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[私の書斎の中の古典] 犠牲者を忘れたという記憶さえ忘れたのか

登録:2014-03-11 20:09 修正:2014-03-12 06:58
徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授
絵:キム・ビョンホ画伯

「忘却のための記念」『魯迅評論集』(魯迅 著, 竹内 好 訳)岩波書店

 きょうの東京はきれいに晴れたが、数日来の大雪がまだ街路に厚く残っている。雪深い地方では交通が途絶して、まだ列車や自動車の中に閉じ込められたままの人たちがいるという。死者も出ている。それなのに、テレビをつけると作り笑いのアナウンサーたちがオリンピックの金メダル騒動を繰り広げている。

 寒い朝、思い切って起き出して、この原稿を書いている。魯迅については今まで数えきれないくらい書いたのに、書棚から取り出してきたのは、読み古した「魯迅評論集」である。また魯迅か、と思う読者もいるだろうが、これこそ私の「古典」なのだ。

 韓国からわが家に遊びに来た若い友人がこう言った。

「先生の書かれるものを見ていると、このところ、以前にもまして悲観的に見えますね」。

 やはりそう見えるのか、と思った。ふつうに考えればこの友人は、私よりさらに2~30年長くこの世にいなければならない。たとえ困難があろうと、その時間を明るい心で過ごしてほしい。だから、自分の悲観をむやみに若い人に感染させるべきではない。そう思いながら、とっさに「うん、そうだね、悲観的だよ」と答えた。若い人を虚言で欺くことはさらに罪深いと思ったからだ。

 魯迅に、「忘却のための記念」という文章がある。1933年2月7日から8日にかけて書かれたものだ。この2年前、柔石(ローシー)ら左翼作家連盟の5名の青年作家が国民党によって秘密裏に銃殺され白色テロの犠牲となった。魯迅は自身にも危険が及んだため身を隠して難を避けなければならなかった。それから2年後、ようやく魯迅は若い後輩を悼んで、この文章を書いたのである。

 「私はとうから、なにか短い文でも書いて、数人の青年作家を記念したいと思っていた。それというのは、ほかではない。二年このかた、悲憤がしきりに私の心に襲いかかり、今になっても止まないのである。私は文を書くことによって、身をゆすぶり、悲哀をふりはらって身軽くなりたかったのである。はっきりいえば、わたしはかれらのことを忘れたかったのだ。(中略)若いものが老いたもののために記念を記すのではない。しかも、この30年間、私は、かえって多くの青年の血を見せつけられた。その血は層々と積まれてゆき、息もできぬほどに私を埋めた。私はただ、このような筆墨を弄して、数句の文章を綴ることによって泥中に小穴を掘って喘ぎつづけるばかりである。こは、いかなる世界であろう、夜は長く、道もまた長い、私は忘却し、ものいわぬ方がよいかも知れぬ。だが、私は知っている。たとえ私でなくとも、いつか必ず彼らを思いだし、ふたたび彼らについて語る日が来るであろうことを。」

 この「忘却のための記念」を私は二〇代後半から三〇代にかけて、文字どおり繰り返し読んだ。その時、すなわち1970年代から80年代にかけての時代は、日本では世間は脱政治からバブル景気へと向かう時代だが、韓国では維新体制の時代である。野蛮な政治暴力が横行し、多数の学生・知識人が投獄され、虐待や拷問にさらされた。そんな時、私は祖国の同胞たちの味わっている苦痛を「忘れたかった」。だから、魯迅のこの文章を繰り返し読んだのである。

 いま、このくだりを読み返してみて、自分の悲観の質がむかしとはすこし違っていることに気づく。若いころの私は「夜は長く、道もまた長い」ことに悲観していた。だが、いまは「たとえ私でなくとも、いつか必ず彼らを思いだし、ふたたび彼らについて語る日が来る」という部分を悲観しているのである。人々は犠牲者を思い出さない。過去に学ばない。おそろしい速度で、すべてのことが浅薄になっていく。魯迅など読まないし、たとえ読んだとしてもその呼びかけの真実を受け取ることができないのである。

 東アジアの平和はいま、大いに脅かされている。「東アジア」というのはどういう地域だろうか。それはアジアの東側地域という意味ではない。東アジアとは、近現代において日本国が侵略戦争ないし植民地支配をした地域である。ビルマ(ミャンマー)以東のアジアで日本国の侵略や植民地支配の痕跡のない場所はない。そういう場所で、その場所の人びとと共に平和に生きていくことが求められている。したがって、その歴史に背を向けることは、この地域の平和を守るための基本的前提を欠いた姿勢と言うほかないのである。

