高さ50mの送電塔は巨大だった。 その中ほどの高さ23mに二人の男がいた。 現代車社内下請け労働者として仕事をして、2005年に解雇されたチェ・ビョンスン(36)氏と民主労総現代車非正規職支会事務局長チョン・ウィボン(30)氏が送電塔の上から首を突き出し下を見下ろした。 彼らが蔚山(ウルサン)、北区(プック)楊亭洞(ヤンジョンドン)の現代車蔚山工場明村中門付近の送電塔上で籠城516時間を超した7日朝9時、記者もその塔に登った。
四肢がフラついた。 地上から高さ4mまでは鉄塔に取っ手と足がかりになるものはなかった。 鉄製の欄干と柱を適当につかんで上がった。 高さ4mをすぎると、すぐに太いボルトが打ち込まれていた。 上に登るほど風が全身を襲った。 めまいがして足元の世界が揺れて見えた。
20余日前、彼らが抱きしめ握って登った鉄製の柱と8分余の格闘の末、うれしい声が聞こえた。 「よく来られました。 頭を下げて気を付けて上がってきて下さい。」
籠城場は3坪程度だった。 幅50㎝、縦2mの鉄板10枚余りを底に並べ、緑色テントを屋根にした。籠城初期、二人は厚さ2㎝の合板上で身一つで過ごした。 寝返りを打つ空間もなかった。
籠城開始後、週末ごとに雨が降った。 雷稲妻も鳴った。「横になることもできなくて雨に打たれてずっと座っていたが、まともな精神状態ではなかった」とチョン氏は回顧した。 風雨と稲妻の中で危うげに座っている彼らを地上の非正規職同僚が強く心配した。 先月26日には鉄板を、3日にはテントを上に送った。
それでも高さ23mの籠城場の安全は保証されない。 そのまま並べて付けた鉄板の間からあの下の地面が見えるたびに恐怖が襲ってきた。 床とテントは揺れ続けた。 遠くないところに鉄道がある。 速い速度で走る汽車は空気を押し出し、その空気は‘ウウーン’と音を出して押し寄せ、鉄塔を揺さぶりまくった。 「風が強く吹けば寝袋の中に入り、かたつむりのように縮こまって耐えています。」
風が止んですることのない鉄塔上で二人は本を読んだり、スマートフォンでインターネットを見て回る。 昼12時10分頃、ご飯が上がってきた。 送電塔の下へ綱をおろせば、同僚が食べ物を引っ掛けてくれる。 綱は生命の紐だ。 黒いふろ敷包に魔法瓶2本、雑煮、キムチなどが入れられて上がってきた。 あたふたと食事を済ませた後、魔法瓶の中のお湯でインスタントのスティックコーヒーを入れて飲んだ。 骨の髄まで沁み込んだ寒さを溶かせる稀有な瞬間だ。
‘一日に2度の食事’綱によって用便処理
夜中の体感温度は‘零下’…寝袋の中で震える
その瞬間をしばしば楽しむことはできない。多く食べることはできない。 排泄量を減らすために一日二食で済ませる。 籠城場の一角には小便がいっぱい入ったペットボトルが置かれていた。 ペットボトルに慣れない記者は我慢に我慢を重ねて、鉄塔に上がって6時間ぶりに小便をした。 テントの天井が低く、ひざまずかなければならなかった。
大便は漆黒のような夜明けに処理する。 記者がいる間、二人はその場面を見せなかった。 誰かが見ているという羞恥心を避けられないようだった。 食べ物が上がってきた綱によって用便は地上に降りて行く。「同僚に私の用便を片づけさせることがいつも済まなくて。」チェ氏がぎこちない表情になった。
臭いまで下へ送ることはできない。 激しい風さえ二人の臭いにおいを追い出すことはできなかった。 ウェットティッシュでだいたい顔だけ拭く。 8日に1回程度、ペットボトルに水が入れられて上がってくれば、髪を洗い、足を拭う。 チェ氏らの顔は晩秋の太陽の光と冷たい風のために、焼けて凍って真っ黒だった。
「こんなことは苦労でも何でもありません。」腫れた顔でチェ氏が話した。 「高空籠城より非正規職として生きるということ自体がもっと大変です。」 2002年、現代車に非正規職として入社したチェ氏は、2004年から非正規職の正規職化のために戦った。 2005年の解雇後にも戦いを止めなかった。 その間に組合員2人が焼身し、160人が解雇され、1000人余りが懲戒された。使用側の民刑事上の告訴告発で労組員が背負った罰金だけで6億ウォンだ。
2004年には労働部が、2010年と2012年には最高裁が「現代車は不法派遣事業場あり、チェ氏はすでに現代車(正規)職員」と判決したが、現代車は不法派遣を認定できないとし持ちこたえている。 チェ氏は「少なくとも最高裁判決よりはより良い労使合意が出てこなければ降りて行かない」として苦笑いした。
地上のろうそく集会時は‘歌で一緒に’
"判決よりましな合意ができれば降りて行く"
午後4時、二人は歌を練習した。 毎晩6時、送電塔前でろうそく集会が開かれる。 この日、チェ氏らはドラマ‘最後の勝負’の主題歌を歌うことにした。 夕闇が迫ると100本余りのロウソクのあかりがついた。 歌は練習したのとは少し違っていた。 音程と拍子がちぐはぐだった。 しばし疲労を忘れた非正規職労働者の笑いが高空と地上の風に乗って広がった。
夜11時40分、テントの中に2人の籠城者と記者が身を横たえた。 この日気象庁が発表した最低気温は7℃だった。 だが、上空23mの体感温度は零下だった。 記者は靴下2足、下着、ジーンズ、綿Tシャツ、毛皮、シャツ、カーディガン、ダウンジャンパーにマフラーで備え、チェ氏が譲ってくれた厚い寝袋の中に入ったがそれでもまだ寒かった。
夜中の寒さに苦しんだチェ氏は翌朝ずっと咳をしていた。 籠城初日に登る際にケガをしたチョン氏の右人指し指は依然としてぷっくり腫れていた。 「大丈夫です。」健康を心配する記者の質問にも彼らは簡単には表情に出さなかった。
8日朝9時、記者は地上を再び踏んだ。「立法・司法・行政府、全部が認めた事実を現代車が拒否している現実を必ず広く知らせて欲しい」と言って二人は記者を見送った。 心細い希望を蘇らせる便りが送電塔下の地上に伝えられた。 8月21日に中断した労使特別交渉が8日から再開された。 はるかに上空に遠ざかったチェ氏とチョン氏が身を切るような風をかき分けるようにして手を振った。
蔚山/文・写真キム・キュナム記者 3strings@hani.co.kr