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[特別寄稿] 冗談、古いと言うには余りに古い/ホン・セファ

登録:2013-09-13 21:11 修正:2013-09-13 23:22
ホン・セファ<言葉と弓>発行人
ホン・セファ<言葉と弓>発行人

 思想の自由とは夢見ることができる自由でなければならない。 それがどんな夢であっても、たとえ今はできない冗談のように見えることであっても。 人間から超越の欲望を奪ったら何が残るだろうか。 進歩政治の新しい領土はさらに拓かれ拡張されなければならない。

 ほとんどの人々は二つの反故にされた信頼に陥っている。 記憶の永続性に対する信頼と誤りは直してみることができるという可能性に対する信頼がそれだ。 真実はむしろその正反対だ。 全ては忘れられるだけで直されるものは何もない。 これは頭の中に長く残っていたミラン クンデラの小説<冗談>に出てくるある一節だ。 1967年に発表されたこの小説のためだけではないが、クンデラは1968年以後公職を解かれて本が押収されるという侮辱を受け、数年後パリに亡命しなければならなかった。 以後1989年チェコスロバキアの‘ビロード革命’以後、帰郷の話を扱った彼の小説<郷愁>を私はとても好きだった。 今更だが、私の境遇もやはり東ヨーロッパ亡命者の境遇と違わなかったためだ。

 私は長く郷愁に捕われた者であった。 まさにそのために私は冒頭に掲げたクンデラの冷笑的な叙述を認めたくなかった。 私にとって郷愁とは、記憶との戦いに他ならなかった。 その戦いには当然私を投げ飛ばした過去に戻って事態を元に戻したいという、そうでなくとも現在の時間の中で過去の歴史が直されるのをこの目で目撃したいという欲求があったのだろう。 それで、どうしても帰郷したかったわけで、今はその帰郷からも10年という歳月が流れた。

 時間の流れは過ぎ去った人生全体を、たった今過ぎ去った過去の時間全体を、意地悪にも一瞬にしてつまらない‘冗談’のように見せたりもする。 私が帰って来れたのは、言ってみれば‘民主化’のおかげだった。 ギリシャ語で帰郷は‘ノストス’(nostos)だ。 ここに‘苦しみ’を意味する‘アルゴス’(algos)が合わさって‘ノスタルジー’(nostalgie)になった。 帰国後、私は時々ある席で長い記憶との戦いに含まれていた苦しさを忘れて、過去の暗かった時代を、その時代と対抗しようと思った私自身まで含めた私たちの戦いを冗談のように軽く話す時がある。 そうする時はいつも終えて帰ってくる時が問題であった。 平然と過去の時間を話せる私自身が自分でないようで、その隙間に自分の幻滅が入り込んだりした。

 <冗談>の主人公ルドゥビクはガールフレンドのマルケタに送ったハガキに含まれた短い冗談によって人生が奈落に落ちた。 ハガキにはたった三節が記されていた。 "楽観主義は人類のアヘンだ! 健全な精神には愚鈍の悪臭が漂う。 トロツキー万歳!" スターリンが解放させたチェコスロバキアで‘トロツキー万歳!’を叫ぶことは、すなわち死を意味した。 それがたとえ稚気幼い冗談に過ぎないことであっても。

 1970年代を支配した維新独裁時期も同じだった。 例えば私が属した‘南民戦’の‘10万枚のビラ’と‘武器奪取’は今の時点で見れば中身のない冗談扱いされるようなことではないか。 デモ隊を戦車で押つぶしてしまうこともできると豪語する軍事政権に対して、‘人民革命党再建委事件’関連者8人の命を刑場の露と消えさせた維新権力に銃身のないカービン小銃で対抗してみようという私の友はどれほど愚かでとんでもない妄想家であったか。 地に落ちることもなくアドバルーンに括り付けられて飛んで行きどこかに墜落してしまった‘10万枚のビラ’はまたどうか。 それによって二人は殺され、私の友は長い歳月を監獄に投じられたので冗談といえばこれほど残忍な冗談はない。

 全てのものは忘れられるだけで直されるもの何もないというクンデラの話を、私は朴槿恵(パク・クネ)時代に再び思い出している。 ‘民主化’が過去の暗黒時代を冗談のように話している間に忘れていた過去の亡霊が再び現実となって戻ってきたためだ。 政治のただ中に飛び込んで一挙に社会的・政治的理性の作動を止めさせる国家情報院。 すでに最初に軍部ラインが大統領府に布陣した時から予告されていたことではあるが‘民主化以後’を語った私たちを一日で面目を失わせるこの公安統治に私たちは再び運命を賭した戦いを行わなくてはならない状況と向き合っている。

 どのような話であれ行動であれ、その時代の脈絡の中に位置させてそれとともに語らなくてはならない。 何らの実存的震えも伴わずに、地下室では革命になった言葉がマイクの前では冗談だったと話せるこの時代はいったいどんな時代なのか。 私の過去は正当だったし、今の誰かは不当だと言おうとするのではない。 存在の重い苦悩が感じられない未熟な者が呼び出した極右の亡霊と戦わなければならないのは、どうせ私たち皆の役割であるから、私たちは‘私たちの中の未熟児’らの‘思想の自由’の肩を持つこともできないし、かと言って国家情報院の肩を持つことはさらにできないこの苦境を乗り越えなければならない。

 私は訊ねたい。 一方では‘骨の髄まで平和主義者’になって、他方では‘銃一丁の思想’で武装しようと扇動する革命家になったりもするこの変貌の土台には、どんな思考が位置しているのだろうか。 顔の片方は戯画的で、他方の顔は殉教者の表情をつくる統合進歩党党権派の心理的土台には他でもない彼ら自身が厳格に進歩運動の支配的主流という意識が敷かれていて、ひいてはそこには今になって彼らに対する最も強力な批判者になった進歩政治の他の一派も共に共有していた‘民衆権力’に対する誤った渇望(あるいは幻想)が垂れ込めていると考える。

 それで‘圧力釜爆弾’は冗談だったと平然と話す統合進歩党李正姫(イ・ジョンヒ)代表の話より彼ら(いわゆる‘京畿(キョンギ)東部連合’)が秘密裏に活動していたのでそんな人だとは知らなかったと言う正義党シム・サンジョン代表の言葉が私の耳にはさらに意地悪な冗談のように聞こえた。 京畿東部が支配株主である民主労働党と急いで統合して作った統合進歩党で、イ・ソクキ議員は比例代表2番だった。 今も依然として労働社会をはじめとする進歩陣営の多数であるいわゆるNLの支持で国会に進出した人々が去る党内選挙不正事態で離党して作った党が今の正義党である。 ‘果たして本当に分からなかったのだろうか?’という質問を繰り返したくはない。 もう公安権力の法的制裁にきっぱりと反対せずに‘古い進歩’を先頭に立って批判する者だけでなく労働社会、言論と政治部門でいわゆる進歩に属する(と信じている)私たち皆のあらゆる‘卑怯’についても再論したくない。

 彼らの言うように、北韓体制は陳腐でこの体制を未来の体制と認識するいわゆる主体思想派もあまりに古臭い。 しかし進歩の全面的更新がイ・ソクキ一派と決別することで成り立つと見るのは安易なだけでなく日和見主義が伺える。 今日、公安勢力によって暴露された‘外れた革命家’らの肖像は分断と戦争の傷が残した悪業の報いであることは間違いない。 この傷の克服は極右勢力によるのではなく、我々が作っていく新しい共同体の中で、その中で生成される言語と行為により治癒され克服されなければならないのだ。

 現存する政治秩序に適応したり、生存するために極右的ヒステリーの前に諦めること、まさにそれが異なる進歩の夢を無視し、性急に古い進歩と統合することによって進歩政治を荒廃させた誤りを繰り返すことではないか。 ‘憲法’の枠内に留まらなければならないという話は決して別の話になれない。 それで私たちは今の代議制民主主義からも逃げてしまってはならない。 誰かの話のように、民主主義の過程は決して圧縮されえないから。 だが‘別の民主主義’に対する想像さえ今日自分たちの政治的利害のために握りつぶしたり排斥してしまう自由主義への投降を‘合理的進歩’と包装してはならない。 思想の自由とは、夢見ることができる自由でなければならない。 それがどんな夢であっても、たとえ今はできない冗談のように見なされることであっても。 人間に超越に対する欲望がないならば何が残るだろうか。 進歩政治の新しい領土はさらに拓かれ拡張されなければならない。 今は来ていない未来を生きようとする人々にとって今日の時間は、だから侮辱である。

ホン・セファ<言葉と弓>発行人

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/603208.html 韓国語原文入力:2013/09/12 19:05
訳J.S(3571字)

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