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[コラム]私たちは「慰安婦」ハルモニたちを記憶する

登録:2016-02-29 01:44 修正:2016-02-29 07:07
映画『鬼郷』のポスター //ハンギョレ新聞社

 「ここに初めて入った時は、息子や孫たちに私が慰安婦だった事実を知られたらどうしようと、はらはらしたものだよ。だけど、ほぼ10年間も世界中に知られるように宣伝してきたのに、何一つが変わっていない。写真を撮るだけで、何ができるというの。時々訪ねてくるだけで、何ができるの」

 15年前のちょうど今頃のことだ。日本の高校生120人と一緒に取材を兼ねて訪ねた京畿道広州の「ナヌムの家」。最初は何人かのハルモニ(お婆さん)が、高校生たちに会いたくないと腹を立てていた。恥ずかしながら、当時真っ先に思ったのは、韓国に平和学習旅行に来た日本の高校生たちを傷つけるのではないかという心配だった。すぐに「この子供たちに何の罪があるの、かわいいね」、「一生懸命勉強して総理大臣になるんだよ」と皺だらけの手で高校生たちを抱きしめて下さったハルモニたちだったが。

 昨年9人、今年に入って2人。最近かなり頻繁になってきたハルモニたちの訃報を聞くたびに、当時を思い出す。10年近く何も変わっていないと言っていたハルモニたちだに、さらに15年が過ぎた。こんなに長い道のりになるとは、誰も思わなかっただろう。韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)さえ思いもよらなかったようだ。1990年代半ばから2000年代半ば、「挺身隊」という言葉が入った団体の名前を変えようという正式な議論があったという。2回にわたる議論にもかかわらず、名前が維持された背景には、歴史的事実をめぐる議論と共に「すぐ慰安婦問題が解決されるはずなのに、どうせ解散される一時的な性格の団体名を変更すると、混乱を与えるかもしれないという懸念もあった」という話をユン・ミヒャン挺対協代表から聞いたことがある。

 幸か不幸か、最近ほど日本軍「慰安婦」問題に対する一般の人たちの認識が高まったことはなかった。水曜デモの規模も変わった。これまで「蝶基金」を作って戦争と性暴力に苦しむコンゴとベトナム女性を支援するなど、被害者から平和人権活動家へと変貌してきたハルモニたちの手を、今になって韓国社会がしっかりと握り始めた。逆説的ながらも、朴槿恵(パククネ)政権のおかげだ。

 興行収入1位の奇跡を記録している映画『鬼郷』が資金集めに難航していたとき、シナリオを読んだだけで、結婚資金や定期預金を解約して数千万ウォンずつ差し出した人たちは、カーセンター社長や配管工、フィットネストレーナーのような平凡な人々だった。マルチプレックス・シアターのスクリーン数を大きく増やしたのも、一般観客たちの事前予約の力だ。「日本軍『慰安婦』正義と記憶財団推進委員会」の黄色の封筒キャンペーンには、約1カ月で寄付金が1億5千万円(約1370万円)も集まった。先週も、つたない字で書かれた申込書が郵便で届いた。仁川(インチョン)に住むハン姉妹は、「ちょうどお年玉をもらってよかった」といって、お年玉を千ウォン単位まで送ってきた。ある先生は、子供たちと話し合って1年間学級で集めた「遅刻罰金」を届けた。参加者のなかには、「少ない金額しか出せなくて、本当に申し訳ない」と書き残す人が多いという。

キム・ヨンヒ社会エディター//ハンギョレ新聞社

 一方、「最終的かつ不可逆的」合意を日本に差し出してしまった韓国政府は、3月から使われる小学校6年生のための社会教科書で、当初の実験本に載せられていた日本軍「慰安婦」の写真を除き、用語も削除した。女性家族部は、2年連続で開いてきた慰安婦関連の国際学術シンポジウムを「検討中」としながら、うやむやにしようとしている。白書事業、国際学生作品公募展なども同じだ。今、申し訳なく思うべきなのは、どちらなのか。

 『鬼郷』が印象的だった点の一つは、日本軍に対する怒りを扇動することなく、慰安所を委託運営していた民間業者の存在や慰安婦に同情的だった日本軍の事例まで描いていることだった。『帝国の慰安婦』が、韓国人たちが無視してきた「事実」だと声高々に主張している内容だ。映画を見れば分かる。それらを描けば描くほど、国と軍の責任がより鮮明に浮び上がることが。質的にも量的にも成熟した市民の認識が、数行の政府間合意で変えられるのだろうか。私たちはすでに12・28合意を超えている。

キム・ヨンヒ社会エディター(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-02-28 18:42

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/732466.html 訳H.J

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