本文に移動

[探査報道]李明博政権の資源外交(3)国家財政をどぶに捨てた資源投資に責任者なし

登録:2015-01-22 01:36 修正:2015-01-24 20:43
“資源開発”始めから今まででっち上げ
2012年11月、アラブ首長国連邦を訪問した李明博前大統領。 //ハンギョレ新聞社

 「資源外交」という言葉が韓国のマスコミに初めて登場したのは1996年だ。 大韓民国の海外資源開発投資が開始されたのは1977年だ。エネルギー資源の95%以上を国外に依存する国として、古くからの宿命的課題だった。

 これを建国以来最も政治的に利用したのが2008年に就任した李明博(イ・ミョンバク)大統領だ。 同年1月、当選者として韓昇洙(ハン・スンス)国務総理候補を正式指名し、「資源外交のできる一番の適格者」と絶賛した。 2月に了解覚書(MOU)が締結された石油公社のイラク・クルド油田開発事業は「李明博資源外交」の最初の功績として広報された。 3月、外交通商部の業務報告で李明博大統領は「今年の6%経済成長目標の観点から見て、最も重要なのが世界的エネルギー確保のための資源外交だ」と話した。 国家的アジェンダに格上げされ、“経済大統領”李明博にとっては命運をかけた政治になったわけだ。

開国功臣“資源外交”の先頭に立つ

資源外交の先頭に立ったパク・ヨンジュン元国務次長(上写真)。 ハン・スンス元総理(下写真)。 資料写真//ハンギョレ新聞社

 李明博政権の開国功臣たちが資源外交の広報大使として乗り出した。 実兄の李相得(イ・サンドク)元議員、李明博大統領の大統領選候補時代に外郭支援団体を率いたパク・ヨンジュン元総理室国務次長、そして親李系のセヌリ党議員たちが代表的だ。“資源外交特使”を自任した李相得議員は、南米のボリビアだけで6回訪問したし、パク・ヨンジュン国務次長は資源開発民間企業を支援すると言ってチャーター機でアフリカを回った。

 “資源外交総理”として任命された韓昇洙総理も、最初の出張は中央アジア資源外交の途(2008年5月)だった。 当時、ウズベキスタンのナマンガン鉱区探査、カザフスタンのザンビル鉱区契約などを実現させた韓総理は、歴訪中に記者会見を通じて「政府が先頭に立って(資源外交の)道を開拓しておいたから、これからは企業家が出かけて行って果実を取らなければならない」と言って自分の政治功績にした。

 了解覚書や本契約を締結する度に、政府は自主開発率が高まると広報した。 自主開発率とは、全資源輸入量に占める自国が確保した鉱区の資源生産量を持分に応じて反映させた比率で、それは政権の目標だった。4大河川とは違って、目に見えない国外資源を国民に体感させる強力な手段だった。

 李明博大統領は、1~4%にとどまっていた自主開発率を2012年までに25%まで高めるよう指示した。 実際、自主開発率はどんどん伸びた。 しかし、でっち上げに近いものだった。 国内への導入が不可能な資源がほとんどだった。 単なる持分投資でも確保した資源に換算して自主開発率の物量に含めた。 参与政府(訳注: 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権)までは自主開発率の算式は「確保資源量/365日」だったが、李明博政権は365日を消して操業日数を入れた。 新しい計算法は開発率を高めた。

//ハンギョレ新聞社

虚偽と捏造の産物“資源自主”

 李明博政権は、自主開発率を公企業の経営評価指標に含めた。 自主開発率は公企業の社長の進退、役職員の給料までを左右する尺度になった。石油・ガス・鉱物資源公社などエネルギー公企業は突進せざるを得なかった。 大統領業務引継ぎ委員会出身のキム・シンジョン鉱物資源公社社長、パク・ヨンジュン国務次長と近いカン・ヨンウォン石油公社社長らがその先頭に立った。

 内部統制装置である理事会は殆ど騙されていた。 鉱物公社が1兆ウォン(約1100億円、1ウォンは約0.11円)以上を投資したメキシコのボレオ銅山事業は、また別の統制装置である投資事業審議委員会まで無視したケースだ。 当該公社の海外投資基準となる一種の収益率は10.31%以上だ。 しかし、公社の実務チームがボレオ事業の経済性を検討した結果、出てきた収益率は5.36%だった。 公社は数値を操作した。投資事業審議委が摘発して修正を要求したが、操作された数値は理事会にそのまま提出され、事業は開始された。

