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[特別寄稿] "それでも再び希望のバスに" /ホン・セファ

登録:2013-08-02 21:39 修正:2013-08-03 07:54
ホン・セファ<言葉と弓>発行人

激しい競争ゲームで肘で隣人を押し出して
まぶしい姿で勝利した者に‘怪物’または‘怪物的’という
表現を使うことに躊躇しなくなり、
各自は怪物になるためにありったけの力をふりしぼって
実際に怪物になっていく

 "よく食べて良く暮らせ…それがなぜ悪い言葉なの?" 子供たちは理解できなかった。 フランス語で "bien manger,bien vivre" に移し換えて考えなければならない子供たちにとって "よく食べて良く暮らせ" は悪い言葉ではなかった。 その言葉から、他人がどうなろうが一人よく食べて良く暮らすという利己的でみにくい貪欲の意味を読みだすことができなかったのだ。 むしろ美食家という点で自他ともに認める最高の土地で育った子供らは、韓国ではそんなもっともらしい話をやりとりするものだと思った。 私の記憶に間違いがなければ、朴正熙政権時期の人々の耳にタコを作った "良く暮らしてみよう!" の前には "私たちも共に" という一節があった。 IMF為替危機以後の人々は、挨拶で "金持ちなって下さい!" をやりとりした。 朴正熙政権時期のスローガンはどうであれ‘私たち’を呼び出しているが、 "金持ちになって下さい!" がそれとなく薦めるのは‘あなただけ’という個人だ。 国家権力の動員と訓戒の対象だった私たちは "2位なんて誰も記憶しない" という資本の凄じい訓示の前に、一人で立つ個人たちになったのだ。 国家の暴力の前で共に震えながら自由を叫んだ存在は、政治的自由を得たが資本がそそのかす欲望の前に散り散りにつぶれた。

 物的条件に規定される尊厳と非尊厳の間の境界の前で‘経済的恐怖’の捕虜になった個人たちに "よく食べて良く暮らせ" は "金持ちになって下さい!" と異なる意味を抱く余地はなくなった。 ‘ノルブ(欲張り)’という名前の食堂が盛業している時、‘フンブ(善良)’という言葉は自己啓発の競争で敗北した余剰的存在である自己の慰安の言語としても使われない。 慣れというのは、熟練の意を除けば否定的な結果を産むのが常だが、その熟練さえ資本は自動化と情報化により最早望まなくなった。 他方で、労働する人間はややもすれば、悪いことに慣れればさらに悪いことを準備をすることになり、良いこと、大切なことに慣れれば新しいもの、別のものを探しに出ながら大切に守ってきた良いこと、大事なものを疎かにし、そっぽを向き、ついには喪失することになる。 私たちが喪失したもとの中の一つに‘隣人に対する想像力’を挙げても間違いではないだろう。 私たちに隣人に対する想像力が充分だった時期があったと言うつもりはない。 足りないながらも、それでも多少はあったことまで喪失したと言うのである。 ついには激しい競争ゲームで肘で隣人を押し出して(カン・スドル、<ヒジ社会>)まぶしい姿で勝利した者に‘怪物’または‘怪物的’という表現を使うことに躊躇しなくなり、各自は怪物になるためにありったけの力をふりしぼって実際に怪物になっていく。 例えば、白血病で倒れた家族(三星(サムスン)家族!) の前で、眉ひとつ動かそうとしない三星(サムスン)は怪物的競争力を持つ怪物と呼ぶに値する。 外国のある記者が、地上最高の巨大怪物から恐怖を感じたのは当然のことであろう。(マルティン フィラル‘三星、恐怖の帝国’、ルモンド ディプロマティク、2013,7月号) ところで、いやそれでも、ここにまだ人がいる。 いや、‘ここに’にいることができなくて‘空’にいる。 自身のことではなく隣人に対する想像力で空に上がった。 彼らは「私たちの権利を得るために他人の権利を侵害することはできない」という点を強調する。 そしてまた、このように言う。 「もし現代自動車不法派遣問題が最高裁判例基準として解決されるならば、少なくとも起亜自動車・韓国GM・ルノー三星・タタ大宇・大宇バスなどの完成車業界と部品企業の社内下請け労働者は全員正規職に切り替えなければならないという社会的基準ができます。 また、自動車産業と同様な生産方式を持つ電子・鉄鋼・重工業の社内下請け労働者にも同じ基準が適用されることになります。」 現代自動車資本が不法派遣をあくまで否定しながら非正規職労働者の正規職転換ではなく2016年までに3500人を新規採用すると主張する理由がまさにこの点にある。 また、財界が現代車資本に積極的に協力するのも当然だ。 しかし、鉄塔に上がった2人は新規採用に合意することは全国40万の社内下請け労働者の権利を裏切ることだと全身で語る。 たとえ現代自動車非正規職労働者が去る10年間に体験しなければならなかった刑事告発・損害賠償・仮差押さえ・懲戒の苦痛を再び加えられようとも離反はできないということだ。 しかし、そのように鉄塔に上がって良才洞(ヤンジェドン)本社前にビニール一枚敷いて眠りにつき、座り込みをしても現代自動車資本はびくともしない。 半月前にはパク・ジョンシク牙山(アサン)工場非正規職事務長が死を選んだ。 彼は損害賠償仮差押さえにあって生計が行き詰まっていたという。 現代車資本はビクともせずにばら撒き施すように新規採用を言うだけだ。 これに対して 「大乗的決断」と持ち上げて、希望のバスをひたすら‘暴力事態’と規定する多くの言論の姿は、大企業がくれる広告料で 「よく食べて良く暮らそう」という内心を隠すためにも扇情的にならざるを得ない。 人々が感じる困った感情を敵対感情に向かわせようとするわけだ。 政界は少なく見ても40万の労働者の境遇が関連する最重要な政治事案であるものの、これにそっぽを向き偽りの政治スペクタクル攻防を行っている。 裁判所はすべき仕事はすべてしたかのように謹厳な表情で一歩下がっているように見え、不法派遣を捜査するという検察は7ヶ月にわたりただ時間だけを消費している一方、政府と警察は希望のバスを問題にして「不法デモ加担者には厳重対応する」と身を乗り出している。 (私にも蔚山(ウルサン)中部警察署から出頭要求書がきた。 希望のバスの口座が私名義になっているからであろうが感謝の気持ちで受けた。)

