「今年はどう話すだろうか」
1月28日午後2時。日本衆議院のインターネット動画中継サイトに接続して、安倍晋三首相の施政方針演説に耳を傾けた。日本の首相は、毎年1月末~2月初めに始まる定期国会の開院初日、この演説を通じてその年の国政方針を公開的に明らかにする。
今年の演説が関心を集めた理由は自明だった。韓国最高裁(大法院)の強制動員賠償判決と自衛隊哨戒機の“威嚇飛行”論議で、韓日関係が骨と骨とがぶつかる“構造的対立”に入り込んだためだ。
安倍首相は執権初期の2013~2014年には、韓国を「自由や民主主義といった基本的価値と利益を共有する最も重要な隣国」と定義した。基本的価値を共有するという言葉には、韓日が相互に信頼できる“友人”という意味が内包されている。同じ価値を信じる者とは世界観を共有するので、国益が尖鋭に衝突する戦略的対立を起こさない。
この表現は、日本軍「慰安婦」問題をめぐって両国が“外交折衝戦”を行った後の2016~2017年には「戦略的利益を共有する重要な隣国」に変わることになる。「基本的価値」という表現が削除されたことから、日本は韓国をもはや友人とは考えなくなったことが察せられる。ところが韓国は、依然として日本の「重要な隣国」であった。中国の浮上と北朝鮮の核・ミサイル開発という安保脅威の中で、韓日または韓米日の軍事協力の必要性が高まったためだ。だが関係は、相互の必要によってやむを得ずつきあう「ビジネスパートナー」に格下げされた。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領の就任以後の2018年には「これまでの両国間の国際約束、相互の信頼の積み重ねの上に、未来志向で、新たな時代の協力関係を深化させていきたい」という“奇妙な表現”が登場した。安倍首相が言及した「両国間の国際的約束」とは、1965年の韓日請求権協定と2015年の12・28合意を意味する。この言葉は、韓国が強制動員賠償判決を下さず、慰安婦合意を守るならば「未来志向的な協力関係」を維持するだろうが、そうでないならば日本も韓日関係をある程度放棄せざるをえないという警告だった。安倍首相の警告に、韓国がどのように反応したかは韓国の皆が知っていることだ。
壇上に上がった安倍首相は、50分間余り演説した。韓国に対する言及は、演説の最後の章である「戦後日本外交の総決算」に入れられた。例年とは異なり、韓国を別途に取り上げることはなく、朝日関係改善のために「米国、韓国と連帯する」と述べるに終わった。これは、日本政府固有の論理構造の中では仕方のない選択肢だったと言わざるをえない。「自分たちの最後の警告まで無視した、もはや友人ではなくなった隣国に、どんなメッセージを投じることができようか…」
施政方針演説で韓国を“省略”する破格に対して、日本国内でも少なくないうわさが飛び交った。すると、安倍首相の周辺では「韓国が“未来指向”的な態度を見せなかった状況で(演説で韓国に対して)何とも書きようがなかった」(朝日新聞1月30日付)という解説を出した。安倍首相自身も30日の衆議院本会議で「日韓両国が積み重ねてきた関係の前提を否定しようとする動きが続いていてきわめて遺憾」と不満を吐き出した。
1965年の国交正常化以後、韓日関係は過去の植民地支配から始まった不和という“遠心力”と、相互協力を強制した冷戦体制という“求心力”の間の、微妙なバランスの中で維持されてきた。このバランスに決定的な亀裂が入ったのは、冷戦の解体と韓国の民主化が同時に行なわれた1990年代初めだった。1991年8月、自身が慰安婦であったことを実名告白したキム・ハクスンさんの初めての叫びが出てきた。キムさんの勇気は、戦時女性に加えられた性暴力に対する人類の無知を呼び覚ます巨大な事件だったが、“日本社会の右傾化”という反動的流れを共に引き出した。この流れの頂点に立った人物が他でもない安倍首相だ。
韓日関係の遠心力は大きくなったが、求心力の根拠は希薄になっている。韓日はもはや“友人”ではなく、昨年始まった朝米対話以後、北朝鮮の核の脅威の減少により“ビジネス”の余地も大幅に減った。韓日の不和は、構造的段階に入り込んだ。改憲を“一生の課題”と言った“安倍の日本”と韓国の対立は、全方向的に拡大するだろう。今までの対立は今後に続く“巨大な破局”の序章に過ぎないのかも知れない。