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[寄稿]北朝鮮、岐路に立つ

登録:2018-04-24 22:47 修正:2018-04-25 09:56

 北朝鮮は核を完ぺきな体制保障の見返りに徐々に放棄すると同時に、資本主義世界体制に完全に編入されようとしている。今この瞬間瞬間こそが、北朝鮮の歴史だけでなく北東アジア全体の歴史の岐路と言っても過言ではない。この遠大な抱負が実現されるか否かにより、北東アジアの未来が変わるかもしれない。

 北朝鮮だけでなく朝鮮半島、ひいては北東アジア全体が岐路に立ったこの運命的瞬間にこそ“運動”が大変に重要だ。平和のためのろうそくデモのような形で、大多数の韓国人が対北朝鮮敵対政策の廃棄と平和レジームの成立を望んでいることを世界に示せば、平和に進む道ははるかにたやすくなるだろう。

岐路に立つ北朝鮮=イラスト//ハンギョレ新聞社

 私は決して植民史観にとらわれはしない。したがって私は、朝鮮半島の歴史が主に他律的に、外部の原因によって左右されるとは絶対に見ない。朝鮮半島も世界のどの地域に劣らず、その固有な歴史のリズムを有していることは自明だ。とはいえ同時に、認めるべきことは認めなければならない。

 朝鮮半島は北東アジアの要衝の地であるだけに、常に“外圧”に露出していて、時には外からの影響がその運命に大きな役割を果たす。万に一つ、韓国を“反共の最前線”と認識した米国と日本が、1960年代から朴正煕(パク・チョンヒ)政権に借款と技術を提供し、韓国の誘致産業が国内市場の保護を受け、裕福な外部市場に接近できるように新重商主義的保護貿易を貫徹させなかったとすれば、果たして超高速開発は可能だっただろうか。しかし、韓国に対する開発支援の裏面には、北朝鮮に対する開発阻止があった。1970年代から対米・対日正常化の道に入った中国は、すでに1970年代後半から西側と日本から良い条件で開発援助とテクニカルサポートを受けたが、米国の“敵対国”に確定していた北朝鮮は、概してその時から途方もない国防費負担などで経済沈滞に直面した。内部的要因ももちろんあったが、一次的には米国の敵対という外因が大きく作用したのだ。

 中国やベトナムと同じように、ソ連式“赤色開発主義”、すなわち国家が独占的に主導する経済の限界に直面した北朝鮮も、開放政策推進のためにそれなりの努力を傾けもした。一つ事例を挙げるなら、中国の改革開放を参考にした北朝鮮は、すでに1984年1月に最高人民会議第7期3次会議を通じて「対外経済事業および貿易拡大発展方針」を採択し、同年9月には「合弁法」、すなわち外国資本との合作企業設立に関する法律を制定した。以後これを根拠に、1986年から合弁会社を設立し始め、1991年12月に羅津(ナジン)・先鋒経済特区などを設立した。

 ところが、こうした慎重な試みは国際政治の“壁”にぶつかった。米・日との未修交状態では、西側や日本の投資家が北朝鮮を相変らず“高危険地域”と見て冷遇した。その当時、金日成(キム・イルソン)主席はこの“壁”を果敢な対日外交で突破しようと考えた。日本の自民党の“キングメーカー”として知られた金丸信議員は、1990年9月、自民党と社会党の代表団を率いて北朝鮮を訪問した。彼は金日成との会談で、朝日国交正常化と植民支配に対する賠償金支給について予備的合意を引き出し、北朝鮮労働党と朝日国交正常化のための3党共同宣言発表を主導した。ソ連の対南国交正常化と時を同じくして、日本の対北朝鮮国交正常化も実現するかに見えた瞬間だった。ところが、金日成の対日国交正常化計画は水の泡と消えた。米国が拒否権を行使して北朝鮮の中国式改革開放の可能性を事実上遮断させたのだ。

 以後、北朝鮮が「封鎖政策」と呼ぶ米国の対北朝鮮孤立策はずっと続いた。たとえ1995年と2000年に冷戦時代からあった対北朝鮮貿易制限の大部分は撤廃されたとは言え、米国はついに北朝鮮に正常貿易関係(Normal Trade Relations:NTR)の地位を付与しなかった。貿易優待も拒否されて、北朝鮮からの輸入品は懲罰的関税率の適用対象のままだった。北朝鮮への接近が比較的容易だった1990年代後半にも、上のように米国は北朝鮮との貿易と北朝鮮に対する投資をほとんど不可能にさせたが、ブッシュ大統領の執権と悪名高い“悪の枢軸”発言以後には、北朝鮮が「戦争準備」と感じるほどの極度に敵対的な政策が続いた。

