私はたまに、自分の属している世代を取り巻く歴史的条件を考えてみる。私が「国民学校」を卒業した年、初等教育機関の名称は「初等学校」に変わった(1996年)。「皇国臣民を養成する学校」を意味する「日帝の残滓(ざんし)」を清算する、というのが大義名分だった。しかし、その時期の10代が実際に経験したのは、植民地コンプレックスの清算に近かった。この世代にとって日本とは、マンガやアニメを作るのはうまいが、たまに極右政治家が歴史に関して暴言を吐く少し変わった外国のひとつだった。だからニューライトの世界観で意識化された政治家たちが「韓国人は依然として反日種族主義から抜け出せずにいる」と訓戒を並べたてたりすると、今さら何を言っているのかと問いたくなる。
「最後の国民学校の生徒」たちは前の世代に比べてレッドコンプレックスに縛られることも相対的に少ない。幼少期に反共教育の痕跡のようなものを経験しはしたが、青少年になった時にはすでに冷戦は終わっていて、韓国はかなりの先進国になっており、北朝鮮の人々は飢えていた。北朝鮮が武力で韓国社会を脅かすという恐怖にも、統一された民族国家を建設しなければならないという情熱にも、容易には共感しえない状況だった。北朝鮮は、貧しい独裁国家だがたまに問題を起こすから管理すべき、少し困った外国のひとつとして体験された。
個人的なものであれ集団的なものであれ、コンプレックスは思考と行動の自由を制限する。20世紀に韓国を支配してきた植民地コンプレックスとレッドコンプレックスが力を失っていくに従い、私たちは歴史を激しい感情ではなく批評的な視線で振り返りはじめた。現実の分析も将来の展望も同じだ。特定の世界観の教義とタブーを絶対化する必要がなくなれば、選択肢は増える。絶対にしてはならないことや無条件にしなければならないことがないから、討論しても話が通じる。ひとつの社会が享受する自由の拡大とは、そのように実現するものだ。そうなるべきだった。
まさか2020年代にもなって、政権勢力が「共産全体主義」を相手にイデオロギー戦争をしようと叫ぶ姿を見ることになるとは思わなかった。反日種族主義から抜け出そうと言いながら、社会主義・共産主義系の独立運動家たちを集団の記憶から消し去ろうと闘争しているのも奇怪だ。オンラインでアップデートを終えたばかりの我が家のパソコンのOSをアップグレードしてあげますよと言いながら5.25インチのフロッピーディスクを一束持参し、玄関のドアをたたいている怪人の叫びを聞いているようだ。
1960年にキム・スヨンは「『金日成(キム・イルソン)万歳』/韓国の言論の自由の出発はこれを/認めることにあるが」(『金日成万歳』)と書いた。理由は簡単だ。統治者の支配イデオロギーに反する人々をことごとく粛清する体制よりも、最も危険にみえる思想すら放っておいても崩壊しない体制の方が、はるかに優れていて健康で、それこそまさに自由主義だからだ。似たような文脈で、私はカトリックの教皇になれたら、まずマルティン・ルターとジャン・カルバンを聖人に指定する。そうしてはじめて自らを、キリスト教の歴史を包括する真の普遍教会だと主張できるからだ。
冷戦は1世代前にすでに終わっている。北朝鮮はもはや体制競争の対象ではない。約1カ月前、ソウル市内では10年ぶりに国軍の日の市街軍事パレードがあった。各軍の最新の兵器システムを誇示する大規模パレードは過去にもあったが、最近の様々な脈絡はこの行事を滑稽なものにしてしまった。スローガンは「力による平和」で、反国家勢力との「イデオロギー戦争」を宣言した大統領が中心となった熱病が繰り広げられた。自然とこの行事は、異例にも今年は3回も行われた北朝鮮の軍事パレードと比較された。今日の多くの韓国人にとって、このような軍事力の誇示は「北朝鮮のような」全体主義国家のイメージと重なる、馴染みのない儀礼だ。最新鋭の戦車とミサイルが光化門(クァンファムン)前を行進する時に市民が感じるのは、強い軍事力で保護されているという安堵ではなく、為政者たちは平和ではなく軍事的対決に関心を持っているのかもしれないという不安だ。
なぜ韓国が数世代にわたって拡張してきた自由を放棄し、努めて北朝鮮政権のレベルにまで下りていって競争しなければならないのか。一時、レッドコンプレックスを基盤とした反共主義が自由民主主義の名をかたった時代があった。いま私たちはそのような過去を恥ずかしく感じるほど自由な体制の下で暮らしている。私は韓国の現代史が成し遂げたそれをかなり誇りに思う。だから、この自由を脅かす反体制勢力を警戒せざるを得ないのだ。
ハン・スンフン|韓国学中央研究院宗教学専攻教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )