5月3日は、日本の憲法記念日だった。昨年の安保法制の制定以来、憲法、特に9条をめぐる議論が盛んになった。そして、今年の憲法記念日直前に行われた新聞、テレビの世論調査では、どの調査でも憲法9条の改正に反対する割合が増加した。たとえば、朝日新聞の調査では、1990年代後半から2013年の第2次安倍政権発足直後まで、憲法改正の必要があるという意見が一貫して必要なしとする意見を上回ってきた。しかし、2014年以降、改正の要否に関する意見は逆転し、現在に至るまで改正反対論が賛成論を上回っている。そして、今年春の調査では、改正反対と賛成の差は18ポイントと大きくなった。憲法9条も「変えない方がよい」が昨年の63%から68%に増え、「変える方がよい」の27%(昨年は29%)を大きく上回った。
安倍政権は高い支持率を維持してはいるが、憲法に関しては国民の支持を得ていない。むしろ、安倍政権が憲法改正を叫び、自民党が圧倒的に大きな議席を持っている今の国会で憲法改正の可能性が高まっている現実が、日本国民の意憲法改正への警戒感を高めているということができる。
昨年の安全保障法制の制定によってすぐに日本が戦争を始めるとは、私も思わない。但し、安全保障法制や特定秘密保護法によって、日本が戦争のできる国なったことは確かである。今の日本にとっての最大の問題は、日本が戦争のできる国になることが社会にもたらす害悪である。
戦争のできる国にはいくつかの特徴がある。第一は、政府が事実を隠蔽し、国民を欺くことである。イラク戦争における大量破壊兵器の嘘を思い出せばわかるように、国民に嘘を信じ込まさなければ戦争はできない。したがって、政府は報道機関を統制し、政府にとって都合の良い情報を国民に信じ込ませようとする。基本的人権を保障した日本国憲法の下でも、今や政府はテレビや新聞に対する統制を強めている。批判的なキャスターは活動の場を奪われている。放送事業を監督する総務大臣はテレビに中立を求め、違反した場合の電波停止に言及した。同時に安倍首相を囲んでタレントがお追従を並べるバラエティ番組が堂々と放送されている。政府による言論統制はかなり効果を表している。
第2の特徴は、個人の生き方に政府が干渉することである。戦争のできる国では、個人は尊重されない。国民は国策遂行のための道具になる。そうなると、政府は、国民のとるべき正しい生き方を定義し、それを実践するよう説教するようになる。少子化の進む日本では、男尊女卑の偏見を持つ男たちが女性に対して、早く結婚しろとか、子供を産めと平気で説教している。アベノミクスで言う女性の輝く社会では、女性が出産、育児、介護など従来の家族へのサービスをするとともに、社会に出て労働することが想定されている。一億総活躍なるスローガンも、国民が国策のためにがんばれという意味である。
第3の特徴は、知の否定である。政策の誤りを指摘し、批判する知性は、戦争をする政府にとって目障りである。学者の研究活動も国策に貢献するよう再編することが、戦争のできる国の特徴である。この数年、日本の国立大学では予算削減が進行し、特に人文社会系の学問の縮小が進んでいる。文学、哲学、歴史学などを学んでも金儲けには役立たないからである。自分たちが生きる国に対して批判する能力を消し去れば、後に残るのは自らが破滅に向けて走っていることを認識できない自滅の集団である。
しかし、私は日本人の政治にかかわる力を悲観していない。憲法に関する世論調査に現れているとおり、安倍流改憲に対して警戒心が強まっている。7月の参議院選挙では、日本の民主政治のあり方を問う議論をさらに進めていきたい。
韓国語原文入力:2016-05-08 19:19