大阪の森友学園という学校法人が小学校を開設するにあたって、国有地を不当に値引きして譲り受けたという疑惑が明らかになり、目下日本の国会では政治家や官僚がこの不当な取引に関与していたかどうかが議論されている。この学園には、安倍晋三首相の昭恵夫人が名誉校長として支援してきたので、政権全体を揺さぶるスキャンダルになりつつある。
この法人が経営する幼稚園では、愛国心教育が売り物とされ、子供たちは教育勅語を暗唱させられている。この問題を契機に、教育勅語の評価が政治問題となった。稲田防衛大臣は国会質疑で、「日本は道義国家を目指すという教育勅語の精神は、今も取り戻すべきだと考えている」と述べた。このような認識を持つ人物が防衛大臣を務めていることは、戦前の歴史を知る韓国や中国の人々にとって衝撃だろう。私にとっては、先の大戦で甚大な犠牲を払って戦後日本に確立したはずの国民主権や個人の尊厳という原理が一体何だったのかと、情けなさで一杯である。
夫婦は仲良く、友達は信じあえといった個々の教えだけを取り出して、勅語は現代にも通用すると主張するのは、勅語の評価を根本的に誤っている。教育勅語の本質は、戦前の日本において天皇こそあらゆる道徳の源泉であることを宣明している点にあり、一般国民、あるいは臣民には、天皇のために命を投げ出すことが美徳だと押し付けている。植民地時代の韓国の人々にもこの「美徳」は押し付けられた。
聖書や論語にも人倫が書いてあるのだから、同様の人倫を謳っている教育勅語も尊いという議論も、見当違いである。キリスト教や儒教を信じるかどうかは個人の自由である。明治期の日本を代表する思想家、内村鑑三は、教育勅語に記された明治天皇の署名に最敬礼することを拒否したため、第一高等中学校(今の東京大学教養学部)の教師を辞職することを余儀なくされた。この例にあるように、戦前の日本では勅語を否定する者は非国民として排斥されたのである。
安倍首相は、欧米、オーストラリア、インドなどの同盟国を訪問するたびに、日本とそれらの同盟国は、民主主義、基本的人権、法の支配などの価値観を共有すると言う。しかし、これらの価値観と教育勅語は絶対に相容れない。防衛大臣が教育勅語を復活させたいというなら、それは安倍首相の価値観に対する挑戦である。深刻な閣内不一致であり、首相は防衛大臣を罷免すべきである。
にわかに浮上した教育勅語の評価という争点は、日本の保守政治の体質を改めて問う契機となった。狂信が荒れ狂い、国家の名のもとに個人の生命や自由が否定された1930年代から40年代前半の時代を直接知る者は、日本では消えていこうとしている。この20年ほどの自民党の変化も大きい。戦争の時代を知っている政治家が力を持っていた時代には、保守勢力も自由や多様性の重要性を理解し、狂信右翼は自民党の傍流であった。しかし、あの時代を知らないにもかかわらず、一億一心や滅私奉公に郷愁を持つ人々が、政府与党に盤踞するようになった。
森友学園事件で批判にさらされている安倍政権がこの危機をしのぐことができるならば、最近改正された自民党の総裁任期規定に基づき、安倍首相は最長2021年まで自民党総裁・首相を務めることができるようになる。そうなると、憲法改正や教育政策の転換も実現し、日本は現在のトルコやハンガリーのような権威主義、強権主義の政治体制に変質するかもしれない。
韓国語原文入力:2017-03-19 16:50