"日本は2011年3月に福島事故を体験しました。 社会的には‘ヘイト スピーチ’(嫌韓デモなどの人種差別集会)が横行していますね。 だからこそ金亨律氏の主張を日本社会にもっと知らせなければなりません。"
日本人 青柳純一(64・写真)の記憶の中に、韓国原爆2世患友会初代会長 金亨律は2005年5月24日成田空港で別れたやつれた姿で残っている。 東京で開かれた国際シンポジウムに参加した後、釜山(プサン)の自宅へ帰った彼を見送った時だった。 その時、青柳に笑顔を向けた金亨律氏の姿が、彼が生前最後に撮った写真になった。 それからわずか5日後、金亨律氏は35歳の短い生涯を終えた。 当時、彼の活動を積極的に支援した韓国社会はもちろん、日本の青柳氏も大きな衝撃を受けた。 以後、青柳氏は「金亨律氏の文を日本社会に必ず紹介しなければならない」と決心し、迂余曲折を経て9年ぶりにその結実が光を見ることになった。
最近日本で出版された金亨律 遺稿集<被ばく者差別をこえて生きる-韓国原爆被害者2世 金亨律(キム・ヒョンニュル)>(三一書房)は韓国社会における原爆被害者2世の人権問題を初めて知らせた金亨律氏が、色々な場所で発表した原稿を集めた本だ。 1部には広島で6才で被爆した母親から生まれた金亨律の生涯が伝記形式で入れられ、2部には彼が多くの所で発表した宣言文・陳情書・調査書・請願文などの原稿が載せられた。
青柳は「ヒョンニュルさんの文を翻訳して、以前はそこまで分からなかった多くのことを悟ることになった」と話した。彼は 「ヒョンニュルさんの主張は‘私たちには生きる権利がある。 それを自覚して自ら積極的に追求しなければならない’ということ」と話した。
日本でも原爆被害者と2~3世が結婚や就職などで多くの差別を受けている。 2011年3・11事故を体験した福島の住民たちもそのような恐れに苦しめられることは同じだ。 青柳は「福島の住民たちもヒョンニュルさんのように社会の差別を越えて自ら被害者であることを自覚して自らの権利を追求しなければならない」と語った。 金亨律が亡くなる前に強力に主張した‘先支援・後糾明’(国家が2世に先に医療支援をして、因果関係は後で糾明しようという主張)政策も同じだ。 青柳は「この頃、日本でヘイト スピーチが大きな問題になっている。 日本が韓国や中国など東アジアの隣人たちと平和共存の道を選ばなければならない重要な時期ではないかと言える」と付け加えた。
青柳は5月24日に釜山(プサン)で開かれる‘金亨律9周忌追慕祭’の時に遺稿集を遺族たちに手渡す予定だ。 金亨律が私たちの脇を去ってから、すでに10年になろうとしているが、彼が念願した‘原爆被害者および被害者子孫支援のための特別法’は相変らず国会で寝ている。
東京/文・写真 キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr