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[記者手帳]「人間」より「国家」中心の韓国政府の教育観

登録:2015-05-21 01:04 修正:2015-05-21 07:32
世界教育フォーラムを開催した教育部は、進歩的な教育市民団体が要請した教育関連広報館の設置は認めない一方、教育と直接関連がないセマウル運動ブースを設置させた。この広報館には朴槿恵大統領の大きな写真がある //ハンギョレ新聞社

 多肢選択式の質問を投げかけてみよう。 「教育とは?」

 (1) 「平和、包容、革新のための最も強力な原動力である」

 (2) 「貧困を制圧し、差別を克服するために不可欠な道具である」

 (3) 「すべての児童により良い生活を可能にする鍵である」

 (4) 「国家発展と経済成長の土台である」

 「間違った」とまでは言えなくても、「(趣旨が)異なる」答えはすぐに挙げられる。 ①番から③番までは、19日、仁川(インチョン)松島(ソンド)で開かれた「2015世界教育フォーラム」に出席したイリーナ・ボコバユネスコ事務局長、パン・ギムン国連事務総長、アンソニー・レーク ユニセフ総裁の言葉だ。一人の人生をあらゆる種類の貧困から守る力が教育であるということに集約される。教育の力を「国家発展の動力」に限定した④番は誰の答えだろうか。朴槿恵(パク・クネ)大統領だ。

 朴大統領だけではない。今回のフォーラムで、政府はずっと教育こそが国家発展の原動力だと強調している。フォーラム2日目の20日、「韓国教育の特別セッション」でぺク・スングン韓国教育開発院長(ソウル大学教授)は、「1955年69ドルだった1人当たりの国民所得が2014年2万8000ドルで急増した経済成長の根底には、教育がある」と述べた。教育を基に、短期間で国家発展を成し遂げた韓国の経験を共有するための講演だが、「みんなのために平等で包容的な質の高い教育を保証し、生涯学習を振興する」という世界教育フォーラムの大前提とは、どこかつじつまが合わず、相容れない内容だ。

 教育に対する韓国政府の見解は、古びた“展示・動員”行政にも現れている。教育部傘下の韓国教育学術情報院は、フォーラムの参加者に情報通信技術(ICT)機器を活用した韓国の「未来教育」を見せるため、18日から5日間、仁川地域の小学生をフォーラム展示場に“動員”し、公開授業を試演している。一部の学生は開幕日に先立って、一日前にリハーサルを行う時も同じ授業を受けた。“見せるため”の、型にはまった授業を受けた子どもたちが、「教育」が誰のために、何を目的にしたのものだと思うのかが気になる。情報通信技術を活用した教育現場を見せたいのなら、学校の授業を参観させるか、動画で見せれば済むことではないのか。

オム・ジウォン記者 //ハンギョレ新聞社

 入試中心の競争教育がもたらした弊害に対する自省も見られない。年間20兆ウォン(約2兆2048憶円)規模の私教育費、後を絶たない10代の自殺、6万人中退者など、韓国教育の“恥部”について悩んだ痕跡は、展示場のどこにも見当たらなかった。教育は国の人的資源を開発するものである前に、人間のためのものでなければならないというのが国際社会の声だ。世界教育フォーラムを誘致する前に、韓国政府が耳を傾けるべきだった話だ。

オム・ジウォン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015-05-20 20:00

https://www.hani.co.kr/arti/society/schooling/692147.html  訳H.J

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