 現在の日本憲法はアジア二千万の被害者の屍の上に築かれたものだ。それは、敗戦とともに日本が宣言した、再び侵略や植民地支配をしないという国際公約であるともいえる。それにもかかわらず、「戦後レジームからの脱却」を唱え、憲法第9条(非戦条項)の改廃を目指す勢力が政権を獲得した。それは被害民族側からみれば、日本はもはや戦後の出発点にあった約束を守るつもりはないのだ、というメッセージにほかならない。だが、これほど単純な道理すら、頑強に受け入れまいとする人々がいる。しかもそれが旧世代だけではないのだ。街頭では「反韓」「反中」を叫びつつ、政府批判者を「反日分子」「売国奴」などと罵倒する勢力が示威を繰り返している。マスメディアにも好戦的な言辞が溢れている。わずか10年前には想像できなかった現象だ。しかし、この危機的事態を前に、日本国民の大多数は無関心かつ無気力である。

 私が日常的に接する日本の若者一人ひとりは善良で可憐だが、このような社会や政治の現状に対してあまりに無関心である。というより、幼いころから関心をもつ回路を断ち切られ、そのまま成長した人たちだと感じる。そういう意味では彼らも犠牲者なのだが、もし戦争という事態になれば、また彼らが他者を害することになる。そういうことが近い将来、現実に起こりかねないにもかかわらず、本人たちはその危機を感じることができない。恐れることも、嘆くことも、憤ることもできない人々が、どうやって「平和」を守れるというのか。このようにして歴史は繰り返されていくのだろう。「第二次大戦後の一時期、日本で平和主義が国民に広く共有されたように見える例外的な短い期間があった」―そんなふうに「歴史化」して語られる時が迫っている。韓国ではどうだろう? 維新体制と民主化闘争の記憶はとうに「歴史化」されてしまったのではないか?

「ある側面」『魯迅案内』(中野重治 著 魯迅選集別冊)岩波書店

 私が魯迅を読み始めて半世紀になる。この半世紀を振り返ってみたとき、非常に大きなものが失われ、それが失われたという記憶すら失われようとしていると痛感する。「平和」が失われようとしているだけではない。その価値のために闘い、自らを犠牲にした人々の記憶も失われ、そのような生き方の前で謙虚であろうとする精神そのものが失われようとしているのである。

 1950年代に岩波書店から『魯迅選集』全13巻が出版された。その選集の別冊である『魯迅案内』(1956年刊)に、詩人の中野重治が、「ある側面」という文章を寄せている。過去数十年、私が愛読してきた文章だ。

 中野重治は、「忘却のための記念」について、「これは、言葉通り、文字通りに受けとるべきものと私は思う」と述べている。「忘れたい」というのは反語ではない、魯迅はほんとうに忘れたいのだ。泥のなかから鼻だけでも出して息をつぎたいくらい苦しい状況のなかに魯迅はあったのだ、そう書いている。

 当時、「満州事変」(1931年)、傀儡国家「満州国」設立(1932年)、「第一次上海事変」(1932年)と、日本による中国侵略が急速に本格化した。一方、 反共・反革命の路線をとる蒋介石政権は中国の進歩勢力に対する攻撃を強めていた。作家の丁玲らは逮捕され、楊杏仏は暗殺された。魯迅のような立場の者は日本帝国主義と蒋介石勢力との挟み撃ちに遭っていたのである。その渦中で、この文章は書かれた。

 「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」

 「故郷」の末尾のこの言葉を、中野重治も指摘するように、多くの人が「明るい言葉として、前途に光明を認めて歩きだすものの合言葉として引用している」。だが、それは、読む者に希望を与えようとする言葉ではない。中野は、「ここに、希望というにはあまりに深い暗さと、暗さそのものによって必然の力で羽ばたいてくる実践的希望との生きた交錯」を見るという。そして中野は、魯迅を読むたびにこう感じる。「自分もまたいい人間になろう、自分もまた、どんなことがあってもまっすぐな人間になろう、(中略)一身の利害、利己ということを振りすてて、圧迫や困難、陰謀家たちの奸計に出くわしても、それを凌いでどこまでも進もう、孤立して包囲されても戦おう、という気に自然になる。そこへ行く。」

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授

 思うに、これが詩の力である。つまり勝算の有無を超えたところで、人を動かす力だ。このような魯迅における政治と文学の結合を、「抒情詩の形での政治的態度決定」と中野重治は呼んだ。魯迅という中国の詩人に出会って、ひとりの日本の詩人・中野重治が動かされた。ここに、東アジア近代における出会いのかすかな可能性が垣間見えた。しかし、その「かすかな可能性」すら、今は野卑で浅薄な声にかき消され、消滅の瀬戸際にある。

 私もまた若かった日に、魯迅の暗い言葉から、絶望のような姿をした「希望」を与えられた一人である。いま私は若い人たちに「希望」を伝えたい。だが、それが難しい。

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/627427.html 韓国語原文入力:2014/03/10 00:12
(4123字)

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