ちょうど10年前の2004年6月30日、ソウルから直線距離で60キロ離れた開城(ケソン)工業団地にモデル団地が竣工した。モデル団地内の田畑を整地して北朝鮮軍の大砲や塹壕など軍事施設を除去し、敷地造成作業を終えたのだ。これを基盤に同年12月に最初の製品である“統一鍋”が生産された。
何年もかけて開城工団の根を張らせた二人の産婆役に会った。キム・ドングン(68)開城工団管理委員会初代委員長(2004~2007年)と、現代(ヒョンデ)グループの、南北経済協力事業団専務と顧問を経て、現代峨山(ヒョンデ・アサン)の社長(2005~2008年)を歴任し、開城工団事業を民間側で指揮してきたユン・マンジュン(69)元社長である。ユン元社長は「開城工団が10年間に予想したほどには成長できなくて残念だ」と述べながらも、「統一の過程できっと孝行息子の役割をするだろう」と強調した。
司会:お二人は開城工団実現の産婆役をされたが、そのことは人生にどのような意味として残っているか?
ユン・マンジュン元現代峨山社長(以下、ユン):現代で働きながら、1998年に最初の子供“金剛山観光”を産んだ。 開城工団は二番目の子供だ。難産の末に生まれ、皆が心配するほど虚弱だった。しかし生命力はむしろ強かった。 後に、統一の過程できっと孝行息子の役割を果たすだろう。
キム・ドングン開城工団初代管理委員長(以下、キム):全く予想できない新たな挑戦だった。当時、韓国産業団地公団の理事長を務めていたが、開城工団の管理委員長をやれと言われて、二度にわたって固辞した。 とても苦労したが、今では人々に開城工団初代管理委員長としてのみ記憶されている。
司会:どうして工団が開城に作られることになったのか。
ユン:当時現代(ヒョンデ)は北に海州(ヘジュ)を特区にするよう要求した。北側は新義州(シニジュ)が良いと言った。しかし新義州はとても遠いし、海が浅くて物流に適切でなかった。直接行って見たところ、低地のために浸水も頻繁に起こりそうだった。 ところが、当時金正日(キム・ジョンイル)総書記が2000年初めに中国に行って来た後、急に態度が変わって開城に建設しようと言った。二つ返事で受け入れた。思いもよらないことだった。
キム:北の立場から言って、開城は最前線だ。軍事施設を後退させて工団を作ることは、実に困難な決定だった。土木工事の時、無数のバンカーと砲台を撤去した。「ああ、ここは本当に軍事密集地域だったんだな」と実感した。
司会:2004年に初めてモデル団地を開いた時、何の生活便宜施設もない荒れ地だったが、初期の生活はどうだったか?
キム:当時、管理委員会の開所式を行なう時、電気がなくて発電機を回し、水は地下水を汲んで飲んだ。宿所もサンドイッチパネルで作った臨時宿舎だった。毎日同じ人と一緒に食べて働いて寝た。一日中顔を突き合わせていなければならないから、かなり息が詰まる感じだった。晩に外に出てみると、職員たちが故郷を思いながら南の空を見ていた。 まるで故郷を失った人みたいに。
ユン:うちの会社には中東で働いた経験のある職員が多かった。 彼らが中東よりも開城工団の方がしんどいと言っていた。 行動の自由がないからだ。初期には退勤後に建物の外にも出られなかった。電話回線も10本に満たず、開城-平壌-日本-釜山を経由していくため、料金がなにしろ高かった。未婚の職員たちは恋人と電話していたら月に電話料金だけで40万~50万ウォンになった。
司会:北の人々との関係で意思疎通の困難さや文化的衝突はなかったか。
ユン:北の人たちの表現方式は私たちと違う。 自尊心が強く恥ずかしがり屋の面もあって、何を望んでいるかをストレートに言わない。言行を見て本意を理解するのにちょっと時間がかかる。 昨年も双方がお互いの言葉を理解できずに、工団の閉鎖にまで進んだのではないかと思う。
キム:北の関係者と会って南側の開発計画を説明する時、あちらはうまくいくかどうかを非常に心配していた。北側は、新義州もやってみたし、羅津・先鋒(ナジン・ソンボン)も特区として開発したけれど、うまくいかなかったではないかと。だが、土木工事が着々と進み、企業が入ってきて工場が稼動し始めるのを見て、少し安堵していた。工業団地を企業の立場で運営して初めて工業団地の競争力が生まれるが、北は私たちとは違うじゃないですか。このような点を理解させるのがちょっと苦労だった。
司会:よく言及される話だが、開城工業団地のメリットや意義は何だと思うか?
キム:南の資本と技術、北の労働力が結合されるわけだ。これが一番相性がいい。北の立場から言えば雇用を創出し、所得を提供して、企業経営を学ぶことができる。南の立場から言えば言葉が通じる腕の良い優れた労働者たちと一緒に仕事ができる。開城工団が紆余曲折を経ながらも持ちこたえているのを見ると、我々もじきに統一できそうだという希望が生じる。
ユン:周辺強国の中国・日本・ロシアが自国中心の民族主義的方向に向かっている。今、南北が狭い韓半島の中でごたごたもめているのがとても残念だ。分断状況において南北が協力する唯一の事業だ。平和的象徴性が非常に大きい。
司会:開城工団と関連して、何か現政府に建議することは?
ユン:今、開城工団の国際化を推進すると言うけれど、実際はそんな言葉を口にするのも恥ずかしい。南の企業でも南北関係のために開城に行くことを躊躇しているというのに、外国企業に対して行くことを勧められようか。“5.24措置”が藪から棒にいきなり出てきたわけではないが、これを段階的に解いていかなければ開城工団の国際化の話はできないと思う。
キム:東西ドイツの統一過程を見ると、西ドイツは政権が変わっても一貫性ある統一政策が推進された。私たちもいつできるかは分からないが、一貫性を持って南北事業を推進しなければならない。特に開城工業団地は、南北が協力すれば北も豊かな暮らしができるということを示している。開城工団を政治的軍事的問題と連携させず分離して対応してほしい。
イ・ヨンイン、チェ・ヒョンジュン記者 yyi@hani.co.kr