌にかかって死んだ。

 第二次世界大戦当時、22才でアメリカの原子爆弾開発計画である「マンハッタン計画」に参加したジョージ・プライスの人生もまた、悲劇だった。 プルトニウムの専門家である彼の参加により、長崎に投下された核爆弾が作られた。化学者としての堅実な将来が彼を待っているようだった。しかし、カトリック信者であった彼の妻がバチカンの見解に沿ってアメリカの原爆投下を批判して、彼の苦痛が始まった。彼は離婚し、核武装を通した平和を理論的に正当化するために、進化生物学者に転身した。彼の研究は学界では多くの賛辞を受けたが、「動物たちが殺し合い、相手方に害を及ぼすことによっても進化する」という研究結果は、自身が期待していたものではなかった。彼は神を信じて聖書を研究し、社会奉仕にまい進し、栄養失調状態で自ら命を絶った。

 今月20日、中央日報のキム・ジン論説委員が書いた「安倍、丸太の復習を忘れたか」というコラムを読んで、この二人が思い出された。キム委員はコラムで「神は人間の手を借りて人間の悪行を懲罰したりする」とし、「(広島と長崎への原爆投下は日本軍国主義に対する)神の懲罰であり、人間の復讐」と書いた。それなら、原爆開発と投下に関与したこの二人の悲劇は何だろうか? これもまた神の懲罰であったのか? いったい神は何を考えておられたのであろうか?

 原爆投下は長らく人間の倫理判断を困らせている事件だ。アメリカ人の多くは、今でも原爆投下が戦争を早期に終わらせるための避けられない選択だったと信じたがる。核撤廃を推進するバラク・オバマ大統領は、2009年に日本を訪問した際、米国大統領としては初めて広島を訪問する計画だったが、失敗に終わった。「ウィキリークス」を通じて暴露されたことによると、反核世論が大きくなるのを憂慮して日本政府が反対したとあり、苦々しいことである。

 色々な証言を通じて分かったことを見ると、真実はアメリカ人の信念とは距離が離れている。アメリカは日本との戦いで勝利するための軍事的理由からではなく、ソ連が戦争に参加する前に力を誇示するための外交的目的に原爆を使った。広島と長崎には兵站施設が少なくなかったが、戦争とは無関係な民間人の犠牲もおびただしかった。広島の人口35万人中、9万~12万人、長崎の人口24万人中では15万人近くが死亡したと伝えられている。日本政府から健康手帳を受けた被爆者は最大37万人に達した。日本軍国主義の誤りに対する責任をそのように問うことは、決して神の意志であるはずがない。さらに原爆被害者の20%ほどが、日本に連れていかれたり、生計のために渡っていっていた罪のない韓国人だった。

 安倍晋三総理が率いる日本自民党政権が行く道には、強い憂慮の恐れがある。彼らは侵略の歴史を否認しようとして、過去の歴史を反省しないまま、軍備を備えて戦争に参加できる道を開こうとしている。しかし、これに対する批判が、復讐感情に根差したものではいけないと思う。私たちは、悪行を犯した者に神が理不尽な火雷を下すのを願う代わりに、そのような悲劇的な戦争が繰り返されないよう、核兵器のような非人道的な武器が再び使われないようにするために、日本の道を警戒することだ。

チョン・ナムグ東京特派員 jeje@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/589745.html 韓国語原文入力:2013/05/30 20:56
訳M.S(1672字)

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