ドナルド・トランプ米大統領が再び政権に就いてから、国際秩序は「ルール基盤の秩序」から「力の政治」へと急激に移動している。ルールによって維持されてきた自由主義の国際秩序はもはや維持するのが難しい転換点に到達したという診断が相次いでいる。ベネズエラ侵攻とグリーンランドに対する露骨な野心は、領土主権という国際秩序の最小限のタブーを正面から揺さぶる事例とされている。
しかし、今日の状況を単純に秩序の「崩壊」として捉えるのは半分の真実に近い。国際政治がルールによって一貫して統制されてきたという前提そのものが、歴史的現実とはかけ離れているためだ。いわゆる「ルールに基づいた秩序」が確立されたとされる第二次世界大戦後も、米国は自分の前庭である中南米を掌握するため、ルールから逸した行為を繰り返してきた。チリとニカラグアではクーデターを扇動し、反軍を支援する秘密工作を遂行し、キューバとパナマに対しては直接軍事的侵攻を敢行した。1989年のパナマ侵攻と最高権力者だったマヌエル・ノリエガ総司令官の強制送還は、こんにちのベネズエラ事態と驚くほど似ている。ある研究によると、冷戦期に米国が試みた政権交代は約70回にのぼるという。
自由主義の国際秩序は、一般的に思われているほど秩序整然としていて公平だったわけではなかった。大国は必要な時にルールを回避したり無視したりし、時には最初から書き換えたりもした。自由貿易秩序も例外ではない。ジョー・バイデン政権が補助金を前面に掲げた産業政策を試みたかと思うと、トランプ政権はさらに一歩進んで関税を武器に対米投資を強要している。自由貿易のルールはそもそも英米の圧倒的な産業競争力を前提とした「はしご外し」の性格があったが、今や中国の追撃と米国の製造業の衰退の中でその効用が限界に達したのだ。
国連の機能不全に対する懸念の声も頻繁にあがっている。ウクライナ戦争ではロシアが、ガザ地区の休戦問題では米国が拒否権を行使し、国連が形骸化されたと言われている。しかし厳密に言えば、これは国連が当初の設計通りに作動していることを示す側面もある。常任理事国の拒否権が保障されず、多数決が強制された場合、大国間の全面戦争の危険性が高まる恐れがあるためだ。このようにルールに基づいた秩序は、最初から中立的秩序というよりは制度化された権力秩序であり、それさえも権力政治に従属した状態で作動してきたのだ。
にもかかわらず、現在の状況が過去と質的に違うことは否定しがたい。では、第2次トランプ政権は過去にあった大国のルールからの逸脱と何が違うだろうか。まず、過去のルール違反が例外的かつ選択的だった一方、今は規則無視がほとんど日常的な形に固まっている。さらに重要な違いは、規範的な正当化に向けた努力の不在だ。過去には民主化、大量破壊兵器の除去といった名目が持ち出され、少なくとも同盟を説得しようとする外交的手続きくらいは存在した。しかし、今や石油、資源、安全保障という露骨な国益だけが前面に掲げられている。名目があってこそ大国の逸脱に目をつぶることができるが、現在は偽善とそれを隠そうとする努力すらないため、国際政治の暴力性とヒエラルキーがあらわになっている。
もう一つの重大な変化は強圧の対象だ。過去、米国の力が主に敵対陣営に向かったとすれば、トランプ大統領率いる米国は同盟に向かって圧迫を加えている。陣営内部で保護と信頼の代わりに圧力と脅威が常時化する瞬間、既存の秩序はもはや意味を持てなくなる。欧州では「プーチン大統領とトランプ大統領のうち、どちらがNATO(北大西洋条約機構)にとって脅威なのか」という質問が投げかけられるほどだ。
米中戦略競争と東アジアの安全保障に与える含意も決して軽くない。「たてついたらぶっ潰す。しかし、懲らしめるのは弱い奴だけ」というのがトランプ大統領の行動パターンだ。トランプ政権は世界を相手に強圧外交を駆使しながらも、ロシアと中国に対しては比較的節制と妥協の態度を示している。一部では国際秩序が米中ロ中心の勢力圏政治へと傾く可能性があるとみており、西半球に対する米国の執着を戦略的後退のシグナルと捉えている。一方、これを覇権の放棄や収縮ではなく、覇権運営方式の変化とみる見解もある。どちらにしても明らかなのは、過去の秩序が崩れており、混乱と不確実性が避けられない過渡期に入ったという事実だ。今必要なのは、過去の陣営論理やルールに対するノスタルジアではなく、変化する秩序の方向を冷静に観察し、自強と危険管理に集中する戦略的現実主義だ。