陸軍士官学校の校庭に設置されていた洪範図(ホン・ボムド)をはじめとする植民地時代の武装独立闘争の英雄たちの胸像の撤去・移転の決定、そしてそれに続く論議をめぐり、一部の人たちはこれを「歴史戦争」と呼んでいるようだ。戦争という扇情的な表現まで使う必要はないが、植民地化を通じて近代の経験が始まり、植民地体制の終りが完全な民族国家の樹立につながる代わりに、冷戦体制の影響で左右対立と残酷な内戦による分断体制がかたまった韓国近現代史の複雑な経緯を考えれば、過去の歴史の教訓を正しく整理することは必要なことであり、これをめぐる解釈の闘争が発生することは避けられないだろう。
そうした解釈闘争は、併合という美名のもので成立した日本帝国主義の朝鮮半島の強制占領は不法な暴力でありそもそも無効なのか、それとも封建朝鮮の支配勢力が自ら招いたものとして受け入れざるをえなかった宿命的な歴史過程なのか、という論争から始まり、日本による植民地支配が韓国社会の近代化にポジティブで積極的な役割を果たしたのか、あるいは帝国主義的な搾取に過ぎないものだったとする、いわゆる植民地近代化論争に基づく。また、そこから派生した論議といえる親日附逆派清算問題や慰安婦・強制徴用に関する論争、解放直後の国家形成をめぐる左右中道路線に関する論争、朝鮮戦争勃発の責任に関する論争、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の間の正統性/正当性の論争、朝鮮戦争とその後の冷戦的な分断体制の形成過程における米国の役割に関する論争、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領、あるいは李承晩(イ・スンマン)大統領の歴史的な功罪に関する論争など、様々なテーマをめぐり展開された。時期と状況によっては、あるテーマは鮮明に突出することもあれば、別のテーマはこれといった結論が出ないまま長期にわたり潜伏することもあり、韓国現代史の長きにわたる課題として残されている。
だが、こうした論争は、時間がたってもひたすら敵対的な平行線を引いてきたとはいえない。こうした論争が始まったのは、1987年の大統領直接選挙制への改憲と制度的な民主化の一定の定着後、言論と表現の自由がある程度保障された後のことだ。同時に、多くの社会的対立が、自由で開かれた社会的な対話や討論、関連法や制度の整備などを通じて時間をかけて徐々に解消されたり、一定の水準の社会的合意を得たケースは少なくなかった。
上記で指摘した歴史解釈闘争のテーマも同じだ。このテーマは大きくみて、植民地時代の問題と植民地からの解放後の問題に分かれる。植民地時代の問題は、日本帝国主義の侵奪に対して今なお残る敵対感情や被害意識、そして民族主義的な感情の影響によって、親日派や日帝残滓問題、慰安婦や強制徴用労働者問題などについては多くの場合反日的かつ民族主義的な見解が支配的なものとなっている。解放後の問題の場合、戦争体験と冷戦意識が長く続いた影響だろうが、今でも北朝鮮に対する敵対的な認識と幅広い反共主義、親米的傾向が支配的であり、李承晩・朴正煕時代の歴史的な功罪といった問題は、論争状態が続いているといえる。過去30年の間の世論の地形を全般的にみると、反日民族主義的な傾向はいわゆる進歩左派側が強く、それに一部の民族主義右派が合流しているかたちであり、反北朝鮮・反共主義的な傾向は、いわゆる保守右派側が強いといえる。それぞれ具体的な事案と状況によっては、時には互いに衝突し、時には互いに了解(?)しながら、一種の社会的な力のバランスを維持してきたといえる。
それぞれの立場としては不満だとしても、このように長い時間をかけて社会的な合意とバランスが成立する過程を無視し、一気に世の中を変えようと企てることはできないのが現実だ。互いの立場の違いは明白であり、相手の立場に対しては、不満を越えてどうにかして潰すか、最初から芽を摘み取らなければならないと思うだろうが、それは不可能なことだ。民主主義社会は、多くの違いが共存して角逐する多様性の空間であり、その違いと多様性を認めることによって、民主的コミュニケーションを通した社会的安定と発展を期待できるからだ。そして、そのような違いと多様性の角逐と競争をいかに調整するかが、まさに民主主義の政治過程の要諦だといえる。権力を握ったからといって、自分の立場を絶対視・神聖視したり、相手方の違う立場を破棄したり絶滅させる対象とするのは、民主政治でなく、暴力的専制政治の発現だといえる。
現在の尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権発足後の歴史問題に関する動きは、そういった点できわめて危険だ。いわゆる自由民主主義的な価値というものを掲げ、これを「共産全体主義」と対比させ、北朝鮮との関係改善と平和定着のために進歩・保守を問わず積み重ねてきた歴代政権の努力を、あたかも自分たちの掲げる自由民主主義的な価値に逆行するものとして片付ける。さらに、陸軍士官学校の洪範図の胸像撤去の決定をめぐる現政府の言動は、植民地時代の歴史から大韓民国を分離して切り出し、その大韓民国を親米親日反共第一主義の国に固定させようとするものであり、大韓民国の正統性を3・1運動後の臨時政府に置く現行の憲政の秩序に対する一種のクーデター的発想だといえる。
なぜ突然、現政権がこのような反憲法的でクーデター的な発想からイデオロギー闘争の旗を掲げるようになったのかはよく分からない。だがこれは、今でも問題があるとはいえ韓国社会が過去30年の長い年月をかけて成し遂げてきたそれなりの社会的合意の過程を無視する、それこそ全体主義的な暴挙だといえる。しかも、長くは社会的不平等の深化と気候危機、短くはコロナ禍とウクライナ戦争後の深刻な経済危機によって、きわめて深刻な難局に直面している韓国社会の現実において、こうしたとんでもない時代錯誤的な「歴史戦争」に政治社会的な力を消耗することに、何の意味があるのか分からない。
世間で推測されているように、尹錫悦大統領は、来年の総選挙で自分の勢力で再編された与党の勝利と、その勢力が再び権力を握るための極右勢力の結集だけに血眼になっているのだろうか。政権発足後、尹大統領彼が起こした国内外での様々な事件・事故には慣れてしまったが、予測不可能な大統領の言動はいまだに慣れず、危険千万に感じざるをえない。
キム・ミョンイン|仁荷大学国語教育科教授・文学評論家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )