医師諸団体の集団休診、法的には違法な診療拒否(医療法59条)が一段落した。手術と診療の延期で大きな苦痛を味わった患者たちが、遅ればせながら治療を受け、国民も不安が解消できるようになったことは幸いだ。それでも、今回の集団休診の過程で医師諸団体が見せた常識以下の行動は、指摘せざるを得ない。その弊害があまりにも大きいからだ。
政府の政策を批判し、それに反対することは、国民の当然の権利だ。今回の4大医療政策(医学部定員拡大、公共医科大の設立、漢方薬の給付化モデル事業、非対面診療の育成)については、医師団体だけでなく市民団体と労働界も理由は異なるが批判した。問題は医師諸団体の行動だ。傲慢、独善、我執、無責任、破廉恥などなど。民主主義社会を生きる市民としての資格に達していない。
民主主義とは政治体制のみを指すのではない。社会構成員たちが共同体の問題を解決する際、守らなければならない基本原則をも意味する。この場合、第1原則は対話と妥協だ。討論を通じて違いを確認し、相互譲歩を通じて折衷点を見出すのである。どちらか一方が力で推し進め、自分の利害を100%貫徹しようとする時、民主主義は立場を失うことになる。
政府は、医師諸団体が集団休診を予告すると、先月5日に協議体を設置して要求事項を話し合うことを提案した。実は、これより先に大韓医師協会(医協)が提案していた。にもかかわらず、医師諸団体は協議体の参加を拒否し、4大医療政策の全面撤回を要求して集団休診を強行した。政府が公式発表した政策を論議もせぬまま、問答無用で撤回せよとは、世の中にこのようなやり方があろうか。
非民主的な意思決定は、医師団体内部でもあらわになった。医協の傘下団体である大韓専攻医協議会(大専協)は、医協が政府・国会と協議して持ち帰った合意案をそのつど覆した。特に先月30日には、集団休診延長を否決した第1次投票の結果を覆してまで合意を拒否した。全権を委任された医協のチェ・デジプ会長が4日に政府と合意した最終案についても、強硬派は「独断的な行動」だとして強く反発している。民主主義は少数意見を尊重しつつ、同時に多数決の原則を承服しなければならない。しかし、医師諸団体は少数意見は無視し、多数決の原則は否定した。
民主主義は行動に責任を取ることを要求する。しかし、医師諸団体は責任には目をつぶり、権利ばかりを主張している。集団休診によって患者が大きな苦痛を強いられることを知りながら、医療現場を離れた。当初、医師諸団体は「救急室や集中治療室などの患者の命と直結する業務は除外する」と述べていた。しかし、この約束を弊履のごとく捨ててしまった。その結果、救急患者が診療スタッフのそろった救急室を見つけられず、命を落とすケースが相次いで発生した。にもかかわらず、医師諸団体はこれまで一言の謝罪もない。
民主主義は相互尊重の基礎の上でのみ作動しうる。医師諸団体は「毎年全校1位を逃さぬように勉強に邁進した医師」と「成績はかなり足りないが、推薦制で入学した公共医科大学の医師」のどちらを選ぶかと問うた。傲慢の極致である。世の中は全校1位どころか、クラス1位になったこともない人が大部分を占める。しかし多くの人々は自分の職業倫理を守りながら、最善を尽くして懸命に生きている。単に医者ほど稼げないだけだ。にもかかわらず、医師諸団体は試験の成績で人を分ける浅はかな認識をあらわにした。
医師諸団体は、集団休診を合理化しようとしてフェイクニュースを作って広めた。目的を達成するためには手段と方法を選ばなかったのだ。メディアがファクトチェックを行い、フェイクニュースだという事実を明らかにした後も拡散した。恥を知らないようだ。
私は、医学部のカリキュラムがどのように構成されているのか、医学部で医術以外に何を学ぶのかは知らない。しかし、医学部で民主主義をきちんと教えていないのは明らかなようだ。
政府は、法と原則に則って断固とした対応を取るべきだ。医師国家試験問題を政府がどのように処理するのか、国民は注視している。医師諸団体は、試験を受けなかった医大生を救済しなければ、再び集団休診に入ると脅している。医学部生たちが試験を拒否しているのに、政府の方から進んで機会を与えよとは、こんな理屈が通ると思うのか、各医師団体に問いたい。医学部生たちがまず試験拒否に対して過ちを認めてから、再試験の機会を要請すべきで、それ以前に政府が手を差し伸べてはならない。特権意識にとらわれたエリートたちが共同体の基本原則を破壊することをこれ以上許してはならない。
アン・ジェスン|論説委員室長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )