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[寄稿]日本の右翼の韓国人嫌悪は誤りで、自分の性的マイノリティー嫌悪は正しい?

登録:2021-03-08 03:02 修正:2021-03-08 07:02

 人生には、ときおり思いがけない祝福の瞬間がやって来る。博士号を取ったばかりで学校で働いていた折の、ある日の昼食時間がそうだった。「先輩、ギター弾くの好きでしょ? 一緒にバンドやりましょうよ」。ひとりでしていた食事の手を止め、顔を上げてみると、博士課程の女子学生が2人いた。「私、ドラム習おうと思ってるんです。この子はベースを習うって」。「○○先輩はギター、△△先輩はキーボード弾くから、メンバーになってください。一緒にやりましょう」。拒否する理由はなかった。そこで大学院生の後輩たちとバンドを始めた。5人組の混成ロックバンド「チョ博士だけが楽しい人生」が誕生した瞬間だった。

 バンドは楽しく、大変だった。先輩だからとリードギターをやることになった私は、実力が足りないせいで、ちょっとしたことで弾き間違えて演奏を台無しにした。それでも楽しいと言ってへらへら笑っていたら、ついたバンド名がこれだ。有名バンドだけに存在すると思っていたメンバー同士の不和も起きた。結局2人が脱退し、1人が新たに加わって、男3人、女1人の4人組になった。金曜日の夜、弘益大学前のスタジオで練習すると、1週間のストレスが解消された。

 ある日の打ち上げの席でのことだった。私以外の3人は独り身だったので、自然と恋愛の話になった。恋愛は良いが、結婚のプレッシャーはいやだと、みなが相づちを打った。差しつ差されつしていたところへ、新入りのいちばん年下のベースが話を切り出した。実は自分はゲイだと。やがてキーボード兼セカンドギターが、自分もゲイだと言葉を継いだ。2人は互いに知っていたが、カップルではないから誤解はしないでほしいという。私は慌てないように努力したと思う。笑いとばしたような気もする。ドラマーの女の後輩が機転を利かせて言った。「バンドをしていた先輩に、バンドやる時に気をつけなければならないことを聞いたんです。メンバー同士、恋愛だけはするなと何度も言われました。バンドが崩壊するって。分かりました、って言ったんだけど、密かに期待もしてたんですよね。私以外、みんな男だから。でも1人は所帯持ち、2人はゲイ、何これ!」 みなでしばらくいっしょに笑った。果たして、私たちには何も起こらなかった。他のバンドと同じように、練習したり一緒に遊んだり。恋愛だけはなかった。時には楽しかったし、時にはギクシャクした。少しずつ実力もついていった。

 あの当時の記憶が思い浮かんだのは、ピョン・ヒス下士(軍の階級)の死のためだ。機甲の突破力で打ち勝つと言っていた彼女だったが、押し潰されて世を去ってしまった。立派な女性軍人として国を守ると言っていた彼女を、国は捨てた。2月と3月の間に、作家のイ・ウニョンさん、社会運動家のキム・ギホンさんの3人のトランスジェンダーがこの世を去った。嫌悪と差別に立ち向かって何とかしようとしていた人たちだ。知られている人だけでも3人だ。

 性的マイノリティーは特別ではない。良い人も、悪い人も、変な人も、あらゆる人がいる。特恵を望んでいるのではなく、差別なく共に生きることを望んでいるのだ。米国ではバイデン大統領が就任直後、行政命令でトランスジェンダーの軍務についての差別措置を廃止した。非倫理的ドナルド・トランプが作った「非正常」を「正常」に戻した例の1つだ。「米国は包容力を持つ時、国内と世界においていっそう強力になる」と言って。世界がひざまずいて韓国を称えるという「クッポン(韓国を褒めたたえる言動、またはそのような言動をする韓国人)」の時代だからなのか、「千兆国(千兆ウォンの軍事費を使う国。米国のこと)」米軍の例も通じない。マーク・ラムザイヤー教授と日本の右翼の韓国人嫌悪は誤っているが、自分の性的マイノリティー嫌悪は正しい。死を伝える記事へのコメントを見るに、ネイバーとダウム(両者とも韓国のポータルサイト)が総団結している。性的マイノリティー嫌悪と差別に右派・左派の違いは存在しない。国民の党のアン・チョルス代表は性的マイノリティーを拒否する権利も大切だと発言し、クィア文化祭を外へと追い出すと宣言した。元人権弁護士の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、前回の大統領選挙の際、「同性愛に反対する」と明らかにしてもいる。生きている人のアイデンティティーに反対するとは、驚きで気が遠くなる。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は包括的差別禁止法案を初めて発議したが、今の政府与党は全く関心がなさそうだ。検察改革以外、政権に負担となる議題は持ち出すなと言っているように見える自称「ろうそく政府」だ。その間に人々は崖から落ちていっている。突き落とす手の中に私の手が混じっているようで、冥福を祈るにしのびない。

 私たちのバンドはいちばん年下のベースが入隊したことで解散した。入隊を前にデビュー兼解散ライブをやった。いつも間違えてばかりだった私が、 その日のライブでは奇跡のように一度も間違えなかった。最後の曲では私が言い張ってボーカルもとった。パク・チュンフンとノーブレインのバージョンを組み合わせた「雨とあなた」を歌った。ギターを弾いて、歌を歌い、飛び跳ねて叫んだ。永遠に忘れられぬ思い出だ。コラムにこの話を書いてもいいかと聞くために、久しぶりに後輩たちに連絡を取ってみた。気安くは承知できないはずなのに、いいよと言ってくれてありがとう。次の言葉を言いたかったのだが、伝えられなかった。あの時、打ち明けてくれてありがとうと。チョ博士は本当に楽しかったと。「一緒に」やれて良かったと。

//ハンギョレ新聞社

チョ・ヒョングン|社会学者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/985756.html韓国語原文入力:2021-03-07 17:08
訳D.K

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