今、韓国の大学は解放以後70年の大学史で前例のない危機に直面している。 “企業フレンドリー”を前面に出した李明博(イ・ミョンバク)政権が就職を尺度に大学を評価し始め、学問的性格が強い人文学や社会科学、自然科学が枯死しつつあり、韓国の学問水準は国際的標準から脱落し大学は急速に企業の下部機関に転落している。 ついに中央大学では韓国の大学の基本構造となってきた学科制まで廃止に踏み出すことによって、今や大学は自ら自身の最後の息の根を止める極端な自害を犯すに至った。 韓国の大学は“就職学院”に転落するか、“最高高等教育機関”として生き残るかという生死の岐路に立たされている。
大学を就職学院に変える動きの中心にはファン・ウヨ教育部長官がいる。 ファン長官は「就職が学問より優先で、就職を中心に大学を変えなければならない」という奇抜な信念を表明して回る“就職大学論”の伝導師だ。 彼は先月「産業中心定員調整先導大学」を指定して、3年間で7500億ウォンを支援するという野心に満ちた計画を発表した。 財政支援を武器に大学を事実上企業の人材生産基地に変えるという内心を表わしたわけだ。
ファン長官のこのような確固たる信念は、突然出てきたものではない。 すでに教育部は昨年1月、2023年までに大学入学定員を大幅に減らすという“大学構造改革推進計画”を発表したが、これによれば大学を評価して5等級に分け、それに合わせて入学定員数と財政支援規模を決めるということだ。 この評価における就職率の比重が極めて高いので、教育部の大学評価に執着せざるをえない大学は、就職中心に大学を再編するよう強要されている。
このような脈絡で見れば、学科制廃止を骨子とした中央大の衝撃的な改編案は教育部の“就職大学化”戦略に先制的に呼応したものだ。 実際、中央大とファン長官の関係は通常でない。 ファン長官が就任以後初めて訪問した大学が中央大であり、中央大の改編案が出るや“時代の流れに沿った実験的試み”と相槌を打って歓迎したのもファン長官だった。 このような情況から推し量って“中央大事態”の本質は、大学を企業の下部機関にしようとしているファン長官が韓国で最も企業化された大学を前面に出して自身の意を貫徹させようとしていると見ることができる。
ファン長官がこのように大学政策で就職率を伝家の宝刀のように振り回すのには、高度な政治的意図が隠されていると見られる。 第一に、政府の政策失敗と企業の貪欲から引き起こされた青年失業問題を大学に転嫁しようとすることであり、第二は、これを契機に批判的な人文学と社会科学を大学で枯死させようということだ。
国家的観点で見る時、就職中心に大学が再編されればその被害は想像を超越する。 大学の学問的水準が一層低下し社会は批判的省察能力を喪失する結果、不平等と不正がより一層はびこり、指導的人材と思慮深い市民を育てなければならない大学の使命は忘却されるだろう。 要するに、学問と教育は失踪し、国家の未来は暗鬱になるだろう。
誤った信念を持つ長官が振り回す刃のために大韓民国の大学が死につつある。 李明博前大統領がこの地の河川を殺したとすれば、ファン・ウヨ長官はこの国の大学を荒廃化させている。 青年失業は全世界的現象だが、それを口実に学問を殺す現代版バンダリズムが強行される所は韓国のみだ。
韓国の大学を前代未聞の危機に追い詰めているファン・ウヨ長官は、長官職を辞退し本業である政治に復帰することを勧告する。 それがファン長官個人にとっても国の将来のためにも望ましい選択だろう。