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[私の書斎の中の古典] 死を禁忌視することは生を放棄すること

登録:2013-12-16 09:04 修正:2013-12-16 09:09
徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授
絵:キム・ビョンホ画伯
フィリップ・アリエス『死と歴史 -西欧中世から現代へ』 伊藤晃・成瀬駒男 訳、みすず書房

フィリップ・アリエス『死と歴史 -西欧中世から現代へ』
伊藤晃・成瀬駒男 訳、みすず書房

 〈私にとって、15世紀の死骸趣味の主題が表現しているものは、まず第一に個人的失敗の鋭い感情である。〉―フィリップ・アリエス「ホイジンガと死骸趣味の主題」。

 私は1984年のかなり早い時期に、前年末に出版されたばかりのアリエスの『死と歴史』(日本版)を購入し、このくだりを読んだ。即座に内容を理解したとは言えないが、なにか名状しがたい感情に心を捉えられたことははっきり記憶している。その感情とは今にして思えば、「死」というテーマを、このように、つまり死にゆく存在としての人間への親密な感情を失わないまま、同時に冷静な距離を置いて観察し描写することが可能なのか、という驚きと覚醒であった。みずからを満たす「死」の観念と付き合いあぐねていたその当時の私にとって、視界を覆う霧がすこし晴れるような経験だった。

 1983年秋、私は人生で初めてヨーロッパ旅行に出た。1980年5月、母がガンの無慈悲な苦痛のなかで世を去った。光州5・18の虐殺が進行していたまさにその時でもあった。その3年後の5月、父も、母と同じ病で死んだ。父母の死をみとった後、私はなんらの具体的な目的もないまま、旅に出た。その旅で、多くの聖堂、教会、修道院、美術館をめぐり、西洋キリスト教世界に独特な「死の図像」に出遭った。というより、無意識のうちに、私自身がそうしたものを求めて彷徨っていたと言うのが正確であろう。

 私は30歳を過ぎたばかりで、生きたと言えるほどの何ごともまだ経験していなかったし、すすんで死にたいとも思っていなかったが、「死」はつねに私の身近にあった。

 人間はなぜ死ぬのか?死にどんな意味があるのか?正しい死に方というのはあるのか?いったい、どこで、どう死ねばいいのか?…これらの問いがつねに私を満たしていた。

 「死の図像」の前に立つたびに、私は否応なく、父を思い出した。自分に反抗した息子たちが祖国で政治犯として投獄され、その解放のために奔走したが、これといった有効な手立てを講じることもできないままだった父。小さな工場を経営し、一時は羽振りのいい時もあったのだが、倒産して自宅まで失うことになった父。妻が先立ってまもなく体調を崩し、正確に3年後に妻の後を追って世を去った父。その失敗と挫折に塗り込められた人生を、私はつねに想起した。思えばあの旅は、私なりの服喪であったのかもしれない。

 旅の途中、ストラスブールで、ある絵が、私を待っていた。そこには裸で立つ一組の男女が描かれていた。その男女は死者なのだ。全身が腐り始めている。蛇や大きなミミズが皮膚を破って体内に食い入っている。体中に昆虫どもが群れている。女の陰部には大きなガマ蛙がべたりと貼り付いている。…私は、なんの救いのないままに世を去った母と父を思い出して、長時間、絵の前に立ち尽くした。なんと忌まわしい図像。なぜ、こんな絵が聖堂を飾っていたのか。忘れがたくて、日本に帰ってからいろいろと調べてみた。アリエスの『死と歴史』を読んだのも、そのためである。そういう図像を「トランジ(フランス語:Transi)」と呼ぶ。日本ではふつう「死骸趣味」と訳されている。中世ヨーロッパの貴族などの墓標に用いられた、腐って朽ちる死骸の像である。当時の人々の意識に深く浸透した「メメント・モリ(死を忘れるな)」の教えを図像化したものである。

 アリエスはこうした図像を解釈する際、〈失敗の感情〉という考え方を持ち出す。〈それは明らかに、12世紀以降中世中期を通じて、最初は遠慮がちに、心性の中に現れる。そして14世紀から15世紀にかけての、富と栄光を渇望する世界の中で、幅をきかせ、強迫観念にまでなるのである。……中世末の人間は、…自分の無力さを、自分の肉体的破滅、自分の死と同一視したのである。自分が落伍者であると同時に死者であると見た。……当時、死はあまりにも親しみ深い、恐怖を与えぬものであった。それが人の感情をかき立てるようになったのは、死それ自体によるのではなく、死と失敗との接近によってである。〉

このくだりを読んで、思った。どれほどの〈失敗の感情〉にまみれて父は世を去ったことか。父だけではない、私自身も〈失敗の感情〉にまみれていた。獄中の兄を救出することにおいても、病死する父母を慰めることにおいても、自分個人の人生を切り拓いていくことにおいても、私はまったく無力だった。世界の変革や被抑圧者の解放のために働くという望みを放棄してはいなかったけれど、現実の私は一個の無力な挫折者に過ぎなかった。遠からずこの世を追われ、地中であのように腐ってゆく、それが私にはふさわしいのだ。

