独島関連反日デモ行ってきたが
最近キーリゾルブ批判反米運動に
外国使節暴行で懲役刑
ソウル市のイベント相次ぐ妨害で
要注意人物」烙印押される
マーク・リッパート駐韓米国大使を凶器で攻撃したキム・ギジョン氏は、日本の独島領有権主張と集団的自衛権の行使を批判する活動を着実に行ってきた反日的な文化運動家だ。数年前からは、米国の朝鮮半島政策に対する批判も行ってきたが、最近では3月2日から4月24日まで実施されているキー·リゾルブとイーグル韓米共同軍事訓練が南北関係を台無しにしたとし、訓練に強く反対ししてきた。
キム氏は最近、自分の感情を制御できなかったようで、頻繁に暴行事件を起こして警察署を出入りしていた。今年1月、ソウル新村(シンチョン)の現代デパートで行われたアイドルグループ「EXO」の公演を控えてファンクラブが張ったポスターをめぐり、ファンクラブの会員ともめた。彼は公演の点検に訪れた区役所の公務員とも言い争いになり、公務員に暴行を加えた後、急に道路に飛び込んで市内バスの前に立ちはだかったことで乗客とも喧嘩になった。結局は公務執行妨害と業務妨害の疑いで起訴された。
キム氏の突発的な行動は他にもある。昨年1月、ソウル市庁の市民庁会開庁式会場でパク・ウォンスン市長との面談を要求して大声を上げた。彼は「独島関連討論会に市民庁のスペース未貸与批判」などの内容が盛り込まれた印刷物を配布しようとして止められた後も、何度も庁舎進入を試みて強制退去された。
その1カ月後には、新村延世路の公共交通機関専用地区指定を控えパク市長が出席して開かれ説明会場で、大声を上げて行事を妨害したこともあった。キム氏はある出席者をビンタしたことで裁判にかけられ、裁判所で罰金刑を宣告された。ソウル市側は「ソウル市長を警護する警察がキム氏を要注意人物として管理してきた」と明らかにした。昨年5月には日本大使館に日本政府の集団的自衛権糾弾抗議書簡を手渡そうとして制止されると、警察に靴と卵を投げて立件された。
1984年「ウリマダン(私たちの広場)統一文化研究所」(ウリマダン)を設立してから、独島守護活動などを展開してきたキム氏は、2006年に日本の島根県が「竹島の日」を宣布したことを受け、仲間6人と一緒に本籍を慶北鬱陵(ウルルン)郡 独島(ドクト)里38番地に移した。 2010年7月、ソウルプレスセンターで開かれた重家俊範駐韓日本大使の特別講演会で「独島をなぜ竹島と呼ぶのか」という自分の質問に答えなかったとの理由で、重家大使にあらかじめ用意したコンクリートの破片2個を投げつけた。キム氏は裁判所で懲役2年、執行猶予3年を宣告された。当時弁護を引き受けたパク・バチャンジョン弁護士は「キム氏は日本での反韓デモなどに抗議する趣旨で偶発的に犯行を犯したと言っていた。しかし、今回のリッパート大使事件は、その趣旨や方法、結果がその時とは違うようだ」とした。
周りの人たちは、キム氏が極端な言動をよく取ってきたと伝えた。特にキム氏は、2007年には1988年に発生した「ウリマダン襲撃事件」の真相究明を求め、大統領府の前で行った1人デモの途中、焼身自殺を試み全身にやけどを負った。ソウルオリンピックの南北共同開催を主張していたウリマダンの事務所を暴漢4人が襲撃して女性を暴行した事件に対し、当時の野党は軍の情報司令部によって行われた政治テロだと主張した。キム氏の度重なる調査要求にもかかわらず、いまだ真相が明らかになっていない。
精神的にも問題を抱えているとされるキム氏は、経済的な困難に苦しめられているようだ。ウリマダンの事務所があるソウル滄川(チャンチョン)洞の建物の所有者キム氏は「キム氏は基礎受給対象者だと承知している。60万ウォンの家賃もここ4〜5カ月の間滞納している。事情が良くなさそうなので、家賃も下げてあげた」と語った。ウリマダンで寝泊りをしていたキム氏は、様々な公共料金の支払いさえ滞りがちだったのが分かった。
韓国語原文入力: 2015.03.05 19:54