 李明博政権は、資源開発民間企業にも財政支援をふんだんに提供した。 それも“自主開発率神話”を達成するためだった。代表的なニンジンが成功払い融資だ。 企業が国の金を借りて資源事業に投資して失敗した場合、融資の殆どを帳消しにされる。 プ・ジャヒョン新政治民主連合議員室から受け取った資料をハンギョレが分析した結果、2008~2012年の成功払い融資の減免額は1500億ウォンだった。 制度が施行された1984年から李明博政権までの間になされた総減免額の39%に上る。 その期間、SKイノベーションは386億ウォンの減免を受けた。 民間企業として最大の受恵者だ。

 韓国は海外資源開発事業の代表的な後発走者だ。 良質な鉱区は米国、欧州、中国がほとんど占めたと言っても過言でない。 遅れて大統領、総理、国会議員が、旗を持って飛び込んだわけだ。 政府は、公的開発援助(ODA)もカードに活用した。

//ハンギョレ新聞社

“資源開発”鉱脈はなかった

 ボリビアは李相得元議員が韓国企業のリチウム開発事業支援のために特に何度も訪れた資源富裕国である。 李明博大統領は2010年8月に訪韓したエボ・モラレス ボリビア大統領に約2750億ウォン(2億5000万ドル)の借款(EDCF)提供を約束した。 金利0.1%で40年弁済する条件だった。 しかしリチウムは、結局手にできなかった。

 自主開発率に必死のエネルギー公企業は、ためらうことなくプレミアムを上乗せして事業を獲得し、海外で韓国の公企業同士が入札競争するというコメディも辞さなかった。 経済性や埋蔵量は水増しされた。 地中にあるとされていた石油・ガス、鉱物の大半はそこになかった。 はじめから過大包装されていたのだ。

 “李明博の資源外交第1号”であるイラクのクルド油田開発事業もその一つだ。2008年10月、石油公社は確保した鉱区に原油72億2300万バレルが埋まっていると理事会に報告した。 しかし、昨年になって55億9430万バレルと再評価(国会報告)された。 ほとんど汲み上げてもいない地中の油が、その間に3分の1以上蒸発してしまったのだ。 石油公社はこの事業に8494億ウォンを投入したが、未だに一銭も回収できていない。

 「政府が開拓したから、企業が実を取るように」と言ったものの、2015年現在でも、熟した実は多くない。 李大統領が世界を回って締結した資源開発事業了解覚書24件のうち、18件が成果をあげることなく終了した。 韓総理が実現させたというウズベキスタンのナマンガン鉱区事業は現在事業撤退段階だ。 チョン・スノク新政治連合議員室とハンギョレが分析したところ、18日基準で李明博政権の80事業のうち21件が終了し、2兆1294億ウォン(暫定・カナダ ハーベストの買収事業のうち精油部門の売却損失を含む)を失ったことが明らかになった。 「資源開発には長い時間がかかるから、待ってみなければならない」という決り文句は、終了した事業には通用しない。 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代に推進された50の事業のうち、33件が終了し7233億ウォンの損失が確定している。

 李明博政権では、公企業の海外資源開発事業だけに31兆ウォン以上が投入された。2014年末基準で3兆9232億ウォン(3兆3210億ウォンが確定)の損失が推定される。 撤退、売却、縮小しようとしている事業が多く、金融費用も大きいので、損失は増え続けるものと見られる。

膨れ上がる金融費用

 産業通商資源部も外交部も、結局 “李明博式資源外交”を用途廃棄した。にもかかわらず、“資源外交”の推進過程と結果に責任を負う人は見当たらない。

 2011年6月3日、朝の気温は14度。 雲が少しかかっているだけで、日差しは春たけなわというところ。 午前7時50分、40歳の一人の会社員が、自宅で命を絶った。 イラク・クルド油田事業を担当していた石油公社の実務課長だ。 彼は職場の同僚に何度も吐露していたという。「こんなやり方をしていれば、いつか拘束される」 原油は発見されず、クルド政府は契約変更を要求していた。 しかし石油公社は、クルドの事業を逆に一層拡大しようとした。 業務負担、ストレス、法的責任に対する負担感…、そして行き着いたところは自殺、“資源外交第1号”事業の責任を取った唯一の担当者だった。

イム・インテク、キム・ジョンピル、チェ・ヒョンジュン、リュ・イグン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/674187.html 韓国語原文入力:2015/01/19 10:53
訳A.K(3742字)

関連記事