日本の石破茂首相に良い印象を抱いたのは、4月7日の参議院決算委員会でだった。その日、社会民主党の大椿裕子議員は、日帝強占期の1942年2月に起きた山口県の長生炭鉱の水没事故で亡くなった136人の朝鮮人労働者らの遺体発掘を市民団体が推進してきたことについて、石破首相の認識をただした。首相の答弁は意外だった。「現場を見た方がより正確に事態が把握できる、あるいは関係者の納得を得られるのであれば、(政府関係者による現場視察を)躊躇すべきとは思わない」として、「国としてどのような支援を行なうべきか、さらに政府の中で検討したい」と述べた。
これまで首相はおろか主務省庁の公務員もぴくりとも動かなかった問題で、首相が「現場確認の検討」を事実上指示したのだ。彼の発言は、歴史問題に取り組んできた日本の市民団体でも話題になった。この30年あまり、この事件の真相究明と遺体発掘の先頭に立ってきた「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(刻む会)」の活動家は数日後、「大椿議員は政府に本当にうまく質問してくれたが、それでも首相の答弁は予想外だった」と語った。
期待は長続きしなかった。先月22日に衆議院第一議員会館で行われた長生炭鉱の遺骨収容問題についての政府との意見交換会で、政府側は「(海底炭鉱の危険性は)政府の現地調査の対応の範囲を超えている」という発言をオウムのように繰り返した。「とりあえず現場を視察してほしい」という要求には、「専門家の意見を聞いて検討する」という答えを反復した。刻む会の13人のメンバーと15人の国会議員が彼らをなだめすかしたり、圧力をかけたりしてみたが、それ以上先へは進めなかった。この日の参加者の間からは「党と政府での基盤の弱い首相の言葉が通じない」と失笑が漏れた。
首相の本音は確認する術がない。ただ、石破政権は歴史問題で、以前の諸政権よりは穏健だと評される。しかし近ごろの態度は、「穏健」というより無関心、あるいは回避に近いように思える。政府による「戦後80年談話」を発表しない方向へと世論の流れを向けているのが代表的な例だ。日本の首相は、植民地支配と侵略戦争を反省した1995年の「村山談話」以降、10年ごとに、それを継承するとの考えを表明してきた。今回「談話」を発表しないというのは、この問題から逃げますと言っているような態度だ。
隣国に敏感に受け止められそうな問題にも、あまり気にかけていない様子だ。先日、日本政府は独島(ドクト)を「日本の領土」だと主張する領土・主権展示館を華やかに再オープンした。日帝強占期の朝鮮人犠牲者が排除された昨年の佐渡鉱山の追悼式や、尹錫悦(ユン・ソクヨル)前政権の「第三者弁済案」をやたらと歓迎する態度も同じだ。国民に銃口を突きつけた韓国の大統領の弾劾が決定された時、日本に一方的に譲歩してきた彼の罷免について、ある外務省幹部が「残念だ」と反応したという報道は、少し驚きすらした。
石破首相は昨年出版した著書『保守政治家 わが政策、わが天命』で、歴史家エドワード・カーの「歴史とは過去と現在との絶え間ない対話」だという言葉を引用して、政治家の仕事もそうではなかろうかと記している。そして彼は、韓国との関係改善は日本と東北アジアだけでなく、アジア太平洋の平和と安定に不可欠なものだとも述べている。およそ1カ月後に韓国に新政権が発足し、韓日外交の場が改めて立ち上がれば、彼の本音が確認できるかもしれない。
ホン・ソクジェ|東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )