<1970~80年代に韓国の民主化運動に連帯した日本キリスト教協議会(NCCJ)前総幹事の東海林勤牧師が、先月28日に東京で死去した。享年88歳。韓国基督教教会協議会は、故人が韓国の人権、民主主義、平和連帯のために多くの活動を行い、特に在日朝鮮人など憎悪と差別に苦しんでいる人々のために闘い、連帯したと記憶している。故人とともにエキュメニカル運動を繰り広げたパク・サンジュン(90)元民主化運動記念事業会理事長が追悼文を送った。>
先月28日に死去した東海林勤牧師は、日本基督教団の牧師を41年にわたって務めた。東海林牧師は東京の南の神奈川県に生まれ、教籍は日本教団関東教区だった。東京神学校と米ニューヨークのユニオン神学校を出た。ニューヨーク留学時代にマーチン・ルーサー・キング牧師の活動とユニオン神学校の神学者たちの思想に影響を受け、教会の社会参加に深い関心を持つようになった。関東の農村神学校で教鞭をとり、教育のかたわら日本の神学雑誌『福音と世界』によく論文を寄稿した。そのため、私は彼の名前を知ることになり、韓国の民主化運動を通じて彼とその仲間たちに出会った。
東海林牧師が日本キリスト教協議会の総幹事として1978年から85年まで在職していた時、私はアジア・キリスト教協議会(CCA)を通じて、彼とアジアにおいて様々な仕事をご一緒することができた。東海林牧師は口数の少ない剛直な昔の日本の武士を連想させる人柄の持ち主だった。
彼の前任者である中嶋牧師と彼の同志たちは、日本の汎社会的組織である「韓国問題緊急会議」を主導しつつ、韓国の民主化運動を積極的に支援し、金大中救命運動を主導してもいた。
日本の指導的な平和活動家だった東海林牧師は在職中、アジア・キリスト教協議会アジア平和会議の沖縄での開催、そして知る人ぞ知る、世界教会協議会(WCC)とアジア・キリスト教協議会が共催した1984年の東山荘朝鮮半島平和会議の呼びかけに大きな役割を果たした。
退任後は、東京郊外の稲城地域の教会で従事し、引退した。私は1990年に帰国し、韓国基督教社会問題研究院で働きながら、葛ヒョン(カルヒョン)教会を開拓し、稲城教会との交流事業を始め、引退した。私の後任のキム・ヒョンス牧師は、両教会の交流に力を注いでいる。
東海林牧師は、晩年の大きな希望として東京への高麗博物館の建設を導き、それを発展させることにも努めた。この事業には、日本と韓国の歴史を正しく理解することを目的として、稲城教会の教友、特に女性たちが熱心に参加した。数年前にこの世を去った彼のパートナーも、夫に劣らず日本の女性運動の代表的な指導者として活動した。結婚した女性の社会活動についての重要なモデルになる女性指導者だった。
東海林牧師の死去を追悼し、残されたご家族に神の慰めと平和が共にあらんことを祈る。