 北朝鮮はこれに対抗して、両面的な形態のきわめて合理的な対応をしてきた。一方では、最悪の場合に備えて核・ミサイル開発で防衛力を高めつつ、また他方では漸進的な改革・開放を進めてきた。同時に対日修交のための努力を傾注し続けるなど、米国が強要した孤立に自ら対峙した。今や北朝鮮は、米国の挑発をきわめて困難にさせる程の核・ミサイル抑止力を持ち、すでに約50%の国民総生産が民間部門で発生する、国家官僚主導型の半市場的経済モデルを誇示している。中国・ベトナムと本質的に大きく異ならないモデルだ。

 そこへ韓国で合理的で平和共存指向的な政権が登場したこの時点を適時と判断した北朝鮮は、その抑止力の一部である核を完ぺきな体制保障の見返りに徐々に放棄すると同時に、中国やベトナムがすでにそうだったように、資本主義世界体制に完全に編入されようとしている。今この瞬間瞬間こそ、北朝鮮の歴史だけでなく北東アジア全体の歴史の岐路と言っても過言ではない。北朝鮮指導部のこの遠大な抱負が実現されるか否かにより、北東アジアの未来が変わるかもしれないためだ。

 北朝鮮が米・日との国交正常化と制裁の撤廃に成功すると仮想してみよう。そうなれば北朝鮮は、その開発に必要な三つの要素、すなわち技術移転、投資、そして海外市場へのアプローチを即座に充分に得ることができるだろう。北朝鮮の対米・対日修交により、中国もすでに確保した北朝鮮市場を逃さないために、投資・貿易の増強に注力するだろうし、少なくとも一定期間は“北朝鮮投資ブーム”のような現象が起きるだろう。そこに加えて、日本の植民支配の賠償金まで入ってくれば、紡織と資源輸出国としての北朝鮮は、カンボジア、ラオス、バングラデシュのような類似の輸出構造を持っている他の国々程度の7%成長率、あるいはそれ以上の成長を望むこともできる。そして、北朝鮮の基礎科学と教育制度、軍需工場などが持っている技術力を考慮するならば、労働集約的な紡織輸出から電子製品やソフトウェアのような技術集約的な商品輸出への履行速度は思った以上にはるかに速くなりうる。もしかしたら、20~30年後にはすでに成長動力をほとんど消耗した韓国の若者たちは、北朝鮮の企業に就職しようと列をつくっているかも知れない。ところが、このように朝鮮半島で平和・経済協力ムードが造成されさえすれば、北朝鮮のみならず周辺の情勢も種々の面で好転するほかはないだろう。

 韓国から見よう。北朝鮮との安定した平和・交流・経済協力関係が定着しさえすれば、韓国社会では十分に革命的と言える変化が起きるだろう。両岸関係がある程度安定し、今台湾では徴兵制を廃止する過程が進行中だ。もし北朝鮮が“主敵”でない、統一に向かう長い旅程でのパートナーになるならば、果たして韓国で徴兵制に固執し続ける名分は残っているだろうか。徴兵制が撤廃されるならば、それは単純な国防政策の変化だけを意味しない。今まで韓国社会をひきつけてきた軍事文化は、このようにして次第に清算されうる。

 同じように、朝日国交正常化は北朝鮮の“脅威”を名分にした日本再武装計画の持続的実行をはるかに困難にさせるだろうし、日本国内の平和指向勢力の地位を大幅に強化させるだろう。また、北朝鮮が中・米間に均衡を求めながら両側に実利外交ができる国家になれば、朝鮮半島が中米軋轢の潜在的な“戦場”として浮び上がるパターンを韓国と北朝鮮の共同の努力で変えていくこともはるかに容易になるだろう。過去に盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が言及した「均衡の錘」としての役割をするには、韓国と北朝鮮の共同の努力が必要だ。韓国と北朝鮮の対立が続く以上、「均衡の錘」のような形の地域的な外交・安保的主体として登場することは不可能なためだ。

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学//ハンギョレ新聞社

 ところで、平和はまだ約束されたことでは決してない。ホワイトハウスの安保補佐官ボルトンなど、トランプの周囲の戦争狂の容貌を見ただけでも、平和への道がどれほど険しいかが分かるだろう。北朝鮮だけでなく、朝鮮半島、ひいては北東アジア全体が岐路に立ったこの運命的瞬間にこそ“運動”が大変に重要だ。平和のためのろうそくデモのような形で、大多数の韓国人が対北朝鮮敵対政策の廃棄と平和レジームの成立を望んでいることを世界に見せれば、戦争勢力の抵抗を突き抜けて朝鮮半島、ひいては北東アジア地域全体の平和に向かう道ははるかに容易になるだろう。積弊政権を押し倒した民衆の力こそ、平和争奪の主体になって当然だ。

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/841891.html韓国語原文入力:2018-04-24 19:08
訳J.S

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