「真実は沈没しない」。
10日午後、日本の北海道札幌市の札幌高等裁判所の前で、耳慣れた韓国語のスローガンが出てきた。この日の札幌高等裁判所では、故キム・ハクスンさんの「日本軍慰安婦」の被害の事実を初めて報道した植村隆・元朝日新聞記者が、自分の報道を「捏造」だと攻撃した右翼ジャーナリストの櫻井よしこ氏を相手に起こした損害賠償訴訟の控訴審結審公判が開かれた。
スローガンを叫んだ人たちは、イム・ジェギョン・ハンギョレ新聞元副社長、キム・オンギョン民主言論市民連合事務局長、キム・ソンジュ・ハンギョレ新聞元論説委員、キム・ヤンネ5・18記念財団理事など、「植村隆を考える会」会員と支持者12人だった。植村氏は裁判後に彼らの前で、「私はこの裁判に勝つはずだと思う。この裁判を通じて、このように東アジアの平和のための連帯闘争が生まれていると思う。最後まで戦うだろう」と誓った。
植村氏は2015年、櫻井氏と櫻井氏のコラムや記事を載せた雑誌社2社が自分の名誉を毀損したとして、謝罪広告の掲載とそれぞれ550万円の賠償を求める訴訟を起こした。しかし、“法廷闘争”は容易なことではなかった。去年11月、札幌地方裁判所は、櫻井氏のコラムが植村氏の社会的評判を落としたことは確かだが、櫻井氏の文は該当事案が真実であると信じるほどの“相当な”理由があると原告敗訴の判決を下した。
櫻井氏が植村氏の慰安婦被害の記事を捏造だと攻撃した口実は、植村氏が1991年に報道した記事で慰安婦被害者が「挺身隊として連行された」と書いたことである。1990年代には慰安婦被害が詳細には知られておらず、多くのマスコミと運動団体でも二つの用語を混用したという事実に対して、櫻井氏は意図的に目をつぶったのである。植村氏は裁判所で、「私を標的にして捏造と批判するのは重大な人権侵害」と声を高めて言った。
この日、裁判が開かれた802号室は、植村氏を応援する日本市民80人余りで傍聴席が埋まった。植村弁護人団20人余りも弁護人席を満席にして、簡易椅子を別に用意するまでに至った。櫻井氏は裁判に出席せず、櫻井側弁護団は、口頭意見陳述を初めから行わなかった。裁判長は植村氏と弁護人の意見陳述のみを聞いた後、裁判開始30分後に「判決は来年2月6日に下す」との一言だけ述べ、裁判を終えた。
民主言論市民連合のキム・オンギョン事務局長は、「この事件は、植村氏の記事は捏造だと右翼がフェイクニュースを作り出した事である。韓国にとって重要な問題でもあるが、それ以前にジャーナリズムの側面でも非常に重要な問題だ」と話した。ハンギョレ新聞のシン・ホンボム元論説主幹は、「植村氏は多くの苦難を体験した。その苦難に少しでも参加したかった。真実は沈まない」と語った。5・18記念財団のキム・ヤンネ理事は、「韓国の軍事独裁時代に弁護士が(民主化運動をした知識人らのために)無料で弁論をした姿が浮び上がり、感情がこみ上げてきた」と述べた。
植村事件を扱ったドキュメンタリー映画「標的」を制作している日本の映画監督の西嶋真司氏は、「日本では最近、自分たちに不利な歴史はなかったかのようにしようとする動きが多い。歴史をきちんと記憶しなければならない。そうしないと、過去の日本が戦争を犯したことのように、同じ過ちを繰り返すことになり得る」と指摘した。