 9年間、各級の労働委員会と最高裁に至るまで訴訟で勝って正規職を取得したチェ・ビョンスン氏と非正規職支会事務局長であるチョン・ウイボン氏、二人は正規職と非正規職が一つであることを見せてくれた。 だが、多くの人々にとって彼らの存在は美しい姿としては迫らない。 ただ心安らかでないこととして迫る。 民主労総のシン・スンチョル新任委員長は「今回の希望のバスで感じたことは、現代自動車の貪欲と、塀の中に閉じ込められて動かない労働者の良心」と語った。 誰よりも現代車蔚山工場労働者は鉄塔を眺めながら鉄塔の下を出退勤しなければならないだけに、他の人よりさらに心安らかでないだろう。 隣人に対する想像力が欠如した、共に生きる社会でない "よく食べて良く暮らせ" の社会、それで大義に対する信頼が消えた空間では、その安らかならざる気持ちは、隣人に対する想像力と大義への信頼を持つ人々に対する攻撃性に転化する危険がある。 安らかならざる状態から自らが抜け出すためにも、そのような形態を見せることがあるが、それがむしろ幸いなことかも知れない。 どうであれ安らかでない気持ちによる反応は、無感情ではないからだ。 非難よりさらに恐ろしいのが‘別に’と無関心だ。

 だからと言って彼らを叱責してはならない。 行くところがどこにあるというのか。 双龍(サンヨン)自動車解雇労働者は世を去った労働者と家族24人のための大漢門前焼香所を奪われて路上に横たわっている。 人々の目に見えようと、悲鳴でも上げるために昨秋のある日、鉄塔に上がったが冬が去り春が来て、再び夏が来たが世の中は少しも動かない時、幽霊のようになった存在は風前の木の葉のように震えて揺れる。 「降りて行こうか。前が見えない状況、私たちがここにいる存在理由を喪失した状況で、生きている組合員だけが苦労しているようで誰も知らない所に隠れてしまいたいと思いました。」「二つの目を閉じて、希望のバスが終われば降りて行こうか…。」 二人が鉄塔に上がって今日で291日目、チョン・ウイボン氏は疲れきったように、前回の希望のバス搭乗者の前で発言さえできなかった。 "よく食べて良く暮らせ" の社会は、格別なこともなく回っていくようだ。 それでも私たちはまた、希望のバスに乗り込むだろう。 キム・ハクチョル先生の最後の遺言が思い出される。 "気楽に生きるなら不正を無視しろ。 人間らしく生きるならそれに挑戦せよ!" ホン・セファ<言葉と弓>発行人

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/597981.html 韓国語原文入力:2013/08/01 19:02
訳J.S(3715字)

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