「南北首脳会談には、今は多くの制約があります。朝米首脳会談と関係なく、南北だけが前に進むこともできず、国際制裁を超えて合意できるわけでもないし…ただ、少なくとも引き続き対話できる動力を見出す必要があることは明らかだと思います」
文在寅(ムン・ジェイン)大統領が今月19日、マスコミ各社の社長団を大統領府に招待して開いた夕食会での発言だ。4・27南北首脳会談と関連し、マスコミの過度な期待を警戒するための発言として受け止められた。しかし、そうではない。この発言には大統領府が挙げた今回の首脳会談の「3大議題」(朝鮮半島の非核化、恒久的平和の定着、南北関係の画期的な改善)のうち、「南北関係の画期的な改善」と関連した文大統領の考えと戦略が盛り込まれている。核心は「少なくとも引き続き対話できる動力を見出すべき」という部分だ。
文大統領がこのように判断したのは、まず、北朝鮮の核・ミサイル開発による国連など国際社会の制裁の強化により、今回の首脳会談では第1回・第2回首脳会談と異なり、大規模な経済協力プロジェクトの合意を図ることができないからだ。しかし、これは経済協力の放棄を意味するものではない。多くの政府当局者と専門家らは「南北・朝米首脳会談で非核化の方向性が決まれば、合意の履行過程で制裁が緩和されるだろうし、そうなれば、追加の南北首脳会談で経済協力を主議題として協議できる機会がもたらされる」という情勢認識に共感を示している。「経済協力は今回の会談の主議題ではない」というイム・ジョンソク首脳会談準備委員長の確言はこのような認識を背景にしている。
ただし、文大統領の視線が“制裁”という現実的制約に囚われているわけではない。「板門店連絡事務所」の開設と「分野別の南北共同委員会」の構成・運営を提案する方針は、「究極の目的は南北の共同繁栄」という文大統領の発言のように、南北の平和共存と共同繁栄に向けた長年の夢を現実化するための橋渡し作業の一環だ。何よりこうしたアプローチは、南北基本合意書体制の復元・現実化を追求する点で、意義深い。1992年の南北高官級会談の結果を盛り込んだ「南北基本合意書」(南北間の和解と不可侵および交流協力に関する合意書)は第1・2回南北首脳会談を含めて、歴代南北当局間合意の中で最も包括的かつ具体的な内容がを盛り込まれており、「南北平和共存の大憲章」とされるが、合意の履行に失敗し、“死んだ文書”とみなされてきた。
「倒れたついでに休む」ということわざのように、対北朝鮮制裁が避けられないなら、これを機に、新たな協力事業の合意に無駄な力を使うよりは、南北基本合意書体制の復元・現実化を通じて、南北関係の基盤を固める対話の定例化・常時化・常設化で進展を果たすということだ。文大統領が強調した「引き続き対話できる動力づくり」の核心はここにある。
ただし、南北基本合意書は北側には“苦い記憶”として残っている。北側はこれまで南北の主な合意として7・4共同声明や6・15共同宣言、10・4首脳宣言を強調しながらも、南北基本合意書については言及を避けてきた。1990年代初頭、旧ソ連などの社会主義国家の相次ぐ体制転換の際、吸収統一を避けようと体制防御のために止むなく行った合意として憶えているからだ。当初1990年代初め、盧泰愚(ノ・テウ)政権が提案したソウル-平壌(ピョンヤン)常駐連絡代表部の設置案が、「板門店連絡事務所」の設置に縮小合意され、それさえも直通電話の運用レベルに機能が格下げされたことや、南北当局間の常設会議体制の政治、軍事、経済など各分野共同委員会が数回の会議後に中断されたのは、北側の消極的態度とも関係がある。
しかし、文大統領の会談相手役の金正恩委員長は「祖国統一」を掲げてきた祖父や父とは異なり、南北関係を「二つの主権国家の正常な関係」として再確立することを目指していると、政府と多くの専門家らは見ている。しかも、文大統領と金委員長を代理し、ソ・フン国家情報院長と共に南北・朝米首脳会談の準備過程で核心的役割を果たす金英哲(キム・ヨンチョル)統一戦線部長は、1990年代の南北高官級会談の北側代表団の一員だった。金英哲部長は、南北基本合意書の採択直後、「この合意文書はあなたたちのもので、我々のものではない」と不満を示したというが、それから四半世紀が過ぎており、何よりも最高指導者の認識が変わった。元政府関係者は24日、「今回の首脳会談で、板門店連絡事務所の設置に合意できれば、第1・2回首脳会談のいかなる合意内容にも引けをとらない歴史的成果になるだろう」と期待を示した。