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[寄稿]コロナより強い「大韓民国生存ウイルス」

登録:2020-11-26 03:55 修正:2020-11-26 09:38
チョ・ムニョン|延世大学文化人類学科教授
中等任用考試試験を翌日に控えた20日、ソウル銅雀区鷺梁津のある大規模任用考試予備校で新型コロナの感染者が多数発生した。銅雀区保健所に設けられた選別診療所で、同日午後、予備校生たちが検査の順番を待っている/聯合ニュース

 ソウル鷺梁津(ノリャンジン)の予備校街で集団感染が発生した直後、中等教師任用試験が行われた。試験を終えた受験生が「あふれ出し」し、ソーシャル・ディスタンシングが「崩壊している」状況が報道されると、教師志望者たちは防疫守則も守らないと非難するコメントがあふれた。しかし、若者が主に集まるネット上のコミュニティの雰囲気は違っていた。極限状況で年に1度きりの試験を受けなければならないのに、感染源扱いまで受けることになった悔しさに十分共感していた。「人生のかかった」試験を準備してきた受験生の切実さに感情移入し、公正性議論に火がついてもいた。修学能力試験(大学入学一斉試験)は感染者にも受験の機会を与えるのに、同じく「人生をかけて」勉強してきた任用試験準備生の機会はなぜ剥奪するのか、親たちが集団で圧力を行使しにくい就活生を無視するのか、という批判が相次いだ。

 感染すれば自分が死ぬかも知れず、感染させて人を殺すかもしれないのがウイルスだ。このような状況で受験生の権利をとやかく言うなんてと、ひんしゅくを買うかも知れない。しかし多くの青年は「死力」を尽くして勉強し、働かなければならない「大韓民国生存ウイルス」に感染した状態で生きている。メディアは「沈黙の伝播者」として青年たちの安全不感症を非難するが、各種の資格試験は若者たちが大韓民国で安全に生き残っていくために必死にしがみつく命綱だ。彼らにとって安全とは、単に死ぬ危険を避けることではなく、「死力」を尽くして成就すべき仕事となっている。若年層の致死率が低いというコロナウイルスに新たに感染するのではないかと心配するよりも、大韓民国生存ウイルスの感染者として最後まで生き残るために孤軍奮闘することの方が、利己的ではあるが効果的な選択だと考えられる。

 しかしこの大韓民国生存ウイルスも他のウイルスのように「未来」という時間を消し去るという点では同じだ。最近、「京畿道青年基本所得(ベーシックインカム)」の受給者に対するインタビューを進める中で、私は政策の効果よりも韓国社会における若者の疲労感の方が気になった。京畿道青年基本所得は、京畿道に住民登録している満24歳の青年に対し、四半期ごと(計4回)に25万ウォン(約2万3600円)を地域貨幣で支給する制度だ。私と共同研究者たちは、現在の受給経験を通じて定期的に十分に支給される基本所得を想像してもらうように誘導し、基本所得が実現された将来の世の中はどのような姿になっていると思うか、その世の中でどのような人生を送りたいかを聞いた。しかし、学歴や経済状況とは関係なく、「未来」とは私たちが出会ったほとんどの若者にとって、相当になじみのない時間だった。インタビューの参加者たちは、コロナ禍でどのように過ごしているのか、地域貨幣をどのように使ったのか詳しい話をしていても、未来を想像しなければならない入り口のところで口ごもった。想像そのものに困惑したり、「想像できることだけを想像する」と言って未来を切り縮めてしまったりした。

 基本所得運動に積極的な青年たちは、基本所得を自らの人生の決定権を獲得する基盤としてとらえつつ、賃金労働よりも自主的な「活動」に注目する傾向がある。 しかし私たちが出会ったインタビュー参加者たちにとって、依然として最も重要なことは「仕事」、特に安定した働き口だった。この「仕事」は、自らの人生の価値を承認する絶対的規範であり、時には労働倫理に対する強迫観念を煽りつつ、懸命に努力した「自分」とそうでない他人を区分する物差しとなる。インタビュー参加者には公務員試験に備えている人がかなり多かった。ある人は、両親の執拗な調教に降伏したと言い、様々な夢を育んでいたものの、歳を取るにつれて不安が押し寄せてきたと、まるで弁解するように答えた。しかし、公務員試験のことを「七光り」を使わなくても済む「公平な機会」と主張する青年もかなり多かった。ある参加者は、普遍基本所得の遠い未来を想像してほしいという私たちの願いを痛快にもぶち壊した。「基本所得があったら、9級試験をすっ飛ばしてすぐに7級試験を準備します」

 コロナ禍は厳しいが、幸いワクチンのニュースが聞こえてくる。だが「大韓民国生存ウイルス」に対しては、ワクチン開発の意志があるのか疑問だ。私も含めて、このウイルスの感染者たちは、今日も学校や塾で、工場や会社で、身の安全を確保するために必死に勉強し、働いている。「人生を生きる価値があるようにするものとは何かを決定する自由」(デヴィッド・グレーバー)を放棄したまま、過度なつながりで他のウイルスの出没を助長し、臨機応変に避けていると言っては大騒ぎし、責任の押し付け合いを繰り返して地球の消滅を早めている。悔しい思いもなくはないが、傷ばかりの生存の代わりに万物の息を吹き込むワクチンの開発は、結局のところ感染者の役割として残されている。

//ハンギョレ新聞社

チョ・ムニョン|延世大学文化人類学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/971466.html?_fr=mt2韓国語原文入力:2020-11-25 16:40
訳D.K

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