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[寄稿] 日本の戦後デモクラシーはどこへ行くか

登録:2015-12-13 19:34 修正:2015-12-14 07:16

 戦後70年の年の最後の時評なので、今年を振り返ってみたい。今年は安保法制の成立という平和国家路線からの大きな転換が起こった。政治学の世界でも、松下圭一、篠原一など、1920年代生まれで青年時代に戦争を経験し、それを土台に政治学研究を深めていった学者が相次いで亡くなった。これらの学者は、敗戦後占領軍によって与えられた制度としての民主主義を、理念や精神として、あるいは実践や行動として日本に定着させることを目指して、長年思索と発言を続けた。

 特に両氏に共通するのは、政治を論じる時の時間軸の長さと、突き抜けた楽観主義である。松下は今から50年前から、情報公開と参加に基づく分権と自治を主張し続けた。沖縄県の反対にもかかわらず辺野古の新基地建設を強行する中央政府の姿勢を見れば、地方分権など夢のまた夢と感じるかもしれない。しかし、県があそこまで戦い、裁判を通して国の非違を糾せるということは、20年前までは考えられない事態であり、やはり分権は進んでいるということもできる。

 今の安倍政治全盛だけを見ていると、2009年の政権交代など遥か昔の話に思える。しかし、自民党による一党支配を転換する日本政治民主化のプロジェクトは、始まってまだ6年しかたっていないと思えば、まだこれから頑張ろうという気が起こってくる。実際、自民党の劣化は明らかであり、政権の永続化を図るなら自重すべき場面で、権力者はこれほど強いのだぞという示威をしたがるあまり、滅茶苦茶なことをしている。沖縄における辺野古の新基地建設を遮二無二進め、沖縄の民意を踏みにじることもその一例である。歴史認識に関して、およそ世界では受け入れられない修正主義を前面に出していることも、その表れである。南京虐殺に関する資料が中国の申請により世界記憶遺産に登録されたことに対して抗議するために、南京虐殺自体がなかったとする右派学者を外務省が国際会議に送り出したことなど、エリートの間に反知性主義が蔓延していることを物語る。これは、天文学会に天動説を主張するカトリックの僧を派遣するようなものである。一時的には無理を通せば道理は引っ込むが、道理を無視した権力の横暴は長続きしない。これは歴史の真実である。

 日本の保守政治における右バネは頑強であり、2000年代の民主党の台頭に対抗する形で右派的ナショナリストが草の根レベルでの組織化を進めてきたことがいま結実している。しかしそのような極端なイデオロギーが一般国民に浸透しているとまでは言えないであろう。安倍政権に対する支持はある程度回復しているものの、個別の政策課題に関する意見を問われれば、原発再稼働、安保法制、アベノミクスの効果などに関して、多数の国民は安倍政権の推し進める路線に反対していることを、各種世論調査は示している。とりわけ安保法制に対して、政治に関心を持つ市民層から強い反対の運動が現れたことは、安倍流の戦後レジーム打破に強い抵抗が働くことを物語っている。

山口二郎・法政大学法学科教授 //ハンギョレ新聞社

 逆行を乗り越えて民主化を再び前に進めるためには、来年の参議院選挙が極めて大きな意義を持つ。野党の提携ができないまま参院選に突入すれば、民主党の惨敗は必至である。そうなれば、民主党は二大政党の一翼という地位を失い、自民党による一党優位体制の復活が決定的となる。そうなると、逆行が一時的現象ではなく、トランジション自体が烏有に帰することになる。

 参院選の帰趨は地方の一人区の勝敗が決めると言っても過言ではない。一人区で互角の戦いをしなければ、自民圧勝を食い止めることはできない。民主党が野党結集のイニシアティブを取り、安倍政治に不安を持つ国民の受け皿を提供できるかどうかは、民主党の命運を左右するだけでなく、日本の多元的民主政治の可能性を決めるのである。

山口二郎・法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-12-13 18:54

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/721615.html

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