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韓国社会は「嫌中」に対抗して連帯すべき【寄稿】

登録:2025-05-23 05:42 修正:2025-05-23 08:43
チョン・フソク|ドキュメンタリー監督
17日、ソウルの「小さな中国」と呼ばれる広津区紫陽洞にある建国大学周辺の「羊肉串屋通り」で、大学の学科のジャンパーを着た若者たちが嫌中デモを行っている=ユーチューブ「自由大学」より//ハンギョレ新聞社

 2020年、新型コロナウイルスとともに、もう一つのウイルスが米国社会の暗部をあらわにした。それはアジア系に対する人種差別だった。多くのアジア系米国人が路上や地下鉄で襲撃を受け、ニューヨークやサンフランシスコ、アトランタなどの都市では、アジア系米国人がヘイトクライム(憎悪犯罪)で命を失った。この時期、一部の在米韓国人は「私は中国人ではない」という文言が書かれたTシャツを販売し、物議を醸したことがある。これは、「中国系はヘイトの対象になりうるが、他のアジア系は例外」だという暗黙のメッセージを内包している。その裏には、別の形の差別意識が存在している。問題の本質はヘイトの対象の「妥当性」ではなく、ヘイトそれ自体だ。あのとき、アジア系米国人は抗弁しなければならなかった。自身の潔白について、アジア系米国人というアイデンティティの正当性について、そして何より、個々の人間の尊厳について。

 歴史は、特定の集団に対するヘイトと魔女狩りがどのような悲劇を招くかを繰り返し示してきた。1923年の日本での関東大震災直後、朝鮮人が井戸に毒を入れて混乱を扇動したというデマによって、数千人の朝鮮人が虐殺された。日本政府は、朝鮮人を悪魔化することで国政の混乱から抜け出そうとしたという歴史的評価から逃れられない。

 次の事例はどうだろうか。1941年に日本がハワイの真珠湾を攻撃すると、米国政府は大半が自国民だった日系アメリカ人12万人を3年間、政治犯収容所に閉じ込めた。実質的には内通やスパイ活動の証拠が存在していないにもかかわらず、日系アメリカ人は非人間的な扱いを受けた。この事件は「日系人強制収容所」と呼ばれ、米国現代史の最大の汚点の一つとなっている。米国は一方ではユダヤ人を虐殺したナチスドイツと戦い、同時に自国内の日系人を収容所に閉じ込める二重基準を示した。米国の黒人差別や中国の新疆ウイグルのムスリム民族弾圧など、特定の集団がヘイトと非人間化の対象になる悲劇は、時代と場所を異にするだけであって、常に繰り返されてきた。

 韓国も例外ではない。最近、ソウルの広津区紫陽洞(クァンジング・チャヤンドン)では、太極旗と星条旗を手にした数百人の青年たちが街中を行進し、中国人に対して人種差別的な暴言を叫び、道行く人を脅す事件があった。ネット上や太極旗集会を通じて広がった極端な嫌中感情が街頭に飛び出したのだ。一部の極右政治家や宗教家は、このようなヘイトの危険性を警戒するより、むしろ青年たちを自身の政治的資産として利用している。「反共主義」と「人種主義」を結合させたこの嫌中感情は、逆説的なことに、彼らが最も警戒する「全体主義」的な思考に驚くほど似ている。大統領選挙の期間中にも「反中」感情を扇動する刺激的な政治スローガンは絶えない。

 ハンナ・アーレントは著書『エルサレムのアイヒマン』で、社会的混乱と経済的危機のもとで、大衆の不安と欲求を利用して特定の集団を悪の根源だと指弾し、集団的憎悪と嫌悪を助長する国家体制に注目した。特に国家が「秩序」と「正義」を名目にして、暴力と抑圧を正当化するとき、大衆の道徳的判断がどのようにして麻痺していくのかを分析した。「悪の凡庸さ」の概念を通じて、普通の人たちが無批判に他者を憎み抑圧する現象を批判したアーレントの洞察は、ユダヤ人収容所への移送を企画したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンという一個人に限定されない。

 こんにち、太極旗を持って道路を練り歩く青年たちが根本的に悪だと判断することはできない。彼らが敵対視する中国人も、もちろん「悪」にはなりえない。真の悪は、思考を停止した大衆とそれらの不安を組織的に利用する勢力だろう。中国の中央集権体制の弊害と一部の政策の危険性は明らかに存在する。現実の世界における中国の政治的影響力の拡大は、慎重に対応しなければならない問題だ。しかし、韓国在住の中国人に対するヘイトと差別は、正当な対応にはなりえない。国家レベルの問題を特定の民族に対する憎しみにすり替えてしまうと、最終的に社会全体を嫌悪の悪循環に陥らせることになる。

 コロナ禍以降、アジア系米国人はヘイトに対抗し、前例のない連帯を示した。それまでは主に自民族同士で一つにまとまっていたとすれば、コロナ禍を経て、アジア系米国人というアイデンティティをよりいっそう拡大し、強固にするきっかけになった。筆者も同様にニューヨークとロサンゼルスで、様々な民族的背景を持つ市民たちと一緒に行進して実感した。ヘイトの対象となる集団を冷遇すれば、そのヘイトの矢がいつか自分や自分の共同体をねらうとき、誰も自分たちのために立ち上がってくれないということを。

 大韓民国も同様に、自身の政治的利益のために特定の集団に対するヘイトを助長する勢力の「悪」を直視し、批判的思考が欠如したヘイトの反復から抜け出さなければならない。移民がふたたび悪魔化され追放されている第2次トランプ政権の米国とは違い、韓国社会は省察をもとに連帯することを選択しなければならない。

//ハンギョレ新聞社

チョン・フソク|ドキュメンタリー監督 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/1198701.html韓国語原文入力:2025-05-21 19:28
訳M.S

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