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[寄稿]公正対平等

登録:2019-11-19 06:50 修正:2019-11-19 08:02

 今や公正が韓国社会の話題になったようだ。チョ・グク前長官の辞任以後、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は国会施政演説で「公正」に27回も言及し、政府は大学入試制度で定時(筆記試験による大学入学選考方式)を拡大する方針を発表した。

 公正とは一般的に反則がない過程、すなわち全員が差別なく透明に競争する結果により報酬が決まることをいう。誰かが両親の徳によりスペック(進学や就職などで重視される能力や経歴、保有している資格のこと)を積んで名門大学の入試に成功することよりも、完全に同じく受けた試験の成績によって結果が決まることが公正だろう。公正は自分の能力により社会的地位が決まる能力主義とも関連が強い。

 もちろん、これは機械的で形式的な公正の概念であり、平等な結果を含むさらに広い公正の概念を考えてみることもできる。実際にニューヨーク大学の社会心理学者ジョナサン・ハイトは、保守派は公正を比例性の原則と考える一方、進歩派は公正を平等の原則とし、お互いに異なって考えていると指摘した。

 ところが、韓国で現在話されている公正は、主に比例性に関する狭小な概念に留まるものと見られる。彼らの多くは、そのような観点で定時の方が公正だと考えるはずであり、一方、低所得層や特定地域を配慮する選考はそうでないと考えるだろう。一部の大学生は友達を「地菌虫」(高校の校長に推薦され地域均衡選抜選考により入学した学生)や「機菌虫」(機会均等選抜選考で選ばれた低所得の学生)と呼び、公共部門で試験を受けて入ってきた正社員の青年が非正規職の正社員化に反対する声も高い。

 しかし、費用の掛かる塾に通える江南の富裕層の子女たちが名門大学に入学する確率は定時においてもっと高いため、形式的な公正はときに結果の平等との対立をもたらすようになる。 実際に所得上位階層であればあるほど、大学入試で学総(学生簿総合選考:内申点に当たる学生簿の点数を用いる大学入学選考方式)よりも定時を好むという研究結果もある。

 さらに、このように狭い公正概念を強調することは、能力があるから成功したという能力主義を支え、結果の不平等を正当化して弱者に対する配慮を弱めるかも知れない。多くの中上流層が世襲で金持ちになった者たちを批判しながら、低所得層の福祉のためにさらに税金を払うことに反対するのも、もしかして私たちの中に内在する能力主義のためではないだろうか。よく良い意味で使われるが、「メリトクラシー」(出身や家などではなく能力や実績、すなわちメリットにより地位や報酬が決まる社会体制)という単語自体が、エリートが社会を支配するディストピアを警告する意味だったということを忘れてはならない。

 問題は、現実には個人の能力を、親や家のような環境要因から分離しにくいということである。多くの研究は、子供の時から親の所得のような要因が知能に影響を及ぼすと報告する。さらには、赤ちゃんが母親の腹の中にいる時から、母親の環境が赤ちゃんの生まれた後の健康と育った後の成功に影響を及ぼす。また、家の環境などの理由により、低学年時に比べて高学年になるほど、裕福な家と貧しい家の子供たちの成績に差が生じる。実験研究では、裕福な者と貧しい者たちの認知能力に違いはないのに、貧しい者たちに経済的に困難な状況を考えさせるようにすると、裕福な者たちより認知能力が落ちると報告する。

 それならば、深刻な不平等をそのままにしておいて、本当に公正な競争が可能なのだろうか。結局、形式的な過程の公正を追求するとしても、裕福な親をもつ子供たちが入試でも卒業後でも成功する可能性が高い。親の間の結果の不平等が、子の機会の不平等にそのままつながるからである。韓国は国際的に世代間の所得弾力性が低く、機会の不平等が小さいが、最近はそれが悪化しているという憂慮が深まっている。

 それなのに、青年を含む多くの者たちが今、公正に飢えているのは、努力や能力と結果が乖離する不公正な反則がよく見えるからである。特に、労働市場の所得で結果の不平等が大きいと、不公正な過程に対する怒りがより大きくなりやすい。不平等が深刻な現実で、過程すらも不公正なのは受け入れがたいことではないか。したがって、能力により正当に補償する過程の公正を実現するための努力は必ず必要だろう。

 しかし、同時に重要なのは、これと共に結果の格差を減らして機会の平等を追求することだ。匙が違う子供たちの間ではちゃんとした競争はなかなか行われず、平等のない公正は限界が大きいからである。真の公正のために必要なのは、やはり不平等に対抗する戦いだ。子供たちの出発点を選ばせるようにして、入試で機会均衡選抜を拡大し、脆弱な労働者に力を与えて所得再分配を強化する、そして何よりも、政治を変えるための努力が必要だ。それが公正と平等の間の対立を越える道である。

イ・ガングク立命館大学経済学部教授//ハンギョレ新聞社

イ・ガングク立命館大学経済学部教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/917489.html韓国語原文入力:2019-11-19 02:40
訳M.S

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