金泳三(キム・ヨンサム)政権発足初年度の1993年に“文民政府の私学不正1号”として教育界から淘汰されたキム・ムンギ(金文起)(82)氏一家が、江原道(カンウォンド)原州市(ウォンジュシ)の尚志(サンジ)大学運営権を再び掌握した。キム氏の次男キム・ギルナム(46)氏が先月31日、尚志大学理事会で新理事長に選出されたのだ。キム氏一家は、尚志大の正理事9人のうち6人を確保して、定款改正、総長選任など“全権”を振るうことができるようになった。
教育部が推薦したチェ・ヨンボク理事長(元科学技術部長官)及び尚志大学教授・学生・教職員など大学構成員が推薦したイム・ヒョンジン ソウル大学教授と教育部の推薦理事であるハン・ソン元江陵原州(カンヌン・ウォンジュ)大学総長の3人の理事は、「旧財団側を牽制する手段がない」としてキム氏一家の復帰に反対し、その前日辞任した。キム・ムンギ氏が93年3月、学生の不正入学などの疑いで拘束され、翌年最高裁の実刑(1年6ヵ月)判決で尚志大学理事長を解任されてから20年ぶりのことだ。尚志大学の運営権をめぐる学生・教職員など大学構成員たちとキム・ムンギ一家の長い戦いが、キム氏一家の“完勝”になったわけだ。教育部所属の行政委員会である私学紛争調停委員会がキム・ムンギ氏側に“理事過半数の推薦権”を保障し、教育部は尚志大構成員たちの“理事会跛行特別監査”などの要求に消極的に対した結果である。
■ キム・ムンギの尚志大学
もともと尚志(サンジ)大学は地域関係者ウォン・ホンムク氏が1963年に4年制夜間大学として設立した原州大学だった。1972年に教育部臨時理事として派遣されたキム・ムンギ氏が74年に理事長になると、財団の名前をチョンアム学院から尚志学院に変え、自らを設立者として定款に入れた。ところがキム氏は当時、原州大の買収過程で文教部長官だったミン・グヮンシク氏の庇護の下にお金一銭も出していないというのがウォン氏の主張だ。
江原道江陵出身のキム・ムンギ氏は、14歳の時にソウル・仁寺洞(インサドン)の“パゴダ家具”の従業員として社会に第一歩を踏み出した。キム氏が拘束された93年当時のマスコミ報道を見ると、キム氏は60年代後半、ミン・グヮンシク氏の選挙運動を助けた縁と、当時のフォーマイカ(メラミン化粧板)家具の旋風に乗って蓄財に成功し、尚志大買収後は、学生の授業料と不正入学などによる金で不動産投機に乗り出し、60万坪規模の“不動産王国”を立てた。 93年、国会議員の財産申告当時、185億ウォン余を申告して政権党議員のうち、3位を占めた。キム氏は維新独裁時代には統一主体国民会議代議員、全斗煥(チョン・ドゥファン)・盧泰愚(ノ・テウ)政権時代は民主正義党(民正党)・民主自由党(民自党)など与党国会議員を3回務めた。
尚志大学はキム氏一家の就職口であり、蓄財手段だった。 キム氏一家が理事(妻)、総長秘書室長(婿)、短期大学学長(義弟)、教務課長・漢方病院総務課長(8親等)、会計・庶務課長(キム氏の一族)など、要職を独占したりもした。 キム氏は尚志大学の運営に私財180億ウォンを投資したと主張しているが、その金がどこに使われたのかは確認する術がない。財団転入金が90年には3000ウォン、92年には一銭もなかった。93年のマスコミ報道によれば、尚志大学図書館には定期購読の定期刊行物が一冊もなかった。はなはだしくは「図書館備置用に清渓川(チョンゲチョン)(訳注:ソウル市清渓川沿いの古本屋街を指す)などで古本を目方で買ってきたこともある」という教授たちの証言もある。尚志大学買収直後には、すべての教職員に給料放棄覚書と白紙の辞表を出させた。キム・ムンギ氏が理事長だった78~93年、尚志大では理事会が一度も開かれていない。
キム・ムンギ氏は刑務所から出た後、絶えず尚志大への復帰を試みた。2001~2002年には学校内の自分の私有地に立て札を立て、建物工事を行なうとして鉄製ビームを積み上げた。現在の正門は、キム氏が“アルパッキ(敷地の中心となる場所を、利益を目的として所有すること)”をした土地を尚志学院が裁判所に地価相当額を供託して収用した後に、2007年にようやく立てられた。キム氏は正門や裏門近くに住宅・建物を買い付けて、大学構成員を非難する横断幕を掲げたりもした。
財団転入金3000ウォン…キム・ムンギ、今度は変わるか
1994年、学生不正入学の疑いで
キム氏理事長職解任
貯蓄銀行経費不正支出
不法政治資金をめぐる不正が相変わらずなのに
キム・ファンシク元総理の最高裁判事時代の判決で
キム氏が再び大学運営権を掌握
大学の構成員・地域社会“慨嘆”
「学校のお金に手をつけた人は学校から手を引かねば」
■ キム・ムンギのいない尚志大
キム氏が理事長を解任された後、尚志大学は飛躍的に発展した。キム・チャングク元延世(ヨンセ)大学教授、韓完相(ハン・ワンサン)元教育人的資源部長官、姜萬吉(カン・マンギル)高麗大学名誉教授、キム・ソンフン元農林部長官、ユ・ジェチョン元翰林(ハルリム)大副総長など信望の厚い元老たちが総長に推挙され、“民主大学”の基盤を築いてきた。教授協議会・教職員労働組合・総学生会・総同門会などが総長候補を推薦し、理事会で承認を受ける制度を定着させた。毎年大学本部が提出した予算案を総学生会が検討した。このような透明な学校運営の結果、尚志大は、教員が1992年の144名から2009年の364名に、入学定員は1550名から2036名に、資産は306億ウォンから1898億ウォン余りに成長した。この期間に韓方医療振興センター、自然科学館など十数個の建物が新築・増築された。教育部も「尚志大学が正常化された」と判断し、2004年に正理事体制(理事長 ピョン・ヒョンユン(邊衡尹))に転換させた。
■ キム・ムンギの復帰、そして葛藤
2007年5月、最高裁の「臨時理事の正理事選任は無効」という判決が、その流れに冷や水を浴びせた。キム氏が2004年の尚志大学の正理事体制への転換を無効化せよとして提起した訴訟で、最高裁がキム氏に軍配を上げたのだ。金滉植(キム・ファンシク)元総理が最高裁判事時代に主審を務めたこの判決で、2003年に正理事に選ばれた邊衡尹(ピョン・ヒョンユン)ソウル大学名誉教授、朴元淳(パク・ウォンスン)当時<美しい財団>理事(現ソウル市長)、チェ・チャンジブ高麗大学名誉教授ら9人が理事職を失った。2010年私学紛争調停委は“旧財団に理事過半数推薦権保障”の基準(いわゆる「正常化の審議原則」)を掲げてキム・ムンギ氏側から何人も正理事に任命した。 私学紛争調停委は臨時理事1人を選任して、旧財団理事4人と構成員・教育部理事4人との間で“妥協”するよう促した。キム・ムンギ氏が尚志大学から退いて17年ぶりのことだが、これをきっかけに、尚志大学は再び「紛糾私学’」の汚名をかぶる立場に追い込まれた。教授協議会・総学生会・職員労組など尚志大学構成員は非常対策委員会に結集し、懸命に旧財団の復帰を阻もうとした。キム元総理は2010年の総理聴聞会で「最高裁判決は、旧財団の復帰を許可した決定ではない」と釈明したが、結果的に私学紛争調停委とキム・ムンギ氏の行為に何の影響も与えることができなかった。
