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[特派員コラム] 韓-日、憎悪は憎悪のみを呼ぶ/チョン・ナムグ

登録:2013-05-29 08:38 修正:2013-05-29 16:38
チョン・ナムグ東京特派員

 昨年6月、在日写真作家の安世鴻(アン・セホン)氏の「中国に残留した慰安婦ハルモニ」写真展が東京新宿のニコンサロンで紆余曲折の末に開かれた時、展示会が行われている建物の前で10人ほどの右翼団体会員がデモを行った。写真展を取材しようとその前を通り過ぎて、髪の毛が逆立つ体験をした。デモ隊は慰安婦を売春婦として描写した絵を掲げて、とてもそのまま聞いてはいられない背筋を寒くするシュプレヒコールを叫んだ。

 イ・ミョンバク当時大統領が独島を電撃訪問した後、日本右翼が東京のど真ん中でデモを行った時は「朝鮮人を殺せ」というスローガンが出てきた。彼らが人なのかと思った。王妃を残酷に殺害されたことに対して高宗が「手の指、足の指、髪の毛でも彼らの罪をすべて数え上げることはできない」と言った言葉が耳元をかすめた。私も知らぬうちに何人かのデモ参加者達とにらみ合いをしていた。

安倍晋三日本総理が数日前、国会でこれに対して、ある野党議員の質問に答える形式で一言述べた。

「一部の国、民族を排除する言動があるのはきわめて遺憾だ」

 安倍総理の発言の中で目立っているのは、そのような言動が日本人にふさわしくないと強調した部分だ。彼は「日本人は和を重んじ、排他的な国民ではなかったはず。どんな時も礼儀正しく、寛容で謙虚でなくてはならないと考えるのが日本人だ」と話した。侵略の歴史を否認したい安倍総理の歴史認識の修正が、軍国主義的思考の封印をはがす側につながるという不安感が少なくないが、少なくとも「誇らしい日本人」は「朝鮮人を殺せ」のような話をしてはならないと説得する話の内容については、ひとまず胸をなで下ろした。

 日本極右団体会員たちのデモのニュースを韓国に伝える時に躊躇することは、ごく少数に過ぎない彼らの言動が、あたかも日本社会の大勢であるかのような誤解を生じさせるのではと心配するからだ。 新宿韓流通りで右翼デモが起きるたびに彼らをばかにしてカウンターデモを行う日本人を見れば、極右派を牽制する力が日本にまだ強く存在するという考えにもなる。

 ところで韓国人を嫌悪する書き込みがあふれ出るインターネットサイト「2ちゃんねる」を見る時の不快さが、韓国のインターネットサイトを見る時にもそのまま感じられたりする。被害者であるのに加え、日本が心より過去を反省していないと疑う韓国人が日本に強い不満を持つのは理解する。しかし、憎しみは怒りとは違う。日本に地震が起きれば「皆沈んでしまえ」と言ったり、北韓がミサイルを撃とうと準備していることについて「東京のど真ん中に飛ばしてしまえ」という話は聞くのに真に気まずい。それを制御しようとする声は、かなり見つけにくい。

 最近は翻訳ソフトウェアが発達して韓国人と日本人が互いのインターネットサイトに掲載された書き込みを理解することができる。韓国に関心と愛情を持っている若い日本人の中には、韓国のインターネットサイトを見て反韓感情が高まると打ち明ける人々もいる。匿名のサイバー空間にはゴミのような言葉もあるはずだ。その空間の特徴を互いに理解して大きい幹を見ようとする知恵も、もちろん必要だ。しかし、憎悪が勝れば過去を克服できないばかりでなく、返ってそれが自分をもっと破壊するということをまずは一緒に留めておくのが良いだろう。

チョン・ナムグ東京特派員 jeje@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/586684.html 韓国語原文入力:2013/05/09 19:06
訳M.S(1538字)

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