涙を流した観客もバイトを透明人間扱い
「1分遅刻したら勤務時間から30分も削られるが…延長勤務は認められない
『カート』の現実と同じアルバイト生たち…サービス職の文化にうんざり」
君と私の間に、スクリーン/パク桃
『カート』を観てきた。週末の中番で2時間残業して合計8時間働き、退勤して観てきた。 今日は10時間同じ映画館の中にいたことになる。 観たいと思う反面、観たくないという気持ちもあった。
映画の結末はすでに知っていた。 映画館のアルバイトは退出という仕事をする。 映画が終わる5分前にあらかじめ入って館内で待機して、エンディング ロールが流れれば出口を開けて挨拶する。 エンディングばかり5回以上観たし、その度に涙が出てきて困った。
だから私は映画のエンディングが近づくのを体感できたし、エンディングを見るのが恐かった。 正直に言えば、エンディングが終わった後に会うことになる遅番(アルバイト生) Iさんの顔を見るのが恐かった。 私は、あるいは私たちは、契約期間が明示されない白紙の勤労契約書を書いた。
映画の中の彼女たちのように、同じ色のリップスティックを言われて塗り、同じ形のネット帽子をかぶり、わずか2時間前に出てきて同じ格好をしているIさんに会うのが恐かった。 映画が終わるやいなや、矢のように走って行かなければならないIさんを見るのがとても恐かった。
多くの観客が泣いて出て行く映画だ。私自身も目に涙が浮かんだようになったし、私が仕事で館内に入るたびにすすり泣くお客さんを多く見た。 だが、その涙は今ここで終わってしまうだろう。ここで終わらないで欲しい、と祈りはするが結局ここで終わってしまうのだろう。
映画の中でヨム・ジョンアは、私たちを透明人間のように扱わないでくれと泣き叫ぶが、それをみた観客たちは出口を開けて挨拶したり、クーポンを配る職員を透明人間のように扱って出て行く。 ポップコーンを散らかし、ドリンクをこぼしても、それは片づける人の仕事だと平然と言う。
結局、映画がいくら現実と同じでも、あるいはこれこそ現実だと叫んでも、スクリーンという名前の巨大な膜がある限り、観客にとってそれは一つのバーチャルリアリティに過ぎない。 変わることは何もない。
私は、あるいは私たちは、ただ機械のように黙々と発券し、注文を受け、クーポンを配り、挨拶をすれば良い仕事だ。 相変らず私たちのタイムカードは、1分遅刻すれば勤務時間から30分削る、1分遅く退勤しても延長勤務とは認めない、彼らの時計に合わせている。
バイトを辞めたいのは山々だが、今日ほど辞めたいと思う日はなかった。 だが、2か月返済が遅れれば、直ちに君の財産を差し押さえるという韓国奨学財団の警告状が舞い込む…。 お客さんにクーポンを配りながら熱心に“インターステラー”と”フューリー”を売るしか…。
これは蛇足だが、このバイトを始めてエンディング クレジットが終るまで上映館に座っていることは、私に は罪深い喜びになった。 誰だったか、スタッフロールを最後まで観るのが礼儀だと言った人は。 アルバイトはタイムスケジュールに合わせて他の上映館のドアを開けなければならない。
それが狂えば、お客さんは出口でなく入口にあふれ出る、別名“逆退”状況が発生するが、一度起こす毎に罰点が決められている。 それが通常三回程度起きれば反省文を書き、毎月もらえる招待券をもらえなくなる。 さらに起きれば、もちろんバイト料も削られる。
あ、ただ、劇場文化なんて言っているけど、そんなのは戯れ言に過ぎないと言いたいだけ。文化だなんて偉そうに、何が文化だ! スクリーンのように文化を遮っているのに何が文化かと。 文化人らしく行動してこそ文化じゃないか。文化人でもない人が堂々と出て行ったって文化が自然に生成されるわけじゃない。 韓国のサービス職の文化は、本当に……うんざりする。
ただ少しだけウキウキできた。 マネージャーに自主退社を勧告され仕事を辞めて、久しぶりに遊びにきた午前にアルバイト仲間に会って、そんなこともあって、期限がいくらも残っていないクーポンを寄越したと言ってマネージャーにクーポンをまき散らすお客さんに会ったり、等々。