パク・ジマンと陸軍士官学校同期生が軍要職獲得
一時は「姉会」という新造語が飛び交う
3月の「チョン・ユンフェのパク尾行説」以後
パク氏に近い人物が要職を追われる…
チョン・ユンフェ氏(59)の国政介入疑惑文書の流出事態で、チョン氏に対する疑惑だけでなく、朴槿恵(パク・クネ)大統領の弟パク・ジマンEGグループ会長(56)の国政関与の疑惑も少しずつ提起されている。朴大統領の大統領選挙戦キャンプ内部で「重要管理対象」になったパク会長が、政権発足後に水面下で活動領域を広げようとしたものの、今回の「チョン・ユンフェ・パク・ジマン葛藤説」に巻き込まれたとする分析もされる。
大統領の血縁であるパク会長は、側近として知られたチョン・ユンフェ氏や「門番3人組」と共に、重要な“秘線”とされてきた。しかし最近になり、パク会長側の要人が相次いで職を追われ、権力中心部から締め出されたと考えられている。実際、今年4月にパク会長に近いチョ・ウンチョン大統領府公職規律秘書官が辞表を出していたし、1か月後にはペク・キスン国政広報秘書官も職を解かれた。ペク秘書官はパク会長と親交があると伝えられている。8月には国家情報院内で、パク会長やチョ元秘書官に近い一部の要人が左遷されたり職を解かれていたと伝わる。監査機関関係者は3日『ハンギョレ』との通話で、「当時、国家情報院で1級幹部の大幅な人事異動があったが、大統領府が突然1級幹部のK氏を退陣させろと要求してきた。発令を受けた直後に自発的に退いた。パク・ジマン ラインが飛ばされたと考えて差し支えない」と話した。10月にはイ・ジェス国軍機務司令部司令官が更迭された。彼はパク会長とは高校と陸軍士官学校37期の同期生だ。
パク会長は31歳だった1989年にコカイン吸入容疑で不拘束立件された後、2002年までに五回、向精神性医薬品管理法違反容疑で拘束されたことがある。故パク・テジュン元総理、キム・ウジュン元大宇グループ会長などの援助で現在のEGグループ会長の座についたが、その後も何度も怪しい株取り引きなどで非難された。2011年に貯蓄銀行の不正が大きく話題になった時は、救命ロビーを繰り広げたという疑惑を受けることもあった。
結婚後は夫人のソ・ヒャンヒ弁護士周辺から雑音が聞こえてきた。2004年にパク会長と結婚したソ弁護士は、2009年4月に法務法人を設立して共同代表になった。中小のローファームにもかかわらず、2009年の第3四半期における企業買収・合併法律諮問部門でローファームの中で5位を占めるほど旺盛に活動をした。“朴槿恵効果”なしに考えにくいと法曹界で話題だった。大統領選挙を目前にした2012年7月、ソ弁護士が香港に出国すると「問題の余地を失くすため送り出した」という観測まで出された。
こうした前歴があるため、朴大統領の参謀グループはパク会長を要注意人物と見なしてきた。だが、参謀グループの牽制にもかかわらず、朴槿恵政権初期にパク会長ラインがある程度活動できたものとみられる。 実際にパク会長の陸軍士官学校同期生が異例の軍要職を占め“姉会”という新造語が誕生することもあった。新政治民主連合のパク・チウォン議員は6月、パク会長と4人組の1人であるイ・ジェマン大統領府総務秘書官、チョン・ユンフェ氏の後ろの名前をとって「マンマンフェ」が革新的な“秘線”と主張したことがある。だが、今年3月に『時事ジャーナル』が報じた「チョン・ユンフェのパク・ジマン尾行説」以後に起きたパク会長周辺要人の左遷などを考えると、パク会長はチョン氏および秘書官3人組との対決で締め出されたという解釈が可能になる。
本人をめぐる数多くの疑惑が提起されているにもかかわらず、パク会長は発言を慎んでいる。パク会長に近い政界要人はハンギョレとの通話で、「何か月か前にパク会長と電話で話をして人事介入説などについて尋ねたが『私は姉(朴大統領)が怖い。二番目の姉(パク・クンリョン)に関する話題が多いようだけど、私は二番目の姉のほうが好きで気楽だ』と話した」と伝えた。
韓国語原文入力:2014.12.03 23:20