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英国メディア「テ公使の亡命、まるでスリラー小説のよう」

登録:2016-08-22 03:16 修正:2016-08-25 16:50
サンデー・エクスプレス紙、高位消息筋引用しテ公使の亡命過程報じる 
2カ月前、英国情報機関とゴルフ場で接触 
夫人も北朝鮮への帰国に不安を示し、脱北決心した様子 
米国情報機関も介入…ドイツ経て、韓国に入国
2014年11月3日、AFPTVが英国ロンドンの北朝鮮大使館で撮ったテ・ヨンホ公使の姿。テ公使が韓国に入国した事実は、今月17日に公式発表された=ロンドン/AFP聯合ニュース

 今月17日、韓国に入国した事実が伝えられた北朝鮮のテ・ヨンホ駐英公使が、英国と米国の情報当局の協力の下、ドイツを経て韓国に入国したと、英国の「サンデー・エクスプレス」が21日付(現地時間)で報じた。同紙は10年間英国で勤務していたテ・ヨンホ公使の脱北過程を詳細に伝えながら、「公使の亡命はまるでスリラー小説のように緊迫したものだった」と表現した。

 同紙は高位消息筋を引用し、テ公使の妻であるオ・ヒェソン氏の不安感がテ公使の亡命の決定に大きな影響を及ぼしたと伝えた。テ公使は、脱北を決定すること約2カ月前、英国ワトフォード地域のあるゴルフ場で英国情報機関の担当者たちと初めて会い、その場で平壌(ピョンヤン)に戻ることについて不安感をにじませた。消息筋は、夫人のオ・ヒェソン氏もテ公使と「同じような心境」を共有していたことが、テ公使が亡命を決心した最も大きな理由だったと語った。

 英国外務省はそれから約2週間後、テ公使が亡命を深刻に考慮していることを確認し、この事実を米国情報当局に知らせた。その後、少数の米国高位関係者たちがテ公使の亡命について協議するために英国を訪れ、テ公使に亡命地を選択できる「白紙委任状」(carte blanche)を与えたにもかかわらず、彼は亡命地として韓国を選んだ。同紙は「すべての過程が徹底した保安の中で進められたが、わずか10日後にはソウルで『欧州の一国で亡命が緊急に進められている』とする噂が流れた」と報じた。

 先月テ公使と妻、そして26歳と19歳の2人の息子の一家4人は、韓国に入国するために、英国空軍のBAe 146機に乗って英国オックスフォードシャーのブライズ・ノートン空軍基地を飛び立った。同機には英国と米国の外交関係者7人が同乗していた。30人が搭乗できる飛行機が離陸すると、2台のタイフーン戦闘機がテ公使一行を護衛した。

 飛行機がドイツに向かう間、テ公使はテレサ・メイ英首相に感謝の意を表する書簡にサインし、この書簡を首相に直接伝えてほしいと要請したと同紙は報じた。同じ時間、テ公使の次男であるテ・クムヒョクさんは英国の親友に自分が突然姿を消した理由を説明する手紙を書いた。テ・クムヒョクさん成績優秀な秀才であり、ロンドン・インペリアルカレッジへの入学を控えていた。同紙は「テ公使の妻であるオ・ヒェソン氏は飛行機が出発する前に英国の小売店『マークス&スペンサー』(M&S)に立ち寄ることを希望していた」が、それは「英国を離れる前に好きな品物を購入するためだった」と伝えた。

 テ公使一行を乗せた飛行機は、離陸してから2時間後にドイツのラムスタイン米空軍基地に着陸し、テ公使一家はここで他の航空機に乗り換えてソウルに向かった。「サンデー・エクスプレス」はイギリスの高位消息筋を引用し、「テ公使が平壌に帰ることを含め、自分の未来について心配をしていたのは明確な事実である。興味深いことに、妻が同じ心境だったことが亡命を決心するのに大きな影響を及ぼした」と報じた。

ファン・クムビ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

韓国語原文入力: 2016-08-21 12:09

https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/757635.html 訳H.J

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