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国連北朝鮮人権決議案の主要な根拠となる脱北者自伝に誤り

登録:2015-01-19 00:45 修正:2015-01-21 15:33
「14号収容所から6歳の時に移された」
「13歳ではなく20歳の時に拷問された」
2012年4月に出版された英語版『14号収容所脱出』。//ハンギョレ新聞社

 国連総会の北朝鮮人権決議案の採択など重要な役割を果たした脱北北朝鮮人権運動家シン・ドンヒョク氏が自叙伝『北朝鮮 14号管理所からの脱出』の一部の内容の誤りを認めたとワシントンポストが17日(現地時間)報道した。

 『北朝鮮 14号管理所からの脱出』は、ワシントンポストの元記者であるブレイン・ハーデンがシン氏の証言を基に書いた本で、シン氏が「14号収容所」として知られている平安南道价川(ゲチョン)政治犯収容所で生まれ、極悪な人権状況の中2005年に脱北するまで生活したという内容が盛り込まれている。

 しかしシン氏は16日ハーデンに、自分が6歳の頃に母や兄と一緒に18号収容所に移されたと陳述を翻した。これまで14号収容所の状況を証言した内容が事実と相反することを示唆するものである。シン氏は14号収容所脱出を計画していた母と兄を収容所当局に告発し、母と兄が目の前で処刑されるのを見たと自伝で陳述した内容も事実ではないとし、母と兄の処刑は14号収容所ではなく、近くの18号収容所で行われたと修正した。ハーデンはワシントンポストに「シン氏が自伝に出てきた場所と時間のうちいくつかの部分が事実と異なると伝えてきた」と明らかにした。

 また、シン氏は自伝で13歳の時収容所を脱出しようとする母と兄を収容所当局に告発したのに自分も拷問を受けたと発表したが、今度は20歳のときに中国に脱北し、送還された後拷問を受けたと修正した。ハーデンは「シン氏が誤りについて非常に申し訳なく思っている。彼は前に経験したことを再び思い出すのが非常に苦痛だったと述べた」と伝えた。

 シン氏は18日、「現時点で、私は政治犯収容所をなくし、北朝鮮の抑圧された人々に正義をもたらすための努力と事業を続けられるかも知れないし、続けられないかも知れない」とフェースブックに投稿し、北朝鮮の人権運動を中断するかも知れないことを明らかにした。彼は今回が最後のポストだとし「私なしでも皆さんは抑圧される北朝鮮の住民のためにまだ戦うことができる」とも書いた。

 シン・ドンヒョク氏の証言は北朝鮮の人権問題の核心的な内容としてに国際的に大きな注目を浴びた。昨年の国連総会で北朝鮮の人権侵害の責任者を国際刑事裁判所(ICC)に付託しようという決議案が採択されるなどの過程でも、彼の証言が主な根拠となった。北朝鮮当局は昨年10月シン氏の父親が息子の主張を偽りだとする動画を公開するなど、彼の証言が事実ではないと主張している。

2013年5月2日、ソウルの牙山政策研究院でシン・ドンヒョク氏(左)が自身の話を紹介した『14号収容所脱出』韓国語版の出版記念会で著者ブレイン・ハーデンと記念撮影をしている。 牙山政策研究院提供。//ハンギョレ新聞社

チョ・ギウォン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015.01.18 20:38

https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/674179.html  訳H.J

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