キム氏側が理事会に席を占めてから、尚志大学の運営は跛行の連続だった。匿名を要求した尚志大理事は「キム・ムンギ氏側の理事たちは先ず、尚志大学非常対策委の解体を要求してきた」と述べた。キム氏側は自分たちが欠席すれば理事会が定足数不足で成立しないという事を悪用して、理事会を揺さぶり続けた。2013年には理事会が16回招集されたが、キム氏側の理事は6回しか出席せず、ともすれば中途退場した。その中でユ・ジェチョン総長の後任の選任、教授の充員、予算案審議などの案件が処理できなかったり、遅延した。 韓国私学振興財団の180億ウォン支援が確定した学生の公共寮(896人収容)新築計画までもがだめになった。 寮の収容率が10.6%にとどまり、他地出身が60~70%に達する学生の不満は大きい。 ユン・ミンシク(25)尚志大学総学生会長は「旧財団理事たちが果たして学校と学生のための理事なのか尋ねたい」と述べた。
昨年8月、尚志大学が政府財政支援の制限という“制裁”を受けることになったのも、理事会が教授の充員を減らしたことが大きかった。次期総長選出は1年以上、解決の見通しが付かずにいる。予算案は準予算を執行しなければならない状況が今年で3年目だ。
キム・ムンギ氏一家の不正は“現在進行形”だ。2011年3月、金融委員会はキム・ムンギ氏が銀行長を務め、長男キム・ソンナム氏が副頭取だった江原相互貯蓄銀行に対する監査を実施し、経費不当支出などの不法事例を摘発したとして、3億206万ウォンを回収措置した。中央選挙管理委員会は2011年5月、キム氏と長男を与野党国会議員など16人に不法政治資金6900万ウォンを渡した容疑でソウル中央地検に告発した。
それでもキム氏一家は尚志大学運営権を再び掌握した。尚志大学の構成員たちも、再び“長い戦い”を準備している。尚志大学学生たちは先週の学生会発足式で、キム・ムンギ氏の大学私有化の試みに断固として対抗する決意を固めた。尚志大学教授265人のうち大多数が加入している教授協議会は9日総会を開き、対応策を論議する予定だ。 尚志大学教授協議会共同代表チェ・ドングォン教授(国文学)は「大学民主化の象徴が崩れようとしている。構成員が20年余りかけて学校を立て直し育ててきた努力が水泡に帰す危機に置かれている」と沈痛な面持ちだった。私学改革国民運動本部常任代表でもあるチョン・デファ尚志大学教授(政治学)は「私学不正の典型である者が20年ぶりに再び大学に入ってくるという歴史の反動的状況が展開されている。情けなくて痛嘆にたえない」と慨嘆した。
地域社会でも憂慮の声が出ている。タクシーを運転するイ・ホンジョ(74)さんは「尚志大学はずいぶん良くなって、最近では入学成績も上がった。再度混乱に陥れてはならない」と語った。“協同組合のメッカ”原州で信用協同組合運動に努めてきた<原州協同社会経済ネットワーク>のチェ・ジョンファン(72)理事長は「お金を優先視する人たちに教育をまかせるとは、非常に誤った決定だ」と心配した。
1日の夜、ソウルの自宅に戻るために通学バスを待っていた尚志大生のオ某(23・経営2)さんがこんなことを言った。「学生の金に手を出した人は学校から手を引かなければならないんじゃないですか?」 シン某(23)さんは「軍隊に行って3年ぶりに2年生に復学したんですが、問題がかえって悪化していてもどかしい」と言い、「キム・ムンギ旧財団が復帰してはならない」と述べた。キム・ムンギ氏の次男キム・ギルナム新理事長は、<ハンギョレ>のインタビュー要請を拒絶した。
原州/イ・スボム記者 kjlsb@hani.co.kr