 これはもちろん、未熟で恣意的な読み方である。その後すこしずつ分かってきたことだが、アリエスの説いてみせた「死」に関する眺望はもっと広く、それだけ、読む者の閉じた心を開く効果をもっている。私は自分の「死」の観念が中世後期のヨーロッパ人のそれに似ていることに気づかされる。そのことによって、自分のもつ「死」の観念が絶対的で固定的なものではなく、歴史的に形成され変容するものであることを知ることになる。

 本書はフランスの歴史家フィリップ・アリエスが1973年にアメリカのジョンズ・ホプキンズ大学で行った四つの連続講演に他の論文を加えたもので、この時点まで15年間にわたる〈西欧キリスト教文化の中の、死を前にしての態度についての研究と考察〉の成果である。1977年発表の大著『死を前にした人間』の要約でもあるが、私個人は、この小著のほうがはるかに簡潔に、より鋭く、アリエスの思想と方法をあらわしているように思う。

 アリエスはここで、通時的に「死」について四つの類型を提示している。最初は〈飼い馴らされた死〉。中世前期までの人間はもともと死に対して親密であった。老い衰えると、人は自分の死期を悟り、〈運命と自然の摂理に素直に、自発的に服従〉してきた。そのような死を彼は〈飼いならされた死〉と呼ぶ。その例としてソルジェニーツィンの『ガン病棟』から次のような、印象深い引用をしている。〈ロシア人も韃靼人、ウドムルト人たちも、……彼らはみんな安らかに死を認めるのであった。決着の時をのばしなどしないだけでなく、彼らはごく穏やかにそのための準備をし、あらかじめ、牝馬は誰に遺し、仔馬は誰に遺すかを定めるのであった。…そして、ただ住む小屋を変えねばならぬだけだとでもいうように、一種の安堵の様子をもって息をひきとるのであった。〉

 この後、中世後期になって、〈己の死〉という態度が来る。その時代の富、学識、権力のある人間たちは、〈自分が執行猶予中の死者であること、猶予期間は短く、死はつねに自分の内部に遭って、自分の野心を砕き、快楽を毒していることを強烈に自覚していたのです。……死は人間が自分を一番はっきり知る場となったのです。〉

 続けて18世紀以降、〈汝の死〉と呼ぶものがあわらわれる。〈死をもちあげ、悲劇的なものとし、死が印象的で人の心をとらえるものであることを望むのです。…ロマン主義的な、ことばで飾られた死は、まず他者の死だということになります。〉

 急速な工業化とともに20世紀後半に起きた劇的変化で、現在も私たちの多くがその中に囚われているのは〈禁忌視される死〉である。〈人はもはや、わが家で、家族の者たちのまん中で死んではいかず、病院で、しかも一人で死ぬのです。…死は一連の小刻みな段階に解体、細分され、最終的にどれが真の死かわからなくなっています。〉

 死の主導権が死にゆく本人から奪われ、死をめぐる〈激情〉は病院においても社会のどこででも、避けねばならないものになってしまったのだ。このような〈死の禁忌視〉は20世紀の初めごろにアメリカで始まったが、その原因は〈悲しみや嘆きのあらゆる原因を避け、悲嘆のドン底にあってもつねに幸せそうな様子をして、集団の幸福に貢献するという倫理的義務と社会的強制〉だとアリエスは言う。

 アリエスの議論の根底にある方法意識は、次のようなものだ。〈死の歴史家は、宗教家と同一の眼鏡でもってそれら(説教、遺言書、墓碑銘その他の資料)を読んではならない。それらを解読し、聖職者としての言葉のかげに、その教えの大衆に理解可能ならしめている、自明の一般共通の考え方の共通の基盤を見出さねばならないのである。〉

 このようにアリエスは、「死」を宗教的観念の殻から解放し、歴史的文脈の中に置いて観察する。それによって読む者が〈1000年にも及ぶ〉長大なスパンの中で「死」を眺め、「死」に関する彼ら自身の観念をより広いパースペクティヴの中でとらえるよう促す。そうして、それぞれ時代に固有な「死」の観念に縛りつけられている私たちに、ある種の解放感を与えてくれるのだ。これが冒頭に書いた、「驚きと覚醒」の理由である。

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授

 最初に本書を手にしてから30年が経った。当然、社会も変化したし、私自身も年をとった。「死」について思うことも当時と同じではない。だが、いまでも私は「正しい死に方というのはあるのか?いったい、どこで、どう死ねばいいのか?」という問いから解放されていない。ソルジェニーツィンの語るロシアの民衆のように死にたいと思うが、それはなかなか難しそうだ。日本でも韓国でも、友人や知人たちに自分は「死」について考えていると語ると、さっさと話題を変えられることが多い。まかり間違うと憐れみの眼を向けられたり、慰められたりして、かえって当惑させられることになる。「死」の観念をより長く広い文脈の中で見つめ直すことは人間が精神的に自立した存在として人生をまっとうするために必要なことだ。それなのに、「死」について考え、語ることが「禁忌視」されているのである。そんな態度は、「生」についての思考を自ら放棄しているに等しい。

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/615425.html 韓国語原文入力:2013/12/15